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【白昼夢の青写真case2 2次創作「信仰」 後編】

[「信仰」完結編  ]  

脳天から水を浴びせられた女性が、ようやく意識と正気を取り戻し、こういった。
「これは、どういうことですか…。」
この店で働くつもりでやってきたはずのアンは、身柄をロープで柱に固定され、おまけに後ろ手に縛られていた。

時間は10分ほど前に遡る。アンは軍事訓練でも受けていたのか、捕縛にかかった俺に、素早く右手で掌打を鼻面に放ち、頭が下がったところへ、そのまま後ろ回し蹴りを側頭部に見舞った。後方へ吹っ飛んだ俺は、店のテーブルや椅子をもふっ飛ばし、飛ばされた椅子が父に激突した。盲目の父に避ける手段はなく、ぐえっという声を上げた。

俺は背こそ高いが非力だから、喧嘩は苦手だ。まさか、女の子より弱いとは思わなかったが。

「いってぇ…悪いがロブ、頼めるか。」

「あいよ。」

「エドは父を見てくれ…。」

「了解。」

アンは俺よりは、そして普通の男性よりは強い…俺の名誉のためにも強いと思いたいが、決してどうにも敵わぬ相手というレベルではなく、実際、ロブとの体格や腕力の差を埋められるほどではなかった。
最初こそその手技に苦戦を強いられていたが、椅子を手にしたロブはアンを数回殴打し、アンが膝をついたところを抱え上げ、パワーボムのような技をアンに炸裂させた。アンは頭部を強打して気絶した。勝敗は決した。

           *

「女王の犬め。旧教徒(カトリック)の疑いのある者の、見張りに来たんだろ?舐めやがって。クソが。」濡らした布で頭を冷やしながら、俺は荒い言葉を吐いた。
蹴られた頭は、まだグラグラする。掌底を喰らった鼻は、鼻骨がいつもより軟らかくなっている気がする。涙目になって滲む景色と、慣れない痛みに苛つく。俺の、俺たちの聖域であるこの店を穢したことも、怒りに拍車をかけた。

「…どうしてわかったの?」

「エドについて『司祭様のことを思い出しました。』と言ったからだ。」

エドは聡明な上に、慎重に慎重を重ね、それでもなお足りぬほどの男だ。迂闊に自身の信仰を明かすようなことは絶対にしない。それが知られればどうなるかを、同志たちの死によって嫌というほど心に刻みつけられている。誰よりもそのリスクを承知しているのだ。

先ほど「ちょっと話がある。」と2階に呼び出したのは、4月の件で彼女を介抱したのち、どのようなことを話したかであるとか、一連の経緯を確認するためだった。エドは思い出したように、言われてみれば、といい、自らが司祭であることを名乗ったことはないと言った。これで答え合わせは済んだ。

「エドはお前に、自分が司祭だと言っていない。実際、司祭でもなんでもない。劇場で働いているだけの、ただの中年男性だ。でもお前はエドを司祭様と断言した。おかしいよな、どう考えても。」

あえて嘘を織り込む。

「あと、俺が『広場近くでエドと一緒にいたよな。』と言ったときには即座に反応したくせに、実際にエドに会ったら、話し掛けられてみてやっと『いま、司祭様のことを思い出しました。』なんてことを言ってたよな。実際にお前の身に起こったことと、人から聞いた話との整理がついていない。すべてが雑なんだよ、お前の芝居は。」

「そんな些細なことまで覚えてるの…」

「いくつか質問があるが、いいか。」

俺が尋ねても、アンは答えない。いっそ殴ってやろうかと思ったところで、エドが遮るように前に出る。

「いくつか質問に答えてもらいます。」

そういうと、いつの間にか手にしていたはさみのようなもので、彼女の耳を一気に切断した。

「いたあああああああ!!!」
耳は地面に落ち、ペチッという音を上げた。アンはアンで、女性とは思えぬ声で悲鳴を上げた。俺はエドの行為にも、アンの悲鳴にも驚愕し、微動だにできなかった。

「まず、私たちは旧教徒ではありません。そして私は司祭でもありません。なぜ、このようなことを?」

旧教徒狩りにおいては、密告者にも報奨金が出ることは先にも述べた。自分が旧教徒であると告白すれば、それは自殺宣言と同義だ。
同時にそれは、アンが自分は決して助からないと自覚することも意味する。そうなれば、我々に協力する意味もなくなるため、回答を得られなくなる。エドの嘘の理由だ。

