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【駄文】不整脈と心不全

 個人の体験にもとずく、根拠が無い話です。あらかじめ、御承知おきください。
 今朝は、少し心臓の動きが悪い感じでした。
「うーーん、心不全が悪化しているみたいだ。仕事に行くべきか、大事をとって休むべきか」
と、少し迷いながらも出勤し、仕事に励んでまいりました。

 さて、約3年前の11月、不整脈の発作で緊急入院した病院の医師に、こんな趣旨の言葉を言われました。
「カテーテルアブレーション手術が成功すると、不整脈の発作は起こらなくなりますし、薬も飲まなくて良くなります。運動もお酒も、何ら制限もありませんよ」
この話を聞いた私は、退院後に速攻でカテーテルアブレーション手術の予約をして、2020年4月3日に手術を受けました。

 手術から2年数ケ月。
 未だに服薬は継続しており、運動や飲酒を行うと、心臓に負担や全身に倦怠感を感じる日々を過ごしています。
 医師は私に誤った説明をしたのかと考えた時期もありましたが、さにあらず、私の理解力が不足していたことを、今は実感しています。
「カテーテルアブレーション手術により、「不整脈の発作」は起きなくなりました。しかし、心臓が悪い=心不全の状態は続いているので、心臓を守るために服薬が必要で、運動やお酒などで負担をかけると、心臓がさらに不安定な状態になる」
という感じのようです。

 カテーテルアブレーション手術は、不整脈の発作を抑える対症療法であり、心臓を元気に戻す手術では無い=心不全には効果が無い。という感じかと認識しています。

 なお、「不整脈」も「心不全」も、状態を表す言葉であり、病名ではないということも理解しています。
 菌とかウィルスとかの原因がある訳ではなく、炎症している訳でもないので、「コレという治療法」も無く、服薬である程度の不具合は軽減できるものの、症状については、食事や生活習慣でゆるやかに整えていくしかないようです。

 また、ある意味では、単なる「老化現象」と言えるのかもと考えています。ウロ覚えですが、池波正太郎先生の小説「剣客商売」シリーズで、主人公の秋山小兵衛が原因不明の「めまい」に襲われた時、小川宗哲医師が
『小兵衛さんは、ようやく老人の体になったのだよ』
と表現したのに近い状態かもしれないと考えています。

 ということで、齢52にして、
「見た目はオッサン、頭脳は子ども、中身は老人」
ということなのかもしれません。
 なので、基本的には「体に大きな負担をかけない」を、基本姿勢として過ごしています。毎日のように「今日は人生を卒業する日かもしれない」という思いが頭を掠めます。なので、noteの原稿やコメントを入力すると、
「まずは投稿してしまおう。投稿せずに死んだら悔いが残る」
という考えを優先して、投稿した後から推敲したりしています。

 ただ、先日コメントや記事で使用しました
暑中しょっちゅう暑いでチュウ。
ねずみはチュウで猫チュール。
オヤジは酎ハイ、バタンチュウ

は、後で思い返すと
暑中はしょっちゅう暑いでチュウ。
ねずみはチュウで猫チュール。
オラは酎ハイ三杯、バタンチュウ

という風に、少し練れば良かったかも、と考えています。
けれど、
「やらずに後悔するよりも、挑戦して失敗」
をモットーに、これからも日々挑戦、妥協と打算と惰性と駄文の日々を過ごしていこうと考えています。

 基本的には「おもしろきこともなき世をおもしろく(過ごした)」という心境で、「そろそろ人生を卒業しても良いかな」というスタンスなのですが、一方で「Kindle出版を、もう1作出すまでは卒業したくない」という思いもあります。
 はい、今、新作に向けて気持ちが高まってきております。

「売れない本、読まれない物語に意味はあるのか」
と自問しながらも、
「意味はある あったんだよここに オレは創作をしてよかった・・・」
と、人生の最後に振り返ることができるよう、ペンギンステップで修行を続けたいと考えています。

 引き続き交流していただきますようお願いします。
#何を書いても最後は宣伝
 めちゃ固い本ですが、戦後の郡山市から物語が始まるこの本を、今日は推させてください。もう少し練りたかったと思いつつ、これは、「これでいいのだ」という「妥協と打算」が背景にある物語です。

 

サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。