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裁くのは神様、って思うことが救いかも知れない。

 人を裁くのは、人間じゃなくて、神様のような気がしています。

 その人間を見ている神様が、その人を運ぶ。その人の人生を動かしていくような気がしています。

 私、結婚してから自分の親からお金なんてもらっていません。

 子供がもらってきたお小遣いは、すべて子供の名義の預金通帳に入れてきました。

 そして、ずるいことも悪いことも何もしてません。

 だけど、そう決めつけて、私を信じられないようなやり方で傷つけてきている人がいます。

 でも、その人を変えてしまうことも、裁くことも私にはできません。

 私にできる事は、その中で自分を保って自分を守ってあげることだけです。

 そしてその人に都合の良いように動いてしまうのは、絶対間違っていると思うので、多分しないと思います。

 大嫌いです。

 大嫌いだから付き合うこともないと思います。

 私をいじめれば、自分の都合の良いように動くと思っているその人のことを私は心のそこから蔑んで嫌っています。

 でも、そのことで、その人は痛くも痒くもないでしょう。

 だからなるべくその人の事は考えないようにしています。

 その人はのべつまくなし絶対やめないで止まることもなく、私を傷つけ続けています。

 その状況を見ていて、心配してくれる人や応援してくれる人がいました。

 私はその人たちに感謝して、一生懸命前向きに生きる努力をしてきました。

 もしかしたらもともと引っ込み思案で弱虫で泣き虫な私が、前向きに生きていこうと必死に行動するようになったのは、私を困らせてきている人の影響もあるかもしれません。

 でも、その人が言ったりしたりしていることがあまりにもひどいので感謝することはできません。

 ただ、その人は自覚なく、私を前向きな行動に駆り立てているのかもしれないです。

 でもあまりにも今していることがひどすぎるので、早くやめてほしいと思っています。

 だけど、その人は絶対にやめません。

 だからどうしようもないので、放っておくしかないと思っています。

 そして、その人が私にしていることはいつか何かに形を変えてその人のところに戻っていくような気がしています。

 今私は、去年の12月に亡くなった母からの相続を進めています。

 本当はこんな立場になりたくはありませんでした。

 すべて弟が取り仕切っているはずでした。

 そうしてくれればありがたいと思っていました。

 父方の親戚がとても怖いので、私はそれに対応したくないと思っていました。

 でもそういう立場になってしまったので仕方がありません。

 私を困らせている人は、そのことをとてもひがんでいます。理由は分かりません。
 
 もともとその人には何の権利もないし、全く関係のないことだと私は感じているのですが、彼女はもう20年以上も前からそれを狙っていろいろなところに根回しをして取り上げようと画策していました。

 実の娘である私が、関わりたくないと思って、極力距離をとり続けていたにもかかわらずです。

 どうしてそんなものに欲を持ってしまったのか私には全く理解ができません。

 自分に関係のないお金や財産は、ただ危険なだけで近寄らないほうがいいものだと感じ続けて育ってきたからです。

 『ロード、オブザリング』という映画を見ていた時、父が亡くなった後の私の実家から少しでもたくさんお金を取り上げようとして、ひどいことを言ったりしたりしてきた父方の祖母のことを思い出しました。

