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【白昼夢の青写真case2 2次創作 「沛雨」第3話】

息子のウィルが、エドから文字を教わって以来、夜な夜な何かを書いていることは知っている。
エドから、「ウィルは、一度の説明で全部を覚えてしまう。天才だ。」と聞いたことがある。
あいつが、いつか成し遂げたい何かに出会うことがあるなら、それを叶えるべきだ。その才に見合った場所にいるべきだ。
いい年した息子が未だに甘えた小僧でいることが、もどかしくもある。

店の2階の集会所で、神に問うた。
「父親として、我が子が望む人生を歩ませてやりたいと願うことは、そして、我が子の成功を望むことは、罪でしょうか。」
  
           *
 
「おじさんの件、聞いたよ。」

わざわざ俺の部屋までやってきたヨナギは、労るような表情を浮かべながら、両親からおじさんへ、と言って、見舞いの品を俺に預けた。俺は簡単にお礼の言葉を述べた。それ以上は、何も話す気分になれなかった。

「…ウィルも元気…なわけないよね。」

その言葉を最後に、沈黙が始まった。自分から率先して語れることが、何もない。親父が酒場を継ぐことを許さなかったこと、今後どうしたらいいのかわからないこと、それをヨナギに話しても、解決はしない。
そして、仮に解決策を示してくれても、例えばおじさんたちが当面の生活費を担保してくれるとか、俺を宝石店で雇ってくれるとかというような話になったとしても、それを受けることはさすがにできない。
俺たち親子は、その恩を返せないからだ。

俺の人生は、この世に生を享けた時点で、大体のことが決まっていたのだ。今はまだいい。
だが、いつか父が亡くなり、目的も失い、次の世代へとこの酒場を繋ぐだけの惰性に、生涯甘んじることになるのか。
面白い人生というものを真剣に考えたことなど一度もなかったことは棚に上げ、なんとつまらない人生だろう、と思った。

それでも、ヨナギが黙ってここにいてくれる、たったそれだけのことが、何より嬉しく、心強いということに気付いてしまった。
いっそこのまま押し倒して、既成事実を先に作ってしまうか。
無理やりにでも夫婦になって、ヨナギの家の家業を継げば、俺も宝石商だ。
どうせ、真っ当な手段では成り上がれないのだ。それなら、父の店だって、今の生活だって―

「ウィル、あのねっ…!」

あまりのタイミングに心臓が弾けた。そして、俺は我に返った。状況が状況とはいえ、あまりにもおぞましいことを考えていた。自分という人間のあさましさに、戦慄すら覚えた。
ヨナギは俺にとって、何よりも大事な人なのだ。宝石商のことはいい。ヨナギさえいてくれれば、こんな現実を前にしても、俺は何だってやってやる、そう思った。

「ウィル、ごめんね。」
「こんなときに、本当にごめんね。」
ヨナギの表情は、今にも降り出しそうな雨、という様子だ。

?…この違和感はなんだ。ごめん、ってなんだ。とても嫌な予感がした。心中に大きな波風が立った。

「私、シャチと婚約することになった。」

          *

不幸は、単独ではやってこない。必ず、こぞってやってくる。身内が病で倒れ、生活の算段も立たなくなり、そして、大切な人をも失った。

俺は呆然と、「そうか、お幸せに。」とだけ言った。ヨナギは、いつかのように「ごめんね。」を繰り返した。そのまま会話はなく、ヨナギがすすり泣く声だけが部屋に響いた。やがて、ヨナギは父を心配する言葉を残して帰っていった。そうして、俺たちの10数年はあっけなく終わった。

こんなにも惨めな気持ちに心を侵されるのは、同時に、腸の煮えくり返るような怒りに支配されるのは、生まれて初めてだった。
俺が腕に覚えのある身なら、街に繰り出して喧嘩の相手でも探したことだろう。
俺に絵が書けたなら、この滅茶苦茶な激情をキャンバスに力の限りぶつけたことだろう。
怒涛の如く押し寄せるこの負の感情を、俺は一本の筆に込めた。

ヨナギが繰り返した「ごめんね。」が、俺たちがちょっとだけ特別になった、6年前の事件のことを思い出させた。

彼女の誘拐事件。大人たちの力のおかげで誘拐は未遂に終わり、子供の俺たちは、互いを思いやり、ごめんね、ごめんね、と泣きながらお互いに謝って、思いを同じくしていたことを共有した。互いの心の温かさに触れあった。

…こんなクソみてえな話の何がおもしれえんだ。

思い出を塗り替えるように、暴れるがままに筆を走らせた。

誘拐犯には、子供の俺たちが買収を持ちかけた。彼が隙を見せたところを逆にぶっ殺した。
殺された誘拐犯は、シャチの家の奴隷だった。
怒ったシャチの両親は、ヨナギの家との取引を中止した。
ヨナギの家は路頭に迷うことになった。
ヨナギはシャチに抱かれることで、家同士の関係を取り持とうとしたが、それは叶わなかった。
最愛の娘にそこまでさせてしまった彼女の両親は、無力感から自分たちを責め、最後には服毒自殺をした。
俺はシャチに復讐するため決闘を挑んだ。
シャチ的には、せいぜい子供同士の喧嘩の延長という予定調和のはずだった。
だが俺は刃物を持ち出し、一方的にシャチを刺し殺した。
切断したシャチの生首はシャチの両親にプレゼントし、彼の両親は気を違え、投身自殺をはかった。
残った俺たち子供ふたりはめでたく一緒になった。両家が持っていた財産と土地を手に。

これぐらい書かないと、誰も楽しくないよな?
俺の現実なんか、こうでもしないと全然楽しくもないだろ?
俺だって、演劇の世界でくらいは救われていたいんだよ。

退屈な、ありふれた光景を描いた演劇なんて、みたくない。
演劇は過酷な日常を忘れるために、その刹那を、非日常を楽しものだ。憎い貴族どもを殺せるのは、舞台の上だけだ。思う存分、この貴族に日頃の恨みを投影しろ。

俺の筆は、荒れに荒れた。掻き乱された心の咆哮そのままに、一気に一作ぶんの脚本を書ききった。思いのたけを、胃液の一滴も出ないというところまで吐き出した。ヨナギとの日々に、ヨナギへの思いに決別するため、その狂熱を羊皮紙に叩きつけた。

初めて演劇用の脚本を書きあげた俺は、泣いていた。ただただ、涙にくれるしかなかった。

気がつくと、外は嵐だった。俺の心のうちを映し出すかのように、突風は吹き荒れ、雨は窓を強く叩いた。こんな天気で、傘も持たずにぶらつけば、惨めな俺も、少しはサマになるだろうか。

ヨナギが恋しかった。笑顔を見たかった。ヨナギに会いたい。ヨナギに側にいてほしい。いつまでもヨナギと一緒に年を重ねでいきたい。

ずっと一緒にいたのは、俺なのだ。誰よりもヨナギの魅力を知っているのは、俺なのだ。誰よりも真摯にヨナギのことを愛し続けていたのは、この俺なのだ。
たかだか一作分、底の底から想いを搔き出したところで、昇華できるような恋ではないのだ。ヨナギへの思慕は尽きることなく、俺はまた涙した。

激しい雨の中、一人の少女が外で佇んでいることには気づかなかった。

(つづく)

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