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政治運動は”ガチな競技”である。

「政治運動」の重要ポイントの最後、3つ目です。
政治運動はガチな"競技”。つまり、"ルールに則った競争"です。
(前記事「政治運動は自己肯定である。」はコチラ

僕らは「社会制度から逃れられない」。

前提として「僕らの住む、現代日本」についておさらい。

現代の日本は「高度に制度化」された社会。

生まれる前から、死んだ後まで
僕らは社会制度から逃れられない。

例えば
自分が生まれる前、母親が妊娠した段階で「母子手帳」が配布され、定期健診があり(=母子保護法)

自治体広報誌で見た母親教室に行ったり(=自治体の政策・予算)
出産する病院も、もちろん社会保障費(=国の予算)で成立している。

生まれ出た僕らの証として
医師や看護師(法律で認められた資格)の立ち合い・押印がされた出生証明書添付の出生届が提出される。(=戸籍法49条)
そこに記載される名前も「常用平易な文字」だとか戸籍法50条で規定されて「14日以内に届け出が必要」で…。(=戸籍法49条)

現代日本の僕らは「生まれる前から社会制度に包まれている」、
「社会制度の枠の中で生きざるを得ない」んです。

「死ぬ瞬間」も記録され、「死んだ後の亡骸の扱い」まで自由じゃない。
僕は「自分の亡骸は海にバラ撒いてほしい」けど、この社会のルールに則らないといけない。

僕らは制度から多くのものを享受している。

制度=日本というシステムから僕らは逃れられない。

もう、これは
「好き嫌い」「良い悪い」じゃなく、前提として全部飲み込む必要がある。

なんとなく「自由じゃない!」という反感は分かるんだけれど
「悪い!」と反抗しても仕方が無く
「制度=日本というシステム」から余りある程のメリットを享受している。

「ゴミはきれいに収集され街はきれいで臭くなくて」「夜でも街灯で明るく」「舗装された道路は快適に歩けて」「何かあれば交番があって安心」…
「交通ルールが守られる」という常識だって、「文字がみんな読める」ことだって全部、日本というシステムの成果です。

*別途記事で「個人間競争でなくシステム間競争」は説明予定。

制度=日本というシステムから、
毎日僕らはお金で買えないような豊かさを享受している。

競争に勝つために制度・ルールを上手く使う。

タイトルを『政治運動は”ガチな競技”である。』としたけれど
その意図は

※ 競技の定義=一定のルールに従って、優劣を競うこと

要はサッカーや野球などの「スポーツと同じ、競技だ」と。
僕らはこの社会の精度・ルールを知る、そして守る。
それは当然のこと。
そして
ルールを上手く利用して勝とう」。
そういうマインドであらゆるものを動員する真剣勝負だ、と。

”制度を最大限駆使する”という意味では、(旧略名)NHK党が凄い!
「どの選挙でも投票当日は選挙運動が禁止」が常識。でも、それは合法的にできない、と思っていたら、方法があった……とか。
 賛否は当然色々あるけれど、少数派はグレーを含め試行錯誤・イノベーションを仕掛ける立場なので、その視点で「純粋に凄いな!」と感心です。

※将棋も、「王将を取る」「投了、詰む」で勝敗が決まる、と思うでしょ? でも「入玉宣言法」っていう勝敗の決め方もあるらしいで~す

政治運動は「法/制度に則った」競争。

特に政治/選挙運動は法律に則ることが大事。だって、下手をしたら投票取消や市民権はく奪とかになっちゃうからね。
町で見かける「~連絡事務所」看板、「複数候補者が写っている政治家ポスター」など何気なく目にするものも公職選挙法などの法律に則っている。

問題なのは「常識では考えられない細かいルール」があるから、
「ルールを知らない人がやると、
色んなところに地雷・違法しちゃう」
ってこと。

例えば「たすきはダサイからオシャレなTシャツ・名前入りで日頃から行動して知名度アップしよう。」「街に大型広告出そう。」「仲間と地元の家を回ろう」「自分の名前を入れた団体を作っちゃおう。」「地元の団体にいろいろ寄付しておこう。」…これらのことは全部、違法になる可能性・詳細規制を考えると不利になる選択だったりする訳です。

*そういう意味では、社会運動はそれほど細かい規制がないので自由度が高いですね。

為政者・強者に有利なルール。

日本は55年体制以降ー戦後ー、自民党が政権を担ってきた。例外はあるものの、ほとんどが自民党政権だった。

基本的に選挙制度は為政者に有利な訳です。
「素人が株の投資をしても、所詮、投資会社のカモになる」と似ていて、「金融市場は素人に広くオープンされているものの、そこにはプロの投資家も参戦している。プロは知識が豊富なだけでなく、最新情報を早く入手でき、かつ、資金量も豊富」で”ルール上は平等”でも”実質不公平”なんだから。
「観光客がカジノで楽しむ中、カジノディーラー経験者も参加してる」「体重無制限というルールの闘いで60kgと90kgが闘う」みたいなものです。

”ルール上は平等”
でも、”実質はチャレンジャーに不利”。


だからこそ
時に”まっとうな方法”だけじゃなく
”弱者・チャレンジャーが勝つためにはイノベーションが必要”。

究極的には選挙は「ゼロサムゲーム」で「誰かの勝利が誰かの負けを作り出す」、「敵味方のある闘い」、厳しいですね。

ともかく、恨んだり愚痴ったりしても仕方ない。
人生そのもの。

「平等」「平和」なんてものは現実にはない。
「努力が平等に報われる社会」なんてものじゃなくて、
「現実は常に理想じゃない」

それを一度受け入れ、飲み込んだ上で
弱者だからこそ
「理想に向けて、より賢く」
ー試行錯誤ーやるしかない…

*社会運動=法律面で政治運動よりは自由であるものの、資金面で圧倒的に企業に劣る運動側が「広告」「SNS」などの方法で「新たな層にリーチする・仲間づくり・共感を得る」のは、やはり大変ですね。

*れいわ新選組のポスボラ=「戸別訪問は法律違反」の状況において「ポスターの掲示依頼の為」であれば違法ではない、との法律解釈から生まれた。
通常は「政治家の秘書・プロの職員が行う活動を全国各地のボランティアに無料でやってもらう」というイノベーションな訳ですね。

ともかく、「制度から導きだされる合理的判断」「統計的・歴史的事実から導き出される合理的判断」があって、それらを踏まえつつ、イノベーションを組み入れてゆく…… 大変な訳ですね。 
* これらの基本的な合理的判断については別途記事で紹介。

==【成果を出す政治/社会運動】シリーズ==
前の記事 ⇒ 政治運動は自己肯定である。



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