あまり考えたくないことだから考えてこなかったが、司祭としてのエドには、こういう役割もあるのだろう。様子を見ても、相当な場数を踏んでいることが窺える。
旧教徒を守る者の使命として、時にはさらに非情な手段を用いることもあったのかもしれない。あの穏やかな笑顔の裏にそんな一面があるのかと思うと、少し、寒気がする。

「…私は、聞いただけ、言われただけ…あなたたちが旧教徒であるかどうかの、事実については、知らない…」

「なるほど。では、誰からその話を?」

エドは何ら表情を変えることなく続ける。

「お金がないことは本当だから…怪しいと思いながらも、知らない男からこの仕事を請け負った。それが誰かは分からない。本当…」

その後、住所やほかの家族の名前、所在地等を確認し、エドが応答を切り上げようとしたところで、ほぼ正気を取り戻した俺が質問する。

「君のお父さんが旧教徒であることを密告したのは君だね?」

その場に居た全員が俺を見た。目が見えない父も。

「父は…そもそも足が悪い中、父は頑張って働いていた。…私と亡き母は、父を尊敬し、懸命に、父の力になった。だけど、生活は苦しかった。頑張って頑張って働いて…でも、少し景気が悪くなれば、父は足を理由に、真っ先に職を失う。…それでも諦めず、仕事を探してきては、働いた。
のちに母は、あっけなく死んだ。…同時に父の足も限界を迎え、父は自力で暮らすことが出来なくなった。今度は、私が父のために働いた。…母が亡くなった後の、私の10年の人生は、…父の世話をするためだけの人生だった…。」

ロブに殴られ、エドに耳を切られ、後ろ手に縛られているアンは、区切り区切り、苦しそうに話していたが、さすがに辛くなってきたのか、水を要求したため、ロブが水を飲ませた。

俺の境遇に似ていなくともない。そして、この国に溢れている光景だ。胸が苦しくなり、呼吸は浅くなる。眉間に力が入るあまり目が細くなり、視界が狭まる。明日は我が身だろうか。辛い話だ。だが、俺が父を殺すなど、あり得ない。

「…父はもう、半分、ボケていたと思う。私が初めて体を売ってお金を得た、その日…父は、母でもなく私でもない、私の学生時代の友人で、娼館で働いているという噂もある娘の名前を挙げ…愛している、といった。それが、どうしても、許せなかった…。私の、母の人生は何だったのだろう、って。惨めで、笑うしかなかった。…」

俺は一度見聞きした話は忘れない。彼女が密告したと推認するに足るような話を、聞いた覚えがあった。
ただ、何だろう。この閉塞した狭い世界で、みんな、満足とはかけ離れた環境の中で、互いの足を引っ張りあうという地獄絵図。やるせなさが募る。
俺が言葉を発せず、立ちすくんでいると、エドが無言で動き出した。

エドは彼女と柱を結びつけるロープを外し、身柄を解き放った。と同時に、そのロープを彼女の首に巻き付け、一気に締め上げた。

「やっぱり、あなたた…カトリック…助け…うそつき…」手は後ろで縛られたままの彼女は、抵抗らしい抵抗もできず、目から鼻から口から流すものを流し、苦しそうにあえぎ、やがて絶命した。

「ロブ、ケントを呼んできてくれ。ラリーの家にいるはずだ。」

「ああ。」

…殺した?あのエドがこんなに簡単に、人を…?

           *

ケントは、小柄だが肉付きもよく、私より6、7歳上に思えた。2階に来たとき、配送屋のせがれです、と話していた。「この界隈」では、死体処理係なのだろう。

ロブがケントを連れてくると、エド、ロブ、ケントの3人で相談を始め、深夜2時になったら彼女を運び出そうという話になった。実行役はロブとケントで、エドは見張り役らしい。その後のことは知らない。
俺は散らかった店内を片付け、血を拭きとり、少し早いが、翌日の仕込みを始める。父はカウンター奥の、指定席とも呼べるその場所に座り、「いつまで続くのだろうな。」とだけ言った。

あらかた片付けなどの作業を終えた頃には、朝が近づいていた。アンの耳の始末に思案しているところで、エドが店に戻ってきた。

「一杯、もらえるか?」

「…俺も少し飲みたい。」

エドは薄く笑った。エドと、自分の店のカウンターに並ぶのは、初めてだ。今日の出来事に、触れないわけにはいかないだろう。

「殺してしまったら、逆に怪しまれないか?」

「死人に口なしだよ。死んでさえいれば、二重スパイ、三重スパイ、そしていろんな奴が勝手に憶測を飛ばしあい、何が本当か分からぬまま、事実はどこかに紛れ込む。真相究明は困難さ。」

