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信楽焼タヌキはなぜ”街中で目に留まらない”のか? part1

ご無沙汰してます、けいおうタヌキ研究所です。

思えば実に4年ぶりの投稿。
ひっそりと生きて、信楽焼タヌキの研究活動に勤しんでおります。

さて、意味もなく物思いにふけることが増えてきたこの頃。
今までなんとなく気になっていた疑問が再び浮かんできた。

なぜ、街中の信楽焼タヌキは人の目に留まらないのか?
(あんなに特徴的な見た目をしているのに!)

ここで言いたいのは、お店や民家に置いてある信楽焼タヌキのことを、通りがかる人々がほとんど注目しない、目に留めないということだ。

よくよくみれば、動物のタヌキには似ても似つかぬその姿。
二足歩行で徳利片手に微笑みかける容態。
赤子に抱く愛らしさを備えたあの置物は明らかに異質で、注目せざるを得ないはず。

こんなに可愛いのに

都心にも数多く存在するはずなのに、いったいなぜ、人々は信楽焼タヌキを目に留めないのだろうか…?
今回はそんな謎について、考えてみたいと思う。

(信楽焼タヌキってなんぞ?という方はこちら)


◽️1.なぜタヌキが「人の目に留まらない」のか?

まずは「目に留まらない」がどういった状態か、少し整理してみよう。

「目に留まる」の意味・読み・例文・類語
め【目】 に 留(と・とど)まる
① 心がひかれる。[注意]が引きつけられて[印象]に残る。気に入る。
② あるものに目をつける。目に入る。

コトバンク[精選版 日本国語大辞典]より引用

つまりは、「目に入り印象に残ること」、あるいは「ただ目に入る」ことを指すらしい。

逆に言えば、目に留まらない状態は以下どちらかになるものと思われる。

(1)そもそも視界に入っていない
(2)視界には入るが、注意を向けない/意識に残らない

上記で言うと、どちらが多いだろうか?
それぞれのパターンで見ていきたい。

◽️2.仮説(1)そもそも視界に入っていない

ブログを執筆する前、個人的にはこのパターンが大半かと思っていた。実際信楽焼タヌキの話をした際、以下のような反応をもらうことがよくある。

「え、表参道にもいるんですか?」

いる

「え、有楽町駅にもいるんですか?」

いる

このとおり、いるのである。
都会らしさのない信楽焼タヌキ、「えっ、こんな堂々と置かれてるんだ」くらいの反応があってもいいのに…。

この原因については、以下のような理由が考えられる。

  • 信楽焼タヌキが周辺に溶け込みすぎて目立たない

  • 周辺の情報量が多すぎて視界に入らない

  • そもそも通行人が街中の情報に目を向けない

特に都会にフォーカスすると、タヌキ自身以上に周辺の「場所」と「見る人」の影響が大きいかもしれない。

ということで今回は、「場所」と「人」について深掘りしてみたい。

原因1. 「場所/周辺」に原因がある

こちらの具体例としては以下である。

  • 信楽焼タヌキの置かれる周囲の情報量が多すぎる

  • 信楽焼タヌキの近くにより目立つものがある

前者の場合は、例えば表参道のタヌキが該当するだろう。

表参道の交差点付近に置かれている

よく見れば、都会的なイメージの強い表参道に古びたタヌキが置かれていることに違和感を覚えるはずだ。

対して、周囲には信号、アパレルショップ、カフェ、広告(看板やディスプレイなど)といった情報であふれている。

(ちなみにこちらのページの写真で見える「青緑のビル」にタヌキがいる)

遠方から見ると、とてもとても信楽タヌキの存在には気づけないことがわかるだろう。

また、後者の「より目立つものがある」については「そもそも置かれている店自体が派手」であったり「大きな看板や食品サンプルがある」場合などが該当する。

いずれにせよ、都会においては「場所/周辺」の影響を多分に受けて、信楽タヌキが霞んでしまっている例は少なくないはずだ。

原因2.「目にする人」に原因がある

次に、こちらは以下のような例が挙げられる。

  • そもそも通行者が(タヌキを含む)周囲のものに目を向けない

  • 目的地に急ぎ目を向ける余裕がない

前者はたとえば「友人知人との会話に夢中になっている」、「歩きスマホをしている」、「何度も歩き慣れ親しみすぎている」といった理由から、タヌキに限らず街中の情報に目を向けない場合。

後者は、「通勤」や「通学」など目的地に向かうことを第一に考え、周囲の情報に目を向ける余裕がない場合だ。

後者の例としては、有楽町駅地下のぽん太の広場が顕著だ。

東京メトロ有楽町駅地下コンコース

有楽町を利用する知人は多い一方、こちらの信楽焼タヌキが数多く並ぶスポットについては「存在自体知らなかった」と言う方がほとんどであった。

マイクを持ったタヌキもいるよ

ちなみにこちらは信楽町と有楽町のコラボ的スペースで、かつて有楽町駅に駅長がお土産で買ってきた信楽タヌキが置かれたことが始まりだそう。

実際に歩いてみるとわかるのだが、通勤ルートの道中に置かれているので、注視しないと見つけられないなんてことはない。

そのため、朝や夕方にこの道を歩く大多数の方が、仕事や学校、家のを考えごとをしているため、周囲の情報が入って来づらい状態になっていることも一因としてあるかと考える。

都会における有力な要因は?

都会という観点で見れば、着目したいのはやはり「場所の情報量」だ。

つまりタヌキそれ自体の空気が薄いのでなく、周囲に同等に目を引く存在があまりにも多いため、相対的にタヌキが目立たないのである。

山道や田舎で見かけた信楽焼タヌキを見逃すことはないのではないだろう。
初めて尋ねた田舎道、駅から目的地まで一直線に歩く場合でも、道端のタヌキは少なくとも”視界には入る"はずである。

他方、都心においては目的のお店を見つけることさえ困難。
店頭に飾られているものに目を向けることはなお少ないだろう。

視界に入れば、タヌキは人の目に留まる?

それでは、逆に周りの情報量が少なければ人々はタヌキに注目するのだろうか?

実は、それもそうとは言い切れない。

実体験として多いのは、私が「信楽タヌキを研究しています」と話をした後に「そういえば実家にタヌキが置いてあったけど、全然気にしてませんでした!」と気づくような声だ。

これはつまり、今まで身近にあって、視界にも入っていたにもかかわらず、全く目を留めてこなかった例に他ならない。

ともすれば、次に取り上げる「視界は入るが、注意を向けない/意識に残らない」原因にその理由を見出せるかもしれない。

次回は、この2つ目の仮説を掘り下げてみたい。
タヌキが注目されない原因がわかれば、反対に「どうすれば注目されるか」もわかるはず。

こんな風に、信楽焼タヌキについてあれやこれや考えることに人生を捧げることを善しとする方は、ぜひけいおうタヌキ研究所に入会ください。

信楽焼タヌキをもっと知りたいという方向けの入門はこちら↓


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