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【読書メモ】 「遅いインターネット」宇野常寛


読んだ。「 遅いインターネット 」


【第1章】

・平成とは「失敗したプロジェクト」である。平成とは政治改革(二大政党制による政権交代の実現)と、経済改革(20世紀的工業社会から21世紀的情報社会への転換)という二大プロジェクトに失敗した時代である。

・21世紀とはグローバルな市場というゲームボードによって世界が一つの平面に統一された世界であり、その「境界のない世界」を生きる「anywhere」な人々と、一方で「どこか」を定めないと生きていけない「somewhere」な人々に分断される。

・somewhereな人々は世界に素手で触れている実感を得るために、フェイクニュースや陰謀論といった「魅力的な嘘」を信じたい。また、民主主義の制度で一票を通してグローバルな世界をローカルに変えられるとの希望からanywhereな人々よりも選挙に積極的に参加する。結果、ポピュリズムが蔓延する。

・これからはほとんどの場面で、民主主義は自由と平等の最大の敵として立ち塞がることになる。その暴走リスクを減らすためには「民主主義を半分諦めることで、守る」知恵が必要。

・処方箋
①民主主義と立憲主義のバランスを、後者に傾ける。
②情報技術を用いてあたらしい政治参加の回路を構築する。「市民」でも「大衆」でもなく、「市場のプレイヤー」としてシビックテックを用いてクラウドローに参加する。
③メディアによる介入で僕たち人間と情報との関係を変えていく。


【第2章】

・「…と現実」というかたちで記述される「反現実」に僕たちは無意識に支配されて社会をかたちづくっている。
戦後日本中では「(革命という)理想」→「(ユートピアという)夢」→「(内面を変える)虚構」→「(情報技術で拡張された)現実」と変化している。

・横軸に非日常-日常の軸を、縦軸に他人の物語と自分の物語を取ると、
①非日常×他人の物語 は「映画」
②日常×他人の物語 は「テレビ」
③日常×自分の物語 は「生活」
④非日常×自分の物語 は「祝祭」

・ディズニーランドやフェス・ハロウィンなどの④はポピュリズムと結び付きやすい。③へのアプローチこそが今日の暗礁に乗り上げた民主主義を再生し得る。

・非日常に動員するのではなく、日常に着地したまま個人が世界に接続すること。外部に越境することなく内部に潜ること。そうすることではじめて人間は世界に素手で触れられる幻想をそれに溺れることなく受け止めることが出来る。


【第3章】

・人間がその世界を認識するために機能する3つの幻想
①自己幻想(自己像)
②対幻想(1対1の関係性)
③共同幻想(集団が共有する目に見えない存在)

・20世紀はイデオロギーによって強化された共同幻想の時代。
団塊世代は革命という共同幻想から「自立」するために、核家族を築く「生活」という対幻想にアイデンティティの置き場を移行させた。

・しかし、その対幻想を足場にした「自立」とは性差別による尊厳の獲得であり、また彼らは「妻子を守る」ことを免罪符にして会社組織における思考停止を実現していった。
そしてこうした組織の多くはボトムアップの「空気」が支配する共同体だった。

・トップダウンのイデオロギーからの「自立」がボトムアップの共同体への「埋没」を誘発してしまう問題が生じた。この状況を打破するため、バブル期には戦後的な中流幻想(大衆の原像)から「自立」するために、個であるための「消費」という自己幻想を強化させた。

・かつては独立して存在していた3幻想が、現代では境界が融解し接続されている。これによって、共同幻想の優位が解体し、自己幻想が肥大化している。

・今日の情報化社会においては、
①自己幻想=プロフィール(FACEBOOK)
②対幻想=メッセンジャー(LINE)
③共同幻想=タイムライン(TWITTER)
十分に自己幻想を記述できない自信のない人々が「いいね」(対幻想)に執着したり、タイムラインの潮目を読んで世間に「物申す」ことで自分を慰めている。

・3幻想が接続され外部が消失した今、「自立」は不可能である。必要なことは
①自己幻想の肥大を抑制すること。
②対幻想に対しても共同幻想に対しても、適切な進入角度と距離感を常に調節し続けること。
③世界に対して調和的に関係し続けること。


【第4章】

・「遅いインターネット」とはスロージャーナリズムの手法を踏襲しつつ、自分たちがスローな発信を行うだけではなくスローに読み、考え、そして発信できる読者の育成に主眼を置きたい。

・前世紀まで「読む」ことが基礎で「書く」ことが応用だった。しかし現代ではインターネットに文章を「書く」ことの方が当たり前の日常になり、まとまった文章を「読む」ことの方が特別な非日常になっている。

・まずは良質な発信を動機付け、その過程で書くためには読むことが必要であることを認識させる。そして読む訓練を経た上でもう一度書くことへの挑戦を求める。

・価値のある情報発信とはYESかNOかを述べるのではなく、対象を「読む」ことで得られたものから自分で問題を設定し、世界に存在する視点を増やすこと。人間は共感した時ではなくむしろ想像を超えたものに触れたときに価値転倒を起こす。そして世界の見え方が変わる。この行為を「批評」と呼ぶ。

・世界における自分の位置を正しく把握する視線(世界視線)と、自分が立っているこの場所に深く潜る視線(普遍視線)、「書く」行為は二つの視点の往復運動を行い前者の中に程よく後者を組み込むための試行錯誤。これを継続することこそが自己幻想の肥大に耐え得る主体の条件である。


 

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