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共感的音楽感想vo.1 ハヌマーン「幸福のしっぽ」

0-共感的音楽感想とは(前説)

 前説です。読み飛ばしてくださっても構いません。

 共感的音楽感想とは読んで字の通り、共感を優先して楽曲を語ることです。音楽を語るにも、色々手段があります。例えば楽曲や作者の歴史や感情、文化の下地、ジャンル、技術。それはもう多岐にわたります。その中でも、ここで語る感想は最も庶民じみた、地に足をつけたものです。それが「共感」で語ることであり、言ってしまえば、誰にでもできる陳腐かつ単純な行為のわけです。

 自分の中では、音楽の趣味というのはこの共感から脱した時に初めて垢抜けるのでは無いかと思っています。この誰でも出来る行為から抜け出して、幾重のレイヤーによって織り成されるメロディや細部を楽しめるようになる──そういうことが、垢抜けている人の聞き方なのだろうなと、そういうことを思います。ですがここでは、単純に、歌詞を中心にした捉え方をして感想を語っていきます。

 私は、音楽について何も知りません。幼少期を父親が聞いていたブルーハーツ。多感な時期をアニソンで過ごしています。俗に言う、高尚だったり、難しい音楽だったりを聴いていません。なんなら、「キングゲイナーオーバー」(ロボットアニメの主題歌)をなんでクラブで流さないのだろうかとまで考えたりするくらい、オシャレな音楽がわかりません。カラオケなどの自分が音楽を流さなければならないような時は、無難な流行りの曲やグループの面々が好きそうな曲を適当に選んで流す始末です。しかしながら、共感という面では人一倍強く聞いている自負があります。その場で足踏みして人生を悲観することが得意なので、その思考にハマった曲を好きになってしまうわけです。そんな私が、曲を語ります。意味の無い思考と共に語りますが、受け入れてくださると幸いです。そして、ぜひ曲を聴いてから、本文をお読みください。解釈や読み取りがめちゃくちゃかとは思いますが、許してくださると幸いです。

 今回語る曲は、ハヌマーンの「幸福のしっぽ」。

擦り切れていく生活の中で、あなたは誰に助けを求めますか?


1-日々の中で

 幸福のしっぽという曲は、一言でいえば「生きていく曲」です。
ここで質問です。皆さまにとって、人生とはなんでしょうか。私は諦めた先の幸福を掴む過程だと思っています。

 もちろん、もっと肯定的な、前を向いて胸をはってしゃんと進む人生の考え方もあると思います。しかし、大半の人にとって、生きるとは、そういう格好いいものではないんじゃないでしょうか。天才と成功者は一握りです。つかめなかったチャンスがあります。来なかったチャンスがあります。そして、動けなかった自分がいます。

 人生は、多くの場合、自分につかめる幸せを見つけることが幸福につながります。身の程を知って、それに見合った幸福を享受する。それを繰り返すことで、少なくとも自分の中で大きな幸福感と達成感を得ることができます。現実を知ること。そして、その現実の中で生きていくこと。賢い人たちはそうやって選択して、幸福のしっぽを追い続けます、夢をあきらめて、その近似値や別の幸せを目指していくのです。

 しかし、それができない人もたくさんいると思います。
くたびれて、家に帰って、寝る。日々はゆっくりと、それでいてあっという間に過ぎていく。電車の窓から外を見れば、スマートフォンに照らされた自分の顔がぼうっと、幽霊のように映っている。そんな、死んでいるのか、生きているのかよくわからない生活の中。燻っている夢の種火を踏みつぶすことができずに、ぶすぶすとくすぶっている──。そんな愚かな生き方をしている自分がいるのではないでしょうか。

 この曲の中では、一人の男が、そういう風に生きています。いろんな後悔をしながら、過去の出来事を馬鹿みたいに振り返って、上手くいかないことをこれが定めだと割り切ろうとして、それでもただ、「人間でいたい」という一心だけで、代わり映えしなくなったある意味、終わった人生も受け入れようとします。そして、自分のつかめる幸福を得ようとします。

 彼にはもう、愛した人はいません。電車の窓から見た彼女に似ている人を見て、愛だと思っていた自分の感情は、ただ、不安を相手にぶつけるだけの行為だったのだと思考します。伝えたいことはたくさんありました。でも、思考という名の行間の中で、その「愛」とよべるものは腐敗して、伝えられないままになってしまいます。

 辛い出来事もある。未来という名の不確定事項は、うっすらもう終わりまで見えてしまっている。そんな人生に対して、彼は少しでも良くしようと、人間として生きようとします。自分が嫌だと叫び、もう愛した彼女には会えないと悲しみを抱えながら、まず第一歩を踏み出します。

 機械のように、ただただ出来事を受け入れて、その中で最善をつくす。例え好きな歌が聞けなくなっても、会いたい人に会えなくても、行きたい場所には行けなくても──そしたら、人間でいられる。最低限ではあるけれども、生きていく。そういう選択を取ります。でも、それが辛すぎて本当にこれでよかったのかなぁと、問いかけるわけです。

2-あなたにとって、それは誰ですか

 
 この曲最後の「叫び」は、いろんな人に置き換えられます。それは聞く人それぞれです。私の場合は、大学生時代に出会って、道を正してくれた恩人の名前です。私は、この曲の中の彼と、同じような気持ちで日々を生きています。何とか幸福のしっぽを掴んで、何とか生きています。少なくとも、小学生の頃の自分が今の自分をみたら、きっと自殺してしまうでしょうけれど、恩人や、身の回りの優しい人たちに生きろと言われたので生きています。

 ただ、ただ。どこかで、夢をかなえたかったなと思う自分がいます。空間のデザインをしたかった自分がいます。何か創造的な仕事に就きたかった自分がいます。その夢のできた焼き印がうずいて、生きていく辛さに耐えきれなくなり、助けて〇〇──と恩人の名前を呼びたくなります。しかし、その恩人も、もう会えない関係性になってしまったので、頼るわけにもいきません。さらに言うなら、自分を良くしてくれるのは、最終的には自分しかいないのです。だから、初めに最低限、人並みの生活を「努力」してみる。それが、生きる私ができる、私を生かしてくれる人への恩返しになると思っています。

さて、最後になりますが、改めて質問します。この曲を聴いて、あなたが思い浮かべた人は誰ですか。その人とは、今でも会話したり、会えたりしますか。でしたら、その人を大切にしてください。あなたとその人に、どうかささやかな幸福があればと、祈っています。

それでは次回Vo2「キングゲイナーオーバー」でお会いしましょう。オーバーヒート!!

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