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祖父母の故郷での話②

 前回こんな記事を書いたが、あれから半年以上が経過してしまった。

 ずいぶんと間が空いてしまったがとりあえず、祖父の3回忌の続きを記しておきたい。

 祖父母の故郷である山形県南陽市にて、無事に法要を終え、長男Kおじさん(正確には私にとっては大叔父)が駄々をこねてすったもんだした後、祖母の兄弟姉妹とその配偶者含め7名、私と私の母と叔母、総勢10名で、合宿所のような宿に一泊する(人数が人数なのでここしか空いていなかったらしい。ちなみに前日、私以外の何人かで温泉付きの宿にすでに一泊していたとのこと)。

 部屋は、女と男でそれぞれ一部屋ずつの大部屋だった。宿について、女部屋で茶を飲みながら、たわいのないおしゃべり。

 そのうちKおじさんがともう1人、Mおばさんの旦那さんがやってきて、Kおじさんの携帯電話の操作について四苦八苦していたため、私がヘルプで登録を手伝う。登録後に、私の母が操作方法を教えるも、ほぼわかっていない様子。簡単ケータイを使用中だか、どうやら、発信することは短縮に登録されている3件しかできないらしい。

 それから宿にカメムシがあちらこちらに登場し、手に負えなくなり旅館の方に退治をお願いしたり、おばあちゃんの妹で漬物名人と皆から讃えられるM子おばさんがつけた、すもも漬けと茄子の漬物をつまんだり。そんなこんなしているうちに、夕食である。

 宿の夕食会場は、貸切であった。他にも会場があるのか、他の人は部屋食なのか。定かではないが、そう広くない、食堂といったガランとした雰囲気の会場にずらりとテーブルがつけてあり、各自席に着く。

 天ぷらとかお刺身とか鍋とか日本の宿の定番料理が並ぶテーブルに、とりあえずビールは数本。ばあちゃんの兄弟姉妹や亡くなった祖父は(その配偶者たちもだが)皆お酒が好きで、私の酒好きとそこそこ飲める体質(最近かなり弱くなってきたが)は、彼らから受け継いでいるものと実感する。

 と、乾杯後しばらくして、テーブルに、ビニール袋に入れて隠してる風で、隠れてない、漬物瓶が2つ。

 漬物名人M子の漬物を、兄弟姉妹たちが嬉しそうにつまんでいた。もちろん、私も、さきほど部屋にいるときに食べたが、またいただく。すももは、甘すぎずさっぱりとしていて美味。小茄子の漬物は、パリっとした食感が素晴らしい、味わいもしょっぱすぎず茄子の爽やかさを120%発揮しました!という感じで、いくらでも食べられる。

 「本当に美味しいね、どうやってつけるの?コツはあるの?」と漬物名人の妹に聞くFおじさん。

 そんなこんなで、おしゃべりにも花が咲く。おばあちゃんは、楽そうにしながらも「ケンゴロウさんもいたらねえ…」とおじいちゃんのことを偲んでいた。

 途中、1人、酔いが回って、先に部屋に退散するハプニングや、高齢ならではボケっぷりが顕著になってきた長子であるおばあちゃんや長男KおじさんのボケっぷりにFおじさんがツッコミを入れるなどの出来事を経て、お開き。私は、見慣れない光景が面白く、また法要とはいえ初めてきた土地に旅行気分であり、ビールをがぶ飲みしていた。

 翌日は、Kおじさんの家に行き、柿狩り。と柿を取るのは、元気で体力もあるFおじさん。

 Kおじさんのお宅にもお邪魔した。Kおじさんの娘であり私の母のいとこもいらっしゃった。お仏壇にお線香をあげさせてもらう。私のひいお婆さんと、ひいひいおばあさんの写真があった。
 ひいおばあさんには一回か二回、会ったことがあるし、写真も見たこともあるけど、ひいひいおばあさんの姿を見たのは初めてだった。明治生まれだが、洋服姿で、その頃は進んだ装いだっただろうと、母と話をする。

 おじさんの家の裏山で狸に出くわすなどのアクシデントもありつつ、団欒しつつ、ゆったりとした時間を過ごしたのち、お開き。

 祖母と母と叔母は住まいがある静岡へ帰る。千葉に住むFおじさんとその妻とMおじさんは車で移動。Fおじさんの奥さんは別れ際、「まみちゃん(私)千葉にも遊びにきてね」と言ってくれた。Fおじさんの奥さんは、大変上品でかわいらしいオーラを放っている人だ。宿で女性同士一緒に過ごしているうちに、祖母やMおばさんがおしゃべりで何かおもしろいことを言う側で、それに私とFおじさんの奥さんがくすくすと笑う側、という感じになっていた。なので笑っていると自然とFおじさんの奥さんと目が合うことが多くて、ちょっと距離が縮んだようが気がしていて、それが印象に残っていたのだけど、最後に名前を呼んで挨拶をしてくれて、うれしかった。

 私はというと、温泉に浸かってから帰りたいので、赤湯の駅をぶらぶらしてから帰路についた。

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