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教師の仕事は楽しい。でも、未来は? だから、教師を辞めて、明日の教育への種を蒔こう。


教師という仕事が好きだ。幼い頃から、あらゆる習い事が3ヶ月以上続かなかった私が、小学校教師として通算30年近く働いてきた。クラス担任、初任の先生の指導、外国籍の子どもの日本語指導、自閉症などの支援学級担任と様々な立場で子どもや教育に関わってきた。臨時講師、非常勤講師、産休代替などと働く形態も変えながら、滋賀県、東京都と場所を変えて教えもした。飽き性の私がこんなに長く1つのことを続けてこられたことに驚く。

けれども、2019年3月25日。
教師を天職だと思っていた私が、学校を辞めた。


3月まで働いていた職場は、「日曜日も学校があればいいのに。」
と、言ってくれる子どもたちが可愛く、保護者も協力的だった。今まで働いた中で1番と言っていいほど、教師集団のまとまりがよく、言いたいことが言えて一人ひとりの個性を認め合えた。苦しいときには相談できたし、助け合える仲間だった。

こんなにも恵まれた環境を自ら捨ててしまったのはなぜか?
それは、教師としてのやりがいと同時に、今の教育に対しての「行き詰まり」を感じていたからだ。

「このままではいけない」
そんな声がしていた。

今の教育は、教師ががんばれるぎりぎりのところで成り立っている。今の時代を生きる子どものために必要だと、英語、プログラミングなど新しい分野が加わり、道徳も改めて教科として教えることになった。教えることは増えるのに、減らせるものは何もない。教師には何を教えるかを選ぶことも許されていないし、そもそも忙し過ぎて立ち止まって考える時間すらない。こんな状態では、いずれは破綻する。

だからこそ、教師が倒れてしまわない今のうちに学校が変わらないといけないと思う。

私は日々の不満を吐き出すために、辞めたのではない。教師という直接的立場を離れ、元教師という立場から、明日の教育を考えるという視点で発信すべきことがあるはずだ。

そんなある日、何気なくペラペラとページをめくっていた情報誌の隅に、ライター養成講座の体験学習の案内を見つけて受講してみた。正直、書くことについて素人の私に何ができるのかという思いにとらわれそうになったが、私が見てきた「事実」を書くことが大切だと思い直した。上手には書けないかもしれないけれど、止まっていては、何も始まらない。せっかく踏み出した一歩を大切にしよう。

種を蒔こう。
できるだけ、たくさん。どんな小さな種でも、続けて蒔いていけば、いつか芽が出て、大きく育つかもしれない。


4月8日。今日は、入学式・始業式。学校の新しい始まりだ。

私にとっても、今日が始まりの日になった。

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