少しくらいは反省の言葉があるかと思っていただけに、意外だった。これが、あのエドなのか。こうも簡単に一線を超えてしまえるのか。わずかに怒りに似た感情が灯る。

「海の向こうの、フランスやオランダでは、今も人が人を殺している時代だ。俺も、人殺しはいけない、なんてことを言うつもりはない。」

「だが、エド、あなたは司祭だ。聖書を片手に神の愛と救済を説く者が、ああも容易く人の命を奪うことを、俺は許容できない。あなたは、自身の信仰心にのっとり、そして十字架の前でー」
「私は間違ったことをしていない、と、何ら恥じ入ることなく、胸を張っていえるか?」

青臭い正義感が止まらない。

「エドがああしなければ、旧教徒たちは早かれ遅かれ危険に晒されていただろう。エドは、その職責において、旧教徒たちを救っただけだ。わかってる。それでも―」
「いつだって優しい言葉で、温かい雰囲気で、穏やかな笑顔で、俺を救ってくれていたあのエドは、全部嘘だったのか…?」

思わず熱が籠る。俺の憧れのエドは、憧れたままのエドであってほしいと願う。

エドは優しく微笑むことで、俺の言葉を静止した。いつもの、あのエドの笑顔で。

「ウィル。君のいうとおりだ。私のしたこと、…していることは、神の名のもとにおいて、決して許されることではないだろう。私には、必ず報いを受ける日がやって来る。」
「しかし、どんなことをしても、人としてどこまで落ちぶれようと、私の命のある限りは、彼らを守ると覚悟を決めている。それが私の使命だ。私の人生だ。」

いかに崇高な理念を前にしても、人が人を殺す使命なんてあるものか、甘ったれの俺はそう思ったが、エドの言い知れぬ迫力の前に、発声器官が凍りつく。

「ウィル。いいか。今は、無垢で世間知らずのお坊ちゃんでいい。しかし君は今後の人生で、いかなる手段を以ってしても果たしたいという願いに、想いに、きっと立ち向かうことになる。そのとき、君という怪物は覚醒する。そして君の人生は、こうするしかない、これ以外にはない、というものになる。君にしかできない、ということをするんだ。それが君の使命だ。君の人生だ。」

「ウィリアム・シェイクスピア。君は天才だ。君の持てるその力で、世の中を変えてくれ。」

          *

アンを巡る事件は、まだほんの僅か前の出来事だったように思える。エドの言う、「報いを受ける日」が、とうとうやってきてしまった。エドは、聖者として死んだ。やすらぎを具現化したようなその男は、穏やかな笑顔で、何人もの旧教徒たちの心を救った。
加えて、裏の顔では、もっとたくさんの旧教徒たちの命をも。

エドが使命と言って命を賭け、父が視力を失ってなお守った、人々の信仰の自由。自由は自由だが、信仰の対象が恋人で家族であれ、生きた人間であることは、健全ではないと思った。その人間の気分ひとつ、言葉、行動ひとつに振り回されることになるからだ。

かつての俺が、そうだったのだろう。エドの行動に、激しく心が揺らいだ。もはやエド個人を信仰の対象に、心の拠り所にしていた節があったかもしれない。彼に、人間としての理想を投影していたのかもしれない。とても危険なことだった。

今の俺は、自分の目でこの世界を見て、自分の足でこの世界を歩けるようになった。俺はウィリアム・シェイクスピアとして、俺の人生を生きている。俺が俺を、誰よりも信じられる。そんな自分になれた。エドが、オリヴィアが、弱くて甘ったれの俺を、この場所へ導いてくれた。

エドの言葉どおり、俺にしかできない、これ以外ないという道をみつけられた。

オリヴィア・ベリー。

世界初にして世界一の女優である彼女に相応しい、最高の作品を書くことは、世界中でただひとり、俺にしかできない。
俺は未来永劫、人類という存在が続く限り語り継がれる、最高の物語を書いた。
劇場を支配する、天まで届くほどの大声援。地を揺るがすほどの万雷の拍手。いつまでも鳴りやまぬ喝采の怒涛。
この熱狂が、届いているか。

俺たちもみんな、いつかはそちらに行くけれど、そのときは、とっておきの特等席で見せてやるから。

おわり

 

 

 

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