 彼女は、残された母の気持ちや立場の事は、全く考えずに、ただただお金を取り上げようとして信じられないようなひどいことを毎日言って電話をかけてきました。

 私は彼女にとても腹が立って、とても傷つきました。

 だから実家を離れた後、ほとんど帰らなかったのかもしれません。

 それと同時に、そういった実家のゴタゴタに関わりたくない、子供にも関わらせたくない、そういう気持ちがあったので帰らなかったのかもしれません。

 そんなものに欲を持って私を傷つけ、壊そうとしてくるなんて、私は今困らせている人は最低だと思っています。

 結婚していた人に、そういった事情を話さなかったのは、今私を傷つけている人に余計なことを伝えたくなかったからです。

 彼女はかなりたくさんの収入があり、たくさんお金を使って月のように遊んで暮らしていました。

 その間とても苦労して生活していた私の母や私からお金を取り上げて、自分の都合の良いように使うことしか考えていなかったその人を私は正直軽蔑していました。

 今もそうです。

 でも、今、彼女が私にしていることを裁くことができるのは、神様だけだと思っています。

 神様と言うよりも摂理というようなものなのかもしれません。

 だから、私にできることはその人から逃れて自分の生活を守ることだけです。

 その人を変えることができるのは、その人自身だけです。

 そして、変えずに、私を傷つけていることを裁くことができるのは、神様だけです。

 どんなにずるいことをして、どんなにごまかしたとしても、その人がしたことはその人のところに戻っていくはずです。

 だから、その人が今私にしていることはいつか必ずその人のところに戻ってきます。

 その時は、きっとどんなに頑張っても、そこから逃げられないような救われない形で戻っていくはずです。

 その時期も、その形も、そうなって、見るまでは誰にもわからないはずです。

 私はそう思っています。

 だからどんな時でも、相手に対して誠実であることや、一生懸命であることは大事なことだと思うのです。

 人を蔑んだり、具体的に傷つけたりしたら、それは絶対どこかで戻ってくるはずです。

 そんなことを計算しているわけではないけれど、私は他の人に自分がされたら絶対嫌だと思うことをすることはできません。

 だからできる限り、結婚していた人にも、その周囲の人にも自分なりの誠意を尽くしてきたような気がします。

 だけど、その人たちは信じられないようなヘンテコリンな理屈で、私を決めつけて傷つけて、自分たちだけが楽になるようなおかしなことを続けてきました。

 そのせいで私の結婚生活は壊れてしまいました。

 そのことを恨みに思って、いつまでもぐずぐずとまとわりついていたとしてもいいことなんてないと思いました。

 だからそれとは違う生活を探して、今も苦しみながら前を向いて行こうとしてもがいています。

 終わってしまったことを、どうにかしようとしたところでどうすることもできません。

 私は諦めて手を離してしまいました。

 その人たちが何を考えて私を傷つけているのかは私にはわかりません。

 知る必要もないと思っています。

 彼らがどこまでも私を傷つけて来るのなら、それを続けたことの結果や、その報いは、その人たちのところに戻っていくと思います。

 だから、私は普通で考えたら間違っていると言うようことは、出来る限りしたくないと思います。


 私の母がすごく悪かったとは思わないけれど、母がもっと早い段階で弟に対して本当の意味で優しく誠実に対応してあげていたら、いろいろなことの結果は全然違っていたと思います。

 弟だって、本当の意味での自分の務めを全うしていたら、違う結果が出ていたと思います。  

 2人がもっと違うように生きていてくれたら、私の生活は、こんなふうに壊れてしまわないで済んでいたかもしれません。

 だけど、今更それを言ってもどうすることもできないから、今できることで少しでも前向きなことをしていくしかありません。

 諦めるしかないのです。


 弟が実家でのんびりと暮らして、自分が遠く離れた場所で信じられないような苦労を続けるしかなかった時期に、少しだけ弟がうらやましい時もありました。

 けれども弟は自分の生活を作ることができず、子供も持たず、私がしあわせだと感じることを何もできずに歳を重ねて、私が普通だと思うような常識も知らないまま暮らしていました。

 それを見て私は、とても辛かったし苦労もしたけれど、自分が得ることもできたものの方が私にとっては大きな価値のあるものだったと掛け値なしに思えて、弟のことが気の毒に感じました。

 私は辛かったけれど、苦しかったけれど、努力して良かったと思ったんです。

 だから自分の子供にも、大変な思いをした分だけ得たものが多いと思えるような人生を送ってほしいと思いました。

 それだから高校を卒業したら、自活の道を目指して頑張ってほしいと思いました。

 本人もそれを望んでいたし、大変な思いがするだろうけど、この子だったらやり抜いてくれると思ったからです。

 

