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盆栽とは。盆栽美術館で見たもの

 「盆栽美術館に行こう」と言われた。盆栽と聞いて、連想したのは『サザエさん』の波平。おじいさんが庭で愛でている渋い草木、恥ずかしながら盆栽への認識はその程度だった。

 足を運んだのは東京江戸川区にある「春花園 BONSAI 美術館」。実際に訪れてみると美術館という言葉から想像するような建物はなく、あるのは職人さんたちの作業場と日本家屋。そして、白砂と数え切れないほどの盆栽が屋外に広がっていた。800円の入館料を支払い、案内係の人と一緒に中へと進む。

 あっちを見ても盆栽。こっちを見ても盆栽。世界的にも有名な盆栽職人の美術館なだけあって、春花園にある盆栽はさすがに見応えがある。優雅な舞を披露しているかのようなフォルムの盆栽、絵画のように完璧に整えられた盆栽、突風にさらされたように大きくうねった松は、白い幹に自然の壮大さが感じられる。一つの松の幹に白い部分と茶色い部分があるのがが不思議だったが、白い部分は死んでしまっているそうだ。生きている幹と死んでいる幹が織りなすコントラストは、神秘的な空気すらかもしだしている。

 数々の盆栽とその美しさに圧倒されるとともに、私は自分がガリバーにでもなったような錯覚に陥った。一番多かったのは松で、普段、松林や寺や景勝地などで見る自分の背の何倍もの松が、ミニチュアサイズ(といっても、大きいものだと50~60㎝ほどはるけど)で数え切れないほど並んでいたから。

 百聞は一見にしかずというが、この美術館に来てガリバーになりミニサイズの松を見渡すと盆栽がどうゆうものなのか、腑に落ちた。
 ときには幹を曲げて自然の壮大さを表現したり、踊っているように生き生きとしたフォルムを造りだしたり、雨風にさらされ何百年も生き抜いたような強さを表現したり。盆栽は、単に植物を育て愛でるものではなく、自然を表した芸術作品らしい。鉢に収まるサイズの小さな植物とその空間に、自然の壮大さや尊さが潜んでいる。鉢の中という限られたスペースながら四季に応じて景色がかわる作品もある。まるで“地球の一部を切り取って育てている”ようにも見える。絵画や彫刻など様々な芸術作品でも自然を表すことはできるけど、草木で表現するだけに迫力や臨場感では盆栽にはかなわないのでは? なるほど、これが盆栽の魅力かぁとひたすら関心したのだった。

 ちなみに、盆栽の起源は中国の「盆景」というもので、盆の上で砂や木を見立て観賞するものだという。平安時代に日本に盆景が伝わり貴族の間に広まっていき、年月を経て鉢で草木を育てる日本独自のものに落ち着いていく。意外にも「盆栽」という名で庶民に広く浸透していたのは、明治時代なのだとか。近年では、海外からの評価も高まりつつあることに加え、手のひらサイズの盆栽など、より手軽に楽しめるものとして人気が広まりつつある様子。

 盆栽美術館では、美術館の創設者で世界的にも有名な盆栽師の小林國雄先生もいらっしゃった。訪れた日は、先生ご夫婦のご結婚記念日で、お二人のためのケーキのお裾分けとコーヒーをいただき先生が出演されたテレビの録画を見ながらしばし歓談。さらには、お土産に、さつきの若葉をいただいた。というわけで、今、人生で初めて盆栽を育てている。といってもまだ水をやっているだけなのだけど。いつか私も“小さな地球の一部”を作り出すことができるのだろうか。

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