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家族との関係に悩み続けた自分が迎えた穏やかな帰省と、彼女と彼女の家族と出会って考えたこと

今年の帰省は、心穏やかだった。

それは自分にとって、とてつもなくうれしくて、奇跡みたいだと言っても、言い過ぎじゃないはずだ。 

2022年はいい1年だったけど、
そこからの2023年の幕開けがこれだけ穏やかとは。


いつからか、帰省は自分にとって、心にすこし重さを感じる行事になっていた。


親の前で「いい子」でいてしまう自分、親からの「女の子であってほしい」という期待、たぶん両親から受け継いで似ているところはいくつもあるだろうにいつの間にかずいぶんと好みもタイプもちがってしまったこと 、たまに垣間見える「家」という世界の狭さ

あげればいろいろと出てくる。
両親がきらいなわけではない。
愛されて恵まれて育った自覚もある。

だけど、幼少期から思春期にかけて、
親の性質や病気によって、自分は遠慮することや我慢することが日常化してしまったのも事実だ。
どこか、本当のところで好きにはさせてもらえなかったような、そんな違和感がずっと残ってしまっていた。

両親の前で、どう振舞っていいかわからずに、いつもすこしだけ、緊張する。

今回は、傷つくことを言われないだろうか、触れてほしくないところを触れられてしまわないだろうか。


だけど今回は、大丈夫だった。
以前より短くした髪型も今回はいやなことを言われなかった。珍しく母と一緒に買い物にも出かけたけど、大好きなブランドで、メンズの服を買ってくれた。言葉にするとちょっと滑稽だけど、自分の領域が侵されないというのは、どれだけ心穏やかにいられるか。

前に、Twitterで出会った方が、最初は理解のなかったお母さんがメンズの服を選んでくれるようになったという話を聞いて、そんな理解力のあるお母さんもいるんだとそれはもう驚いたことを思い出した。そのときは、自分はきっと、そんな場面に出くわすことはないだろうと、違う世界の話として祝福した。

レディースだから、メンズだから、というより、丈感がこっち(メンズ)のほうが長くてちょうどいいんだという話をしたからかもしれない。最近ではメンズ、レディースと別れていてもユニセックスなデザインが増えた。

わたしも、バチバチにメンズ!!!という服はあんまり着なくなった。(両親の前では特に中性に寄せてはいるけども)(そしてこれは彼女の影響が大きいのかもしれない。いつからか、メンズだけど花柄とか、そんな意外性が好きになった)

だけどやっぱり、母に褒められるというのはうれしいものだ。「かっこいい」「素敵」という言葉を選んでくれたことも、そこまで意識していなかったとしてもうれしかった。

そもそも、昨年の自分だったら、傷つく可能性の高い買い物に一緒に行こうなんて思わなかったかもしれない。自分のことも、褒めてあげよう。


いつからか、勝手に諦めていた。
母が倒れた中学生の時から、いや本当はもっと前からなのかもしれない。父にも母にも、褒められるのは本意なところではなかった。怒ってくれたこともなかった。

自分のことよりも親の機嫌を優先させ、気を遣って家にいた。


自分が、本当に自分だけの意思で何かを決め、好きなものを選び、息がうまく吸えるようになったのは、上京して一人暮らしをはじめてからだった。それでもやはり、実家に帰ると、地元に降り立つと、途端に身体は緊張する。

親だけではない。なんでもすぐに知れ渡る、結婚し子どもを産むことがなによりの幸せである価値観が自分の代でも引き継がれている地元では、わたしはやっぱりすこし息が吸いづらかった。

だけど、30代になった今、わたしの周りには、彼女とのフォトウェディングの写真でこさえた年賀状を、喜んでくれる友達がいる。地元にもだ。

みんながみんな、同じ価値観で生きているわけではない。結婚し子どもを産んだからといって、その人生計画も、理由も、考え方も、同じなはずはないのだ。自分の考えのほうが、凝り固まっていたのかもしれない。そんなことに、30代に入ってからようやく気がついた。

2023年の年賀状

勝手に諦めていた、と書いたけど、諦めることができたのは、彼女がいてくれること、彼女が作り出してくれる安心感のおかげに他ならない。諦められることが、自分にとっては大きかった。

両親からの愛情、両親の機嫌や都合ではなくて自分がこうしてほしいと思うことに応えてくれる愛情に、わたしは何十年も執着していた。

彼女のお母さんと出会ったとき、こんなお母さんが世の中にいるのかと、これまた驚いた。
自分にとって、思い描いていた理想だった。
彼女が自分で獲得した素敵な部分と、このお母さんが育てた安心感と、そのどちらもがまざってこの彼女は構成されているんだと思った。

それと同時に、やはり羨ましくもあった。
彼女の安定したメンタルに触れるたびに、自分もこんな家だったら、もう少し生きやすかっただろうかと、考えてしまうことも多かった。(だいたい彼女が安定して見えるときは自分が安定してないから)


そんなわたしに気がついて、彼女はいつも抱きしめてくれる。現実にも、精神的にも。彼女をお母さんだと思うのは、男女の夫婦だとどちらかというとよくない夫のエピソードとして描かれる気がするけど、自分にとって、彼女との関係は、幼い頃の生き直しのようにも感じていた。

わたしが話すこれまでのエピソードを、彼女は聞いて包み込んでくれる。ちなみに、わたしたちはよく、お互いの話をお風呂でするから、だいたいいつも指がふやけてしわしわになっている。
 

そんなことを繰り返してもらっていたら、自分の執着に目を向けることができるようになった。たぶん、自分ひとりでそれができる人もいるんだろうけど、わたしは彼女に出会えてようやくできるようになった。

親との問題というのは、あらゆる人間関係、職場でも、日常生活でも、いろんなところに影響が出てくる。自分が生きづらいと思うことを辿っていくと、だいたい子どものときに抱いた「𓏸𓏸してもらえなかった」「𓏸𓏸してほしくなかった」という思いにたどり着く。


大学時代も、ずっとそんなことを知りたくて文学をやっていたけど、小説や人の話を通してする「分析」が、いかに自分には響いていなかったかがわかる。自分の問題に踏み込んでいるようで、うまくうまく脳がかわしていたんだろうか。その問題に向き合えるほどの安心感を、わたしは知らなかったんだなと思った。


彼女

彼女といるとき、彼女のお母さんといるとき、わたしはたまに申し訳なさを感じていた。自分が、「うまくできない」という意識が強すぎて、そのせいで迷惑をかけていないか不安になった。

でも、人間なんてだいたいそんなもんだろうと思えるようになった。なってきた。まだうまくいかない日もある。それはしょうがない。そう思えるようになったのも、どんと構えてくれているふたり(彼女とお母さん)のおかげだろうか。

今回の帰省が穏やかだったのは、自分が安定した状態で帰ることができたのもよかったのかもしれない。気にしすぎないスイッチは、師匠の彼女には及ばないけど、その存在を知ることができたのは大きい。

それでもやっぱり人のことを羨ましく思うこともあるし、まだまだ自分でも気がついていない抱えてるもの、縛られているものもあるんだろう。でもきっと、そのときがきたらまた開封されるだろうから、それまでは気負わず、執着せず、かまえていられたら理想的だ。そんなことを想い描いてすごそうとおもう。

そしてやっぱりそれがうまくいかなくたって、悩んで落ち込んだっていいんだと、好きなだけかなしんