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短編小説集【恋する20世紀】~解説『月刊京都かわらばん』について

京都に〈かわらばん〉があった頃
~解説『月刊京都かわらばん』について

■タウン誌の先鞭をつけた『プガジャ』
 1970年代初旬から中盤にかけ、従来のマスコミではなかなか取り上げられることのなかった、都市エリアの情報を詳細に拾い上げ発信するタウン誌(ミニコミ)が広がりはじめました。
 先鞭をつけたのが、『プレイガイドジャーナル』略して『プガジャ』です。1971年に大阪で刊行され「日本で最初の情報誌」と言われました。その後を追って、『ぴあ』や『ウォーカー』などが世に出てきます。『プガジャ』はその元祖ともいえる存在でした。
 1976年になって、京都エリアをターゲットにしたタウン誌『月刊京都かわらばん』が誕生しました。さらに1977年には神戸から『京阪神エルマガジン』略して『エルマガ』が出版され、京阪神3誌が出そろいました。

■京都のエリア情報誌『月刊京都かわらばん』
 『月刊京都かわらばん』の創刊は1976年。編集室は京都市右京区花園巽南町にありました。まだ市電が走っていた西大路と丸太町の交差点、西ノ京円町からとことこ歩いて7分くらい。住宅地の中の一軒家で、小さな玄関の戸をガラガラと開けて茶の間に上がると、そこが編集室。冬場にはこたつがあって、縁側には写植機(といってもわからないか?)が置いてあるという風情です。
 当時の発行部数は公称で「プガジャ7万、エルマガ5万、かわらばん3万」 と言われていました。ただし『京都かわらばん』は、実際には公称の半分くらいでした。老舗のブランド力と大阪市場を押さえているプガジャ、神戸新聞の資本力で京阪神一円をネットワークに組み入れたエルマガに押され、苦戦を強いられていたのがかわらばん(小さな京都マーケットで、しかも会社でもなく個人事業のミニコミ誌・・)という図式でした。

■タウン誌の衰退、WEBへの変移
 結果として『月刊京都かわらばん』が出版されていたのはわずか2年ほどでした。創刊号から全26号の刊行を経て、1978年の冬眠号を最後に活動を終了しました。
 さらに時代は移り、プガジャは1987年に、エルマガも2008年に、それぞれの役目を終え廃刊となりました。
 ちなみに東京発の情報誌『ぴあ』は1972年に発刊し、「東のぴあ、西のプガジャ」と並び称され、2011年まで刊行を続けました。角川書店発行の『ウォーカー』は1990年創刊、1994年に関西版を出し、2021年終刊。
 21世紀の現代社会では、エリア情報はWEBが発信を担うことが当たり前になりました。

■『N市発気まぐれ電車』について
 さて今回の『恋する20世紀』短編6話(N市発気まぐれ電車)は、『月刊京都かわらばん』の1977年9月号から1978年5月号にかけて不定期連載で掲載されました。誌面1ページにちょうど収まるショートストーリーとして書いたものです。当初は秋から冬にかけての連載を考えており、内容も季節を意識していましたが、出版側の都合で最終話は初夏にずれ込みました(誌面では掲載時期が季節外れになったことのおわびが告知されています)。
 短編各話は、それぞれ独立していますので、どれから読んでいただいてもかまいません。ただし「暗号もしくはラブレター」と「雪、またはハッピーエンド」は連続性があります。

◎よろしければ下記のリンクからお越しいただければ幸いです。

【短編6話・N市発気まぐれ電車 初出一覧】
・第1話『赤い傘』1977年9月号
・第2話『丹下左膳のウィンク』1977年10月号
・第3話『終電車』1977年11月号
・第4話『白い羽根』1977年12月号
・第5話『暗号もしくはラブレター』1978年2・3月合併号
・第6話『雪、またはハッピーエンド』1978年5月号


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