 私を傷つけてきている人の気持ちは私にはわかりません。

 私を傷つけることで、優越感に浸りたいと言う気持ちも理解できません。

 そしてただ早くやめてほしいと思うだけです。


 彼女は自分が私の結婚生活を壊してしまったとは思っていないと思います。

 でも結婚したかなり最初の頃から私を傷つけ攻撃し続け、気に入らないと言い続けていました。

 だから私が離れていくことに問題はないと思っていました。

 もし私がその人なら、あんなに嫌いだと言い続けた人が、自分から離れていってくれたら喜ぶと思ったからです。

 でも、実際は違っていて、その人が私に依存したいと考えていたのではないかと思うようになりました。

 その人は誰かに依存していないと生きていけないようなタイプの人だったのかもしれません。

 だから、私を虐待することに依存しているのかもしれないです、

 精神的に自立できている人だったら、誰か他の人を攻撃することに、こんなに執念を燃やすとは考えにくい気がします。

 精神的にも経済的にも自立できている人だったら、そうしないような気がするのです。

 それは決して、その人が働いているかいないかとか、そういう問題ではなくて、自分自身の生活を誰かにゆだねて、その人に依存しようとしているかどうかと言うことのような気がします。

 例えば、専業主婦の人でも、経済的に自立してなくてはいけないと言う自覚があれば、収入をきちんと管理して、他の人のお金を取り上げなければ暮らせなくなるようなそういうやり方はしないと思うからです。

 経済的に大きなゆとりのある生活をしてきたその人が、私、母のような人間に依存して寄生したいと考えてしまった理由がどこにあるのか私にはわからないけど、そうしたかったのにできなかったことを逆恨みして、私を追いかけて傷つけてくるなんておかしいと思っています。

 それと同時に、結婚して自立している子供に対してそんなに過保護になる理由が私にはよくわかりません。

 精神的に自立できている人だったら、もっと違う形で子供と関わるような気がするのです。

 考え方は様々だとは思うのですが。


 どうして私を傷つけていないといられないのか、解放してくれないのか、私にはわかりません。

 私に対してありもしないようなことを考えて、決めつけてしまったのも、何かそういうその人たちの依存体質のようなものを感じて、とても強くなります。


 そして、不思議な気持ちになります。

 その人がそうして、甘えた気持ちでいても、暮らしてこられたことに対して、昔、弟が楽だと感じて、羨ましく感じたような気持ちがあるのかと言うと、あまりないような気がします。

 私のことを逆恨みして困らせていじめて傷つけてくる。その人の心の中が私に対する僻みや妬みやそねみの気持ちでいっぱいなのだと考えると、吐き気がしそうなほどの気持ち悪さでいっぱいになるからです。

 自分の心や頭の中がそんな汚いもので溢れ、かえっているような状態を想像した時、そんな気持ちにならずに済んでいることに対する感謝の気持ちでいっぱいになるのです。

 そうではなくて、何かもっと前向きなものに向かっていこうと思っている自分を抱きしめてあげたくなるような、泣いてしまいたくなるような、苦しいけど怖いけど、何かとても温かいものが自分の中にあるような、そういう気持ちになるのです。

 そして自分のことを大切にしてあげたいと頃から思うのです。


 私を傷つけている人は、何かの形でその罰を受ける前に、妬みや僻みやそねみの気持ちでいっぱいになっている段階で、充分不幸になってしまっているような気がするからです。


 私がその人から学んだことは、他の人を僻むのは無駄なのと、自分を大切にするために、人と自分を比べないことがとても大切だと言うことです。

 そういうことをいつも考えていると、ずるい人にそれを利用されて騙されてしまうこともあるかもしれないと思います。

 だから私は人と自分を比べるよりも、自分を大切にすることのほうに努力をしたいと考えています。


 でも、あまりにもされていることがひどすぎて、怖くて動けなくなってしまいました。

 そのことでずっと困っています。


 でも、だからこそ、私自身は、人と自分を比べるよりも、本当の意味で自分を大切にする努力をしていきたいと思うのです。


 具体的に、それがどういうものなのか、それはおいおい行動しながら学んでいくしかありません。


 そして出来る限り誠実でありたい。


 ただ、外側にいい人そうに見せるより、本当の意味で誠実でありたいと思うのです。

 自分が出したものが、自分のところに戻ってくるなら、それを続ける以外に自分を大切にする方法は無いような気がします。

 そして人から騙されないようなしっかりと自分になっていかないといけないと改めて思います。

 不安だけど、がんばります。

 だから応援してください。

ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。