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【白昼夢の青写真case2 2次創作 「沛雨」第1話】

一人ひとりに、人生がある。家族がいて、友達がいて、ドラマがある。我々の日々は決して、楽しいことばかりではない。むしろ、苦しみや悩みの方が多い。

さらには突然、病気になったり、怪我をしたりする。そうすれば、その日の生活を営むことすら危うい。唐突に、大事な人を失うこともある。日々、理不尽の連続。それに抗うすべもなく、己の無力さに絶望する。このテンブリッジに住む人間のほとんどは、あまりにも弱い。

しかし、自らの手ではどうすることもできないからこそ、目には見えない超然とした何かに縋る。そこに救済を求める。その弱き、そして善良な心が生み出すものが、信仰だ。

信仰の名のもとに、救済と引き替えに、人々は自らの在り方をも律する。神への信仰こそが、このテンブリッジの暮らしの基盤の、さらにおおもとを支える、良心の根幹になり得る。

ウィルが生まれた年、テンブリッジは大規模なペスト禍に見舞われた。ウィルの母、つまり俺の妻は、世間から隔離された中で、ペストにより静かに生を終えた。遺体は、その日のうちに焼かれた。

俺は、妻の死を見届けてやれなかった。妻が俺と赤ん坊だったウィルに残した手紙は、病気の感染、拡大のおそれがあるとして、遺体と一緒に焼かれてしまった。妻の最後の言葉すら、聞いてやれなかった。

神はなにゆえ、このような理不尽を許すのだろうか。俺は一体、この信仰で何を救われたのか。時々ではあるが、そんなことを考えてしまう。

          *

「ウィルー?いるよねー?」
朝も早くから、元気なヨナギの声が聞こえる。俺は16歳に、ヨナギは18歳になっていた。
「今からそっちに行くから、ちょっと待っててくれ。」と伝え、身支度を整えた。

6年前、ヨナギは誘拐にあった。正確には、ロブやエドの活躍もあり、未遂に終わったが。あの事件を機に、俺たちの仲が急激に深まり…ということはなかった。互いのことを大事に思う気持ちは深まっただろうが、俺たちの関係は、当時のままだった。

家を出る時、お店の方からガチャンという音が聞こえた。父がお皿でも割ったのだろう。しかし、二度、三度と同じ音がした。さすがにおかしい。

ヨナギのところへ向かう前に店へ行くと、何やら真剣な顔をしながら手を見ている父がいた。

「どうしたんだよ。そんな何枚もお皿を割るなんて。」
「…手が滑っただけだ。どうってことはない。わざわざ来てもらって悪かったな。さっさとヨナギちゃんとこ行って来い。」
「どっか怪我してるんなら、エドに見てもらいなよ。」
そう言い残して、店を後にした。
今にして思えば、父はずっと眉根に皺を寄せてみたり、目をパチパチとさせたりを繰り返していた。

          *

「ウィルのお母さんがどんな人だったかって、覚えてる?」
「さすがに記憶にない。俺が産まれてすぐ亡くなったから。」
普通は気まずくなる話だが、ヨナギの中では、俺の母は俺の母は共通の知り合いでもあるかのように、親しい間柄であるかのように、自然に会話の中に放り込んでくる。当然、二人に面識はない。

俺は、自分が見聞きしたことは全て覚えている。違う言い方をすれば、思い出せる、または、忘れられない、ともいえる。そのことは、ヨナギも知っている。
とはいえ、物心すらつかないほど、あまりにも小さな頃のことは覚えていない。

「父が酔っているとき、母は綺麗で、本当に優しい人だと言っていたな。」
「ウィル、奇麗な顔してるもんね。おじさんにはあんまり似てないよね。」
6年が経ち、俺はかなり背が伸びた。ヨナギが俺と話す時は、軽く俺を見上げるようになっていた。

「さりげなく親父をディスんなよ」
「ちょっと!やめてよ!でも、かっこよくて損はないよ。」
そういうヨナギは、6年の月日を経て、ますます綺麗になった。白い髪、赤い瞳。高すぎず、形の良い鼻に、適度なボリュームの唇。テンブリッジでも指折りの美少女としての座を、揺るぎないものとしている。

「今度、ウィルに女装させてよ。きれいな顔してるから似合うと思うんだけどなー。お母さんみたいになって、ジョンおじさんも喜ぶかもよ。」

「お前は俺に欲情する親父を見たいんか。なんつー趣味してんだ。」

「ち、違うし!何言ってんの!変態なの?!」
「どっちが変態だよ…」

二人で楽しく歩いていると、小太りの少年と、その取り巻きの姿が目に入った。取り巻きには大人も子供もいる。小太りの少年は俺たちに気づいたのか、髪を整え、シャツの襟を正し、こちらに向き直る。

「やあ、ヨナギちゃん。」
「シャチくん、こんにちは。」
ヨナギの表情が一瞬曇る。

小太りの少年はシャチといって、地主貴族の息子だ。家はとても裕福で、彼自身はヨナギの婚約者を気取り、彼の家も、ヨナギを家に迎えたい、と言ってはばからない。
シャチはヨナギの横に俺がいることにわざとらしく驚き、俺への攻撃を開始した。

