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【白昼夢の青写真case2 2次創作「生きる」前編】

捕虜として過ごした少年は、全身の骨という骨が浮き出るほどに痩せこけている。銃弾を受け剣で切られ、それでもなおろくな治療を受けなかった男は、傷口から蛆が湧き、日々高熱にうなされている。目の前で家族全員が焼死する様を見た老人男性は、へたり込んでいつもぶつぶつと何かをつぶやいている。

命からがら逃げてきたものの、救い出されはしたものの、彼らはもう、助からないと思う。私、オリヴィア・ベリーと両親、兄妹たちが避難しているのは、かつて教会だった場所で、建物の半分以上は、既に瓦礫の山となっている。

食料の調達もままならない。万が一英国の兵隊に見つかるようなことがあれば、おそらく私たちは殺されるだろう。迂闊に外へ出ることはできない。
それほど目立たないわけでもない、かつて教会だったこの場所は、今まで見落とされ続けてきたことが幸運だったというべきか、おそらく、遅くとも数日のうちには発見されるのではないかと思われる。

この飢餓状態ともいうべき状況下で、兵隊との遭遇という生命の危機が迫る中で、本来一刻も早く新たな避難所の場所を探さなければいけないはずの私たちだが、命がけの行動をおこすほどの体力や気力はとうに失われている。それでも、生きて、命を繋いでいくためには、一歩を、その次の一歩を、踏み出していかなくてはならない。

しとしとと降るスコットランドの雨が、喉を、身体を水分で満たしてくれることだけが救いだ。

避難していた者たちの中には、かつて教会だったこの場所で事切れた者もいる。その亡骸が放つ腐敗臭は、正直不快ではあるけれど、かつて確かに人間であった者たちを、ぞんざいには扱えない。とはいえ、私たちに出来ることは、声もあげずに十字を切って祈ることくらいしかない。

今辛うじて生き残って者たちを、ぎりぎりで生きながらえている者たちを、次の避難場に連れてはいけない。私たちは私たちで、既に精いっぱいだ。命は惜しい。その、誰もが惜しい命を、私たちは見捨てていかなければならない。私たちが生きていくために。

私たちの在り方は、醜いだろうか。

         *

この戦争が起こる前のスコットランドでは、旧教徒(カトリック)教会の腐敗、堕落が極まっていた。教会は救済をお金で売るようになり、比較的裕福なものは多くの財産を、そうでないものはわずかながらの財産を寄進するようになった。寄進した財産の多寡で救済の順番・程度が変わると、それとなく教会が煽ったのだ。

教会は各地に末端集金組織としての支部教会を建て、民衆からお金を集め、やがて軍を組織し、王や貴族、つまり政治にまで影響力を及ぼすようになった。教会は華美になり、聖職者たちは富裕層に成り上がった。民衆は、どこかおかしいと思いつつも、やるせない、鬱屈した、理不尽な日常からの解放を、そんな教会に願っていた。しかし、どこからともなく大陸の、宗教改革の話を耳にした者たちがいた。

彼らは民衆の蒙を啓き、あるべき神への信仰の姿を取り戻しつつ、同時に、教会への激しい怒りを募らせていった。そして、ピュリアス蜂起が起こった。

民衆たちによる、教会や聖職者の本来の在り方を奪還するためのこの蜂起では、集金のために各地で濫立していた教会という教会が破壊され、聖職者を名乗りながら汚職に手を染める者たちが次々に吊るされた。教会は軍をもって対抗したが、この民衆の蜂起に、以前から醜悪無比な存在となった教会を苦々しく思っていた王や貴族が、手を貸した。これにより、スコットランド国内は一気に内戦化した。

そこへ、国教会至上主義を掲げる英国が介入した。この10年余り後には時の覇権国家・スペインの無敵艦隊を叩き潰すことになる英国海軍の前に、ピュリアス蜂起という内政問題を抱えて疲弊した我々スコットランドの勢力は、手も足も出なかった。

戦争は後に上陸戦となり、もはや蹂躙の様相を呈していた。止め時すらわからない勝ち戦は、狂気を加速させていく。

知っている人であれ、知らない人であれ、あっという間に、あまりにも理不尽な形で多くの命が失われた。この人たちの間に、何の因縁が、何の恨みがあったというのか。どうしてそんなに簡単に、人が人を殺してしまえるのか。神は、隣人への愛を説いていなかったか。

          *

「オリヴィアとリリーは、英国に降伏して捕虜として保護を受けろ。イルマは、私たちと一緒に来るのだ。」

疲労も色濃い両親から、そう告げられた。

リリーは私の妹で、イルマは私の兄だ。家族全員で生き延びていければ、それが一番だったが、それが現実的でないことは、私も身に染みて理解していた。こんなところで無力を嘆きながら死んでいるわけにはいかない。私たちの最大の目標は、生存だ。この命を守り抜くことだ。

妹は絶対嫌だと泣き喚いた。どこにそんな力が残っていたのか。私は、泣くことが許されるなら泣きたかったが、泣いても仕方がないということもまた理解していた。

そもそもこの年齢で、この環境下で、両親家族と離れること自体が、心もとないだとか寂しいだなんて言葉では形容できないほどに不安だ。そして、捕虜になったからといって生存が約束されるわけでもない。子供、しかも小さな女の子二人なら、何とか助かるのではないか、という成否不明の賭けだった。それでも、熟考に熟考を重ねた上での、両親の苦渋の決断だったのだろう。

明日の朝、このかつて教会であった場所から二人で出て、最初に会った英国人に命乞いをしろ、と言われた。これが、私の人生で初めての、他人に見せる演技になるはずだった。妹を宥めすかし、命を守ることを約束し、落ち着きを取り戻した妹を「いいこ」と褒めた。

両親と兄の無事を祈り、これまでの感謝を伝えた。両親からは、自らの力で我が子の命を守り切ってやれぬことへの無念や詫びの言葉を受け、そしてまた、必ずみんなで生きて会うことを約束した。

ところが、計画通りにはいかないものだ。この1時間ほど後、3人グループの英国人兵士たちに、私たちが潜伏していることがバレた。かろうじて命を繋いでいた他の者たちはとどめを刺され、私と妹は、捕獲されるときに頭を殴られ、意識を失った。その瞬間「こんなところで死んでたまるか。」と思ったことだけは覚えている。だが、これで最期だろう。この地にこの時代に人として生まれた意味を何ら理解することができず、私の人生は終わる。

          *

目が覚めたとき、私も妹も生きていた。拘束されていたであろうはずの私の身体にも、自由がある。両親と兄がどうなったかはわからない。

目の前には緋色のマントをまとった男と、彼の部下と思われる男たちが数名経っていた。

「もう大丈夫だ。腹が減っているなら、これを食え。」

私にも、遅れて意識を取り戻した妹にも同様に、一切れのパンが振る舞われた。

(つづく)

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