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からだのかたち、からだのこえ。

水になってしまえばいいと思った。

透き通る水になってしまえばいい。

透明な水になって流れ出し、すべてを覆ってしまえばいい。

心からそう思った。

冷たい水は痛みを癒し、乾いた心を潤すだろう。

傷を癒して沁み込んでそのまま消えてしまえたら、救われるような気がした。

現実には不可能なのだろうけれど。


かなしみというものの持つ本当の意味を知らないでいられたら、幸せだったと私は思う。

知らないでやれるということは、豊かさであり、力なのだ。

知ってしまうと言うことは現実にさらされること。
身もふたもない現実は、いつでも私をあひるの空に打ち上げて凍らせる。

固まってしまうのだ。

心はすぐに停止して、思考がいきなり走り出す。

受け止め方がわからずに空回りして壊れていく。

心も思考も佇まいも一瞬で崩壊し、すぐには立ち直れなくなる。

茫然自失がやってくる。その後に来るかなしみは壊れた部分に沁み込んで、涙になってこぼれる。

そう。泣くことができたなら心は救われるけれど、そのまま泣けずにいる時は心は砂のように崩れてゆき、そのまま壊れてしまうだろう。

乾いた砂風に吹かれて散り散りになってゆく。

だから、水になってしまえばいい。

透明で清らかな冷たい水になってしまって、沁み込んで潤して小さなヒビや傷の中に入っていってしまえばいい。
そんなふうに思ってしまった。


秋に向かっていく日々の日差しの中のオレンジ色が髪や肌を変えてゆくのを私は静かに受け止めている。

茶色味を帯びたまっすぐな髪を風が揺らして頬をさらりと撫でるのを快く感じながら、少しだけ泣いてしまった。

夏が終わってゆくのを止めることなんてできない。

目には見えない砂時計の砂は毎分毎秒こぼれ落ち、見えない場所に消えてゆく。

その痛みとかなしみを知らないままで暮らせた時の無邪気な自分に戻りたいけど、多分.無理だから、諦めている。


砂時計の中の砂は音もなくこぼれ続ける。

止めたいけれど止められない。

その砂が尽きてしまった時に多分命は終わる。
何もかも消えてしまう。

私もいつか。



とりとめもない不安の中で、私は、救いを求めている。

言葉でも、信じられる誰かでもいい。

こぼれ落ちてゆく私の砂を受け止めてくれるものがあったら、私はそれを愛するだろう。

そうして大切に抱きしめるだろう。


かなしみもよろこびもその中に吸収されて昇華されてゆく。


水になってしまえばいい。

透明な水になって、こぼれ出し、流れ落ち、吸い込まれてしまえばいい。

そう思える何かを、そう思える誰かを、私はずっとさか探している。

見つけ出したいと思っている。



一年かけて私は痩せた。

三年ほどで10kg以上増えてしまった体重を一年で元に戻した。

かなり努力を重ねても少しも減っていないと思い込んでいた体重が減っているのを、体重計で確認した時はかなり驚いて力が抜けてしまった。

毎日覗く鏡に映る自分の顔の輪郭が
少しも変わらないように感じていたので気付けなかったのだ。

私は鏡を覗く度かなしい気持ちになっていた。

全然痩せてない。
こんなに頑張っているのに。

そんなことばかり考えて、ため息ばかりついていた。


けれどふと体重計に乗った時、表示された数字を見て愕然とした。


10kg以上減っていた。


毎日がむしゃらに歩いて食事も減らしていたことが、確実な効果をもたらしていたことを知った時のよろこび。


服が緩くなり、手のひらの厚みも変わっていたけれど、鏡に映る顔に変わり映えがないように感じていたから、痩せていないと思い込んでいた。


体重を減らせたことは、私に静かな自信をくれた。

努力が報われたことが本当に嬉しかった。

デジタル表示の数字が輝いて見えるくらい嬉しかった。



たっぷりと脂肪を蓄えていた頃に比べて、体は確かに楽になり、背中も手足も伸び伸びしている。


まとわりついていた重たいものが外れてくれて、解放されたというような心地よい感覚がある。

鎧のように体中を覆っていた分厚い脂肪は、私を縛り閉じ込めていて、外側の世界と私を隔てる高い壁のような役割をしていたような気がする。

それは私を守りもし、苦しめてもいたように思う。

私が太ってしまった理由は、決して精神的なものではなかったのだけれど、体重を減らす努力を続けるうちに、体は心とつながっていて個々が独立したものではないとはっきり自覚できるようになった。