「オマケも一緒か。相変わらず小汚いね。」
オマケとは随分な言い方だが、シャチと揉めても仕方がない。取り巻きもケタケタと笑っているが無視をする。

「ウィルは頑張って働いてるの。かっこいいよ。」ヨナギは咄嗟に俺を援護する。

「えっ、頑張って働いて生きていくより、働かなくても生きていける方がかっこよくない?僕は頑張って働いてます、だなんて、恥ずかしくて言えないなぁ。だって、頑張らないと生きていけないだなんて、みっともないよ。かわいそうに。」

今日に限らず、シャチは俺と顔を合わせるたび、挑発的な発言を繰り返す。ヨナギと懇意に振る舞う自分が許せないのだろう。年上とは思えぬ幼稚さには呆れるしかない。

「私のパパやママも働いてるよ。そういうことは言わないで。」

再度のヨナギの助け舟が、シャチの俺に対する敵意に拍車をかける。大人しくしていれば去っていく野良犬なのたから、黙っていて欲しかったが。

「お前の家は、酒場だったかな。貧しくて、粗野で、汚くて、頭が悪い客ばっかりなんだろう?一度、見に行ってみたいね。底辺層の観察って、面白そうじゃないか。」

今日はいっそうシャチの口撃が激しい。俺自身のことはともかく、俺を友人と認めてくれる、父と店を愛してくれる人たちへの侮辱は許せないが、奥歯の軋む音を耳にしながらそれを我慢する。

「シャチ、やめなさいよ。なんて酷いこと言うの。ウィル、行こう。」
ヨナギの声には明確な怒りが灯っていた。
「落ち着きなよ。ヨナギちゃん。君がもしそれ以上のことを発言すれば、君のお父さんとお母さんを悲しませることになるよ。」

ヨナギの両親も裕福だが、ヨナギの両親にとってシャチの家は大きな得意先だ。シャチと明確に対峙することが自分の家族に迷惑をかけることを理解しているヨナギは、次の句を継げない。

「まあ、お前のことなんかどうでもいいけどさ。お前はバカでも、身の程くらいは弁えてるよね?それくらいは大丈夫だよね?」

シャチは暴言を思うがままに俺に吐き続け、それでも反応がないことに満足したのか、それとも逆に興が醒めたのか、去っていった。
シャチが俺に投げつけた言葉を一言一句誤りなく記憶できてしまう俺は、ふつふつと腹の奥から湧き上がる怒りを抑えきる自信がないことをヨナギに正直に告げ、その日は散会となった。俺はひとり家に帰った。

          *

「ただいま。…父さん?」
割れたまま、片付けられていないお皿。本来あるべきでない場所に置かれるテーブル。倒れたまま、店の隅にまで転がる椅子。明らかにぶさいくな、酒瓶の陳列。調理途中のまま、放置されている料理。
カウンターに片手をつき、その視線は一点は見ているものの、その焦点はあっていない。一目見て、父の様子が普通でないことはわかった。

「父さんっ!」
「ウィルか。…腰が痛い。肩を貸せ。」

肩を貸して、父を立たせた。何が起こったのか。
「今日は店は出せない。悪いが、看板を立ててきてくれ。」
状況の整理に頭が追いつかない俺は、看板、看板、と、何をすべきかを自分自身に確認するよう看板という言葉を何度か口にし、閉店の看板を店の出入り口に設置した。
今日はロブとエド、他には来ても数名しか来ないだろうから、その都度状況を説明するしかない。

そうこうしているうちに、数歩歩いたであろう父は今度は酒樽に足ひっかけて、再びカウンターに手をついた。

ある程度冷静さを取り戻した俺は、ひとつ、最悪な想像をした。その想像が事実でないことを心から祈り、ひとつの実験をする。

数分の間をおき、静かに店のドアを開け、一人、芝居をした。
「ああ、ロブ。早くから来てくれて悪いんだけど、今日はお休みさせてくれ。急で本当に悪い。」
父は顔だけこちらに向け、「すまんな。また来てくれ。」と言った。

腹の奥底が冷えた。全身の、血という血がひいていく感覚を覚えた。

「父さん。誰に向かって話かけている?」
震える声で、父に問う。信じたくない。

「ロブに決まってんだろ。」

「ロブはいないよ…誰もいないよ。」
ジョークだと言ってくれ。
お前の挨拶に反射的に追従しただけだ、と開き直ってくれ。

しかし父は一瞬目を見開き、すぐに表情を戻した。

「…騙したのか。」
これが悲劇的な現実であることを理解した。
「父さんは、目が見えてないんだな。早く医者にー」

「放っておけ。いつも見えてないわけじゃない。少し休ませろ。」
それでも僅かに視力は残されているのか、手近な椅子を引き、座り込んだ。手で目頭をおさえ、大きく息を吐いた。それから父は何も話さなかった。

父の目が、見えていない。16歳になっても、俺は子供だった。どうしていいのか、これからどうしたらいいのか、何も思いつかなかった。

(つづく)

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