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トイレに行くのと同じくらい自然にできることをやる

 「トイレに行くのと同じくらい自然に、行動できることをやる」。少し前から、私が創作活動や物事の選択の場面で意識していることだ。

 まず、頭で考え打算で行動するよりはるかに心身が健やかに保てる。それから、「自然に行動できる」というのは言い換えれば、心理的負担がない、リラックスした状態なので、アイデアも湧きやすいし、視野も広くなる。結果、ラクなのに物事がうまくいきやすいと、40年あまり生きていて確信したからだ。

 「直感に従う」みたいな感じなのかもしれないけど、なんかふわっとしているので、「トイレに行くのと同じくらい自然にやろうと思えることか?」と自分に問うようにしている。

 かつての私は、何者か(=ちょっとした肩書きがある人)になりたくて、あたまでいろいろ考えてうまく行かせようともがいていたんだけど、大してうまくもいかないし、「うまくいかせよう」という意識は、すなわちリラックスしていないので楽しくもないのである。

 で、やってこない未来にすがりつくのはやめて、素直に心から今やりたいことをただ楽しくやろうと思ったら、本業の仕事への不満や何かを成さねばみたいな強迫観念や何かが足りないという欠乏感も消えて、100%の幸せを感じることができるようになり、ああ、人生ってこうやって進めていけばいいんだ、と思ったのである。

 思い返してみれば、過去に望みがかなったり、ステージアップしたり、そういった出来事を作ったきっかけは、「それをやらずにいられない心理状態」もしくは、「たまたま見つけて、とかたまたま声をかけられて」みたいなときがほとんどのような気がする。しかも、逆に失敗したことの多くは無理をしたとき……。

 平日に毎日投稿しているこちらのnoteでの執筆でもリラックス&ナチュラルアクションがいかに大事かを痛感している。

 まず、「エッセイを書く!」と決意し執筆しているのも、リラックス&ナチュラルアクション、トイレに行く感じで自分の「やりたい」に素直に従った結果だ。で、これは自分なりにはとてもうまくいっている。もっと早くやればよかった。「お金にもならないし、エッセイストになんてなれないし」と考えていた。そのわりにはなんか背伸びしてよくわからないことを書いていた気がする。

 それから日々の更新も、リラックス&ナチュラルアクションである。「頭で何を書こうか?」とがんばってネタを考えても、これが、びっくりするくらい何も浮かばないのだ。

 ネタが浮かぶのは、何か別のことをしているときや面白いことに遭遇したとき、もしくは寝る前やぼーっとしているときなど。そんなときに浮かんだネタは、自分の心に従った結果なので、比較的スラスラかける。リラックスしている状態をつくることは、人生の選択や創作活動にとっては必要不可欠だと思う。

 この先、自費で本でも出したいなと考えているし、本業も有期雇用なのでいつか転職かフリーになるかなどの選択もするだろうし、フリーのライターの仕事も探しているような探していないような、という感じで、結構ふらふらした身分なのだけど、昔(というかつい数ヶ月前)のように、悩むことがなくなった。

 「トイレに行くのと同じくらい自然に」やろうと思える事やタイミングを、そのときそのときで選択していけばいいだけだ。

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