体の形や在り方は心の形に確実に影響を与えている。


そのことに無自覚なまま暮らせていたのは、身の回りが忙しくて混乱していたから、自分の身なりや外見に気を配る余裕が全くなかったためだ。

多分、仕方がなかったのだ。


脂肪が取れて細くなった体は、太っていた頃よりも、子どもの頃の自分に近いと感じた。
感覚や感情がはっきりと自覚できるようになったような気がする。

蓄えられていた脂肪は外側だけではなく、内側にも分厚い壁を作っていた。

私は自分を見失っていたみたい。


すべてのことがめちゃくちゃで、どうしたらいいのかわからなかった。

でもそれを誰か他の人や他のもののせいにしても仕方がないとも思っていた。

どうしようもない流れの中で仕方なくそうなってしまったのだと考えるしかなかった。

何もかもに無自覚なままいろんなことが先に進んでいくことに大きな不安を抱えながら、どうしようもなくそのままで、ただただ時間が過ぎてゆく。

細くなった体はなんだかとても頼りなさげで、けれども何故だか大切に思えて、なんだかとても不思議だった。

心許なく不安になると、重くて余分だった脂肪が私を守ってくれていたような錯覚を起こして、また更に不思議な気持ちになった。

けれど、また太りたいとはやっぱり思えないのだった。


そんなある日、目覚めた時、私の頬は濡れていた。

そうしてまぶたが腫れていた。

私、眠りながら泣いていたのかな?

記憶も自覚もまったくなかった。

私は寝床から起き出して、洗面台へと向かった。

水道の栓を捻って水を出し、それを手で掬い取って顔を洗った。

その冷たさが心地よかった。

じっとりとした汗を含んでいた頬が冷たい水で洗われて、気持ちよくさっぱりとしてゆく。

柔らかなタオルで濡れた顔を拭って、清潔になってつるりとした顔を鏡に映して見つめてみた。

まだ少し両のまぶたは腫れている。


寝てる間にどのくらい泣いていたのだろう?

どんなに考えてみても、自覚も記憶もまったくなかった。


私は髪を櫛で漉き、ヘアゴムでひとつに括った。

首筋の輪郭が太っていた頃とはまったく違っていることにあらためて気がついてじっくりと見つめてしまった。

目の前のことに振り回されて、何もかもがおざなりだった。

私は痩せた後の自分の体の形を、まだきちんと自覚できていない。

美しいとは思わなかった。

余計なものが外されるとこういう形になるんだ、という、静かな気持ちがあるだけだった。

脂肪が外れて剥き出しになった体の形は、何故だか心許なさと小さな自分を感じさせて少しかなしくて、少し儚さを思わせた。

闇雲に歩いたり、食べるものに制限をかけて、脂肪をなくしてゆくことだけに邁進していた頃の私は、今のこの複雑な気分を想像すらもしていなかった。

心許なさと不安と、自由を感じる不思議な気持ち。

少しずつ筋肉を作って、体を絞って、もっと身軽に動けたら嬉しいと思いながら、不安な気持ちと寂しさを無くすことができないでいる。


こんな心許なさを抱えながら、どうやって新しい生活を見つけたらいいのかがまったくわからなくなっている。

新しい人生を考えれば考えるほど、不安は大きくなってゆく。


自信がなくなってゆく。


まだゆるゆるとしてる体を見ていると、かなしい気持ちが湧いてきて、涙が湧いて滲んで落ちた。

涙はポロポロこぼれ落ち、止まることはなかった。
塩辛い涙だった。

私は涙がこぼれ落ちてゆくのをどうすることもできないまま、鏡の前でぼんやり見ていた。

寝巻きにしていたTシャツの首の辺りががこぼれた涙で濡れてゆく。

私はタオルで涙を拭い、水を出して顔を洗った。

さっぱりとした。

それでも涙は止まらない。

泣いても泣いても湧き出してくる涙を見て私は思った。

こんなに溜め込まれていたんだ。


長い間、地面のように生きてきた。

その地面の上を駆け抜けていった人たちから私は解放されたくて、別の場所を探している。

駆け抜けたのは、父であり、母であり、祖母であり、友であり、夫であり、子であった。


私は地面を止めるために脂肪を手放したはずなのに、そのことに恐怖している。

怖がっている。
ものすごく。


涙は止まずにこぼれ続ける。


私は地面を早く止めたい。


とても怖くて不安だけれど。

















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