学校

私が勢いで全寮制の先生になった結果(教員編③)

自宅警備員有力候補から脱却すべく、全寮制高校の教員採用試験を潜り抜けた私。大学卒業後、無事社会人としての生活をスタートさせるものの、早速多くの壁にぶつかることになるのであった。

これはポンコツ高校教員が体験したすこし変わった全寮制高校の記録である。

学校における贔屓

学校において教師が特定の生徒を贔屓していると感じたことのあるという人は多いのではないだろうか。実際に北九州女子短期大学が2010年に発表した紀要によると、アンケートに回答した学生さんの過半数が「高校までの間に特定の生徒を贔屓していると感じさせる教員がいた」と感じていたそうだ。

さて、私が勤めていた学校でも例に漏れず、教師が特定の生徒を贔屓しているような言動が見られた。ただし、ここは全寮制である。学校生活も寮生活も共にする以上、一般の学校のそれよりも顕著なのである。

今回は、私が同じ寮の寮監をしていた先輩から実際にアドバイスされた内容を紹介していこう。

贔屓は全寮制での賢い息抜き(女性教師Aの場合)

A先生は、生徒を自分の中で以下のようなグループに分けて接し方を変えていた。

『お気に入り』組(常時5人程度+担当部活の生徒)
『普通』組(お気に入り組以外の男子生徒はここ)
『嫌い』組(素行不良者含めた女子10人前後)

※お気に入り組の5人は、2人を除いて頻繁に入れ替わりしていた。場合によっては5人以上になることもあった。
※嫌い組は女子のみで構成されていた。素行不良で3人は常時ここに所属だったが、残りはA先生の気分やお気に入りからの情報によって入れ替わっていた。

上記のグループ分けの時点でかなり教育上宜しくない事はご理解頂けるだろうが、もう少しお付き合い願いたい。
彼女曰く、「教員ごとにお気に入りの生徒がいれば、生徒は誰かしらに依存できるから問題ない。」という建前であったようだ。

しかし、彼女の場合は極端に扱いが変わるのだ。

まず、お気に入り組に入ることが出来た生徒は先輩が宿直の日に寮監室で深夜のお菓子パーティーに参加することができる。

通常、学寮の消灯時間は23時であり、自習や部活動の個人練習などの理由があれば事前申請制で25時まで活動してもよいというルールとなっていた。
勿論、次の日の起床時間に遅れた場合は、次の日からの延長申請は許可されない。

しかし、A先生のお気に入り組は消灯後の行動について延長申請が必要ない。
消灯後に寮監室に集まればお菓子食べ放題、夜遅くまで携帯で動画を観ながらおしゃべりに興じることができるのである。

更に、A先生が寮監当番でない時は夜間に学校外へ生徒を連れ出すこともあった。学校が田舎にあった事もあり、コンビニで買い食いやドライブ程度であったが他の生徒から見れば特権階級のような扱いであった事は容易に想像できる。
ちなみに、私も生徒から夜間に連れ出して欲しいと懇願される事が多く頭を悩ませていたが、大半の生徒はA先生はやってた!と主張していたことから公然の秘密だったのだろう。

他にもお気に入り組しか入ることが許されないサークル活動(学園理事が顧問担当!)存在したり、学校設備使用を優遇したりと大小様々な贔屓があった。
実在する学校でA先生が在職中の3年間で実際に行われていたと考えると恐ろしいものがある。

ちなみにA先生は、贔屓を行う理由として

・将来社会の中で贔屓は必ず存在する為、比較的心が弱い生徒達が自立するには今から相手に好意を持たれるよう努力する練習をさせるべきだ

・新人教員にとって、お気に入りの生徒の存在が時に精神を安定させるための助けになるし、自分自身の息抜きに繋がる

・新人教員が生徒に溶け込む為には、数人の女子生徒に好かれる事が何より重要。彼女たちは情報を持っているし、気に入られれば他の生徒にも良い噂が拡がるから生徒指導が楽になる

などと私たち後輩に説明していたが、今日に至るまで私は全く理解できていない。

全寮制での贔屓で恐れていたこと

彼女の例は極端であったかもしれないが、この学校においては半数以上の教員がお気に入りを作って心の安寧を図っていた。

閉鎖的な環境、教員同士での派閥争いで疑心暗鬼に駆られた教員達の依存心が生徒に向いていたのである。

これが全寮制高校での教育上、いかに愚かで恐ろしい行為であるか想像に難くないだろう。
通学制と違い、生徒達にとって学校が全てであり、従うべき大人は教員だけ。
そのような環境での贔屓は、生徒同士の人間関係にも大きな傷として残るだけでなく、教員=大人への不信感へ繋がってしまうのである。

それに加えて、生み出される負の要素は余りにも多い。
生徒間で生まれる妬み、贔屓をきっかけに生まれるいじめ、対立する教員の贔屓達による揉め事、相談できる教員の選択肢は減り、多感な思春期の心は摩耗する一方である。

そしてその先に待っているのは、問題行動の発生と退学者の発生である。

一度信用を失った教員の指導など、生徒は聞かない。
静止が効かないままエスカレートする孤独と不信感がやがて、安らぎを得る為の性交渉やストレス発散の為のリストカット・盗癖の発生を誘発するトリガーとなってしまうのである。

上記のような素行不良や危険行為があれば、学校側は生徒を預かり続けることは出来ない。最後には深い心の傷を残したまま退学してしまうのだ。

この連鎖こそが、贔屓が生み出す最も恐ろしい結末。
またいずれ書くことにするが、この学校における年間40人程度の途中退学者のうち、3割は先にまとめた問題行動が原因で退学している。

今現在、その学校で働く教員はここまで贔屓が蔓延っているのは思わないが、この時学校を去った生徒達を思うと今でも申し訳ないと感じてしまうのだ。

私の反省

最後に私自身の後悔と反省をここに残したい。
この記事を書いている中で、自分は贔屓をしない教員であったと堂々と言えるのだろうかと考えた。

やはり私もまた生徒に依存し、目をかけていた生徒は居たのである。
勿論、ワザと贔屓する事はしていないし、成績等の評価の場面に個人的感情を反映する事は決してしなかった。

しかし、やはり生徒から見れば私にもお気に入りの生徒がいて、優遇していると思われていたのかもしれない。

私が教壇を離れた時、きっかけには生徒とのトラブルがあった。
その生徒は「先生は部活の中で生徒を差別している」と強く感じていたそうだ。

彼にとっては、私もA先生も変わらないのだ。

もう会うこともできない教え子達だが、彼らを傷付けない為に何をすべきだったのか5年以上経った今でも時々考えてしまうのであった。

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