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「在宅vs出社」のマネジメント

在宅か出社か?の二者択一の議論は、もはや陳腐だし意味がない。どちらを取ってもメリデメあるのは分かりきっている。

コロナが明けて、もうリモートじゃなくてもいいよね、やっぱり大事な議論やコミュニケーションは対面じゃなきゃ。という雰囲気が強まる職場も出てきているなか、いやいや、出社しなくても仕事は成り立つことは証明されたじゃん。という派も当然いるわけで。

マネージャーとして意識しないといけないのは、どっちに寄せるか?ではなくて、出社派と在宅派が混在する組織のマネジメント、ハイブリッドでうまくやるためのマネジメント、だと思う。

職種によっては、出社寄り、在宅寄り、はあるだろうが、それでもハイブリッドの姿を模索することは、これからは必須だと思う。

では、どちらもアリ、という中立のスタンスでよいのかというと、それも違う。それはただの中途半端。

以前、「管理職として飲み会参加率は50%くらいを心がけている」という記事を投稿した。
これとちょっと通じるところはあるのだが、出社率に関しては、飲み会よりも気を違うし、そのコントロールはマネージャーが責任を負うべきところである。

そして、二者択一ではない、と言ったことと矛盾するかもしれないが、働き方改革や人材不足解消が社会的課題である今、完全に出社回帰、は有り得ないと思っている。在宅でも(というか場所にとらわれず)成果を出すにはどうしたらいいか、真剣に考えるべきフェーズがきている。コロナ最盛期は、100%のパフォーマンスが出なくても仕方ないよね、という暗黙の甘さがあったと感じるが、今は違う。

先日、X(旧Twitter)に流れてきたポストに、「在宅は福利厚生ではない。在宅でも成果を出せる人が求められる」みたいなのがあって、そうだなと思った。それは個人レベルだけでなく、チームや組織でもそうあるべきで、個人としてもマネージャーとしても、努力や心掛けが必要なのだ。

メンバーを孤独にさせないためのこまめな声かけや1on1、進捗状況や課題をタイムリーに把握する仕組み作り。メンバー自身も、生活のリズム作りやこまめなホウレンソウ、マネージャーやチームへの協力姿勢。など。

これは以前の投稿記事「ホワイト企業のブラック職場」で書いた、「ホワイトを享受するためには努力が必要」の1つの例といえる。

先日、職場でこんなことがあった。

ちょっとプロジェクトで深刻な問題が発生していて、もうこれは皆で膝を突き合わせて話そう、となった。リーダークラスの20名ほどが大きめの会議室に集まって議論した。皆活発に発言し、すごく良い場となった。やっぱり対面で集まって話す空気感は違うな、大事だな、と皆が感じた。次もこのメンバーで、定期的に集まろう、となった。

と、これ自体は良いのだが、実はこの会議、リモート参加者も数名いたのだ。しかも、役回り的にファシリテーターを担う人がリモート参加となり、熱気溢れる会議室をリモートでまわす、という高難度ファシリテーションが求められた。

うまくいくはずがない。結局、彼のファシリテーションは形ばかりのものとなり、実質議論を主導したのは会議室にいる声の大きなメンバーだった。ファシリテーターの彼にとって、この会議がどう映っていたかは分からない。もしかしたら、無難にやれていた、と思っているかもしれない。会議室の熱気は伝わっていないかもしれない。zoomで共有された資料とは別に、会議室でホワイトボードが使われていたことにも気づいていなかったかもしれない。

一方、会議室参加者の目には、「あいつ、何やってんだよ」と映ったのは間違いなく、ここでメンバーの間に分断が生まれてしまうのだ。はっきりいって、俯瞰的には「悲惨」な会議だったと思う。

でもこれは、リモート参加者が悪い訳ではなく、会議の趣旨をきちんと伝えて全員集められなかったのが悪いし、もしくはリモートとのハイブリッドでやるにしても工夫や配慮があるべきだった。完全にマネージャーが悪い。はい、私が悪い。

こんなこともあり、私の職場は出社回帰気味で、もう出社に振り切りましょうよという圧を受けつつ、やはり反対勢力もあって、何とかせねばと頭を悩ませている。

私の想いとしては、あくまで在宅に軸足を置き、しかしコロナ時代の意識からは脱却すること。そのために何をすべきか考え、浸透させること。出社でなければダメなことは明確にして、メンバーの納得感を獲得すること。それでもハイブリッドに拘り抜き、リモートでしか無理な人が置き去りにされないような仕組みと意識をつくること。

あーあ難しい。
コロナ最盛期が懐かしい。



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