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高校時代のクレイジー国語教師の話

・最近のマナー講師の炎上やweb記事を読むと、学生時代遭遇した「クレイジー国語教師」のことを思い出す。
・クレイジー国語教師は「礼節」に関する私の反面教師だからだ。
・小中高大16年も学校に通えば、必ずどこかでクレイジーな学校の先生に遭遇するが、その国語教師は群を抜いてクレイジーだった

・クレイジー国語教師は高1〜2の時の現代文、古文両方の担当だった
・高校生活3年間隣のクラスの担任だった
・今振り返っても本当に自分の担任でなくてよかったと心から思う

・一番クレイジーだなと思ったことは「クラスの始業時の挨拶が気に食わないから1週間授業をしなかった」こと
・起立、礼、着席、の挨拶の際に、友達と会話しながら礼をしたのが気に入らなかったらしい
・「以前同じことで注意をしたのに聞かないお前らが悪い、このクラスの授業は一切しない」と言い残して職員室に戻った
・クラスメートは真面目な人たちだったので、該当する生徒が職員室まで謝りに行った
・それでも断固拒否の姿勢を貫き、授業を一切しないの一点張りだった
・その日はただただみんなで教室にいた

・次の国語の授業の時間、クレイジーな国語教師は現れた
・「授業料は払ってもらっているから教壇には立つ」
・「ただ一切話さないし、質問にも答えない」
・「ただ黒板に解説をひたすら書き、ひたすら消す」
・「必要があればノートをとれ、書ききれなくても俺は待たない」
・そう言い残し怒涛のように黒板に文字を書いては消していく
・まさにクレイジーの所業

・数日続いたところで、クラスメートが担任に相談した。
・担任、めっちゃ困惑した顔をして「隣のクラスの先生に話してみる」と言ってくれた
・翌日のホームルームで担任に言われたのは「話したけどこのクラスの授業は一切やらないの一点張り」だということ
・担任、超困惑した顔をしていた。当然。
・その日もそんなことが続いた

・その日の帰り、また担任が話してくれたらしく、次回から普通の授業をすることになった。
・担任GJ、しかし困惑した顔をしている。

・その後、宣言通り通常の授業に戻った。
・ただ開口一番「俺はお前らのことを許したわけではない、授業はするが差別はする」という趣旨のことを言われた。
・クラス全員ドン引き

・それから15年が経ち、私もいい歳になった。
・今、この出来事を振り返るに「あれは教師という仕事をする人間の行動ではないな」と改めて思う。

・そもそも礼節を重んじるならもっとやり方がある。
・そもそも授業を受けている生徒への礼がなってない。
・自分の言うことを聞いてくれなくて傷ついた八つ当たりの行動にしか見えない。
・なぜ礼節が必要なのか?感情で訴え過ぎている。
・むしろ恐怖心を与え、脅しのような態度、言葉を使う姿勢は教育ではなく「支配」そのもの。
・支配は教育ではない。
・己の幼稚さに打ち勝つことができなかった人間の行動そのもの。
・こんな礼節の教え、孔子もびっくりだわ。

・「礼節」を重んじるタイプの人間はこんな人しかいないのだろうか。
・「形」だけでなく「心」が伴っての礼節
・それならば相手の心を動かす教えを解くのがベスト

・「二度と授業しない」「許さない」なんて言葉は自分の感情だけで相手への心がない
・もちろん許すことが全てではない
・「許さない」のを貫くのは自由だが、教壇に立つ人間がする行為としてふさわしいだろうか?
・「礼を尽くしたらもっと良くなる」ことを伝えられるほど礼を持ち合わせていなかったのだろうか

・もし同じ状況に面した時、今の自分だったらどうするだろう?と、色々な意味で反面教師です

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