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データ教へ入信せよ・ホモ・デウス

サピエンス全史の人の続編。認知革命やら人類は農業により奴隷化したなどオモロい視点で駆け抜けた過去総括的な前作とは違い、サピエンスから我々はデウス(神)へ変貌をどう遂げるのかを可能性として描く未来ワクワク作品である。

下巻の最後の章まではオムニバス的な知的コラム集な雰囲気があり、ぶっちゃけ結構散漫な雰囲気もあって上巻を読んだとこまではなんとなくで追いかけていた。四則演算が出来るウマの話ぐらいしか何故か覚えていない。

下巻に入ると大きく捲り始めて、認知革命から始まる人間の次の姿みたいのが朧げながら見えてくる。結構上巻の伏線回収感があるので読書体験として心地よかった。

なんとなくまとめると、狩猟時代の人間は全ての生命や事象は並列的(アミニズム)だったが、認知革命によりホモサピは虚構を信じることができ、農業に従事し始めて共同体を作り上げ、神と人間だけちょっと優位な立場に押し上げた。人間以外の生き物は家畜など心を持たないアイテム化することとなる。

しばらく神様絶対時代が続くが、科学革命が起きて神は退場することとなり、人間史上主義の時代へ変化していく。聖書からなる古典宗教はかつてのお伽噺程度の認識になり、自由主義やら資本主義が今日の宗教となっている。市場こそが神で有り、経済的発展こそが史上の命題ぐらいの感覚になる。

科学の発達と共に生き物はアルゴリズムで有り、生命はデータ処理に過ぎないというある種ディストピア的解答を投げかけてくる。こっから少し不安な気持ちになるが、別に未来は暗くないらしい。

そっから現在から未来にかけて、上記のようにデータ至上主義的な世界に行き着き、我々人間の個の経験などあまり意味を為さず、人間はデータベース化された世界の構成要素として集団のブロック的に表記され、遂には人間も中心から退場していくだろうと予見する。これが書かれたのが2015年なので、昨今のAIの流れなど見事に思惑通りに進行している。

知能は意識から分離するなど確かにそうだよなあと近未来ぐらいの気分で居るけど、確かにその通りになってるなあとサピエンスとして漠然と感じる。成田氏の「幸福なデータ奴隷」となるみたいな考え方で居た方が今世紀は色々楽そうである。なんでかって我々はアルゴリズムで記述されうる存在だから、万事あんまり心配する必要はないと謎に心救われる。(今休職中なのでマジでマインドとして必要以上に肯定された。俺らは壮大な宇宙のデータのひとつに過ぎないというメタ的認識は良い)

結論、上記のような進捗は可能性のひとつで未来は正直わかんね〜というのが物語の帰結である。AIの弾き出すビッグデータ的解答など予見不可能だからである。まあそこに寄りかかってヘラヘラしておけばなんか大丈夫そう。

資本主義と共産主義はデータの集積の仕方の違いであるという指摘は面白かった。そしてそれらも分派した宗教の一種であるなど、大局観が心地よい。結局今は資本主義が最善なだけらしい。そして知能は外部化するけど、意識についてはまだハックされきってないからこっからおもろくなるかもねみたいなジンワリ考察で終わっていく(訳者あとがきのまとめ方が素晴らしい。ほぼパクってます)

個人的解釈として火事になったら仏壇よりスマホを持ち出そうと必死になる時点でデータ教入信してると思う。そして財布よりスマホが優先度高い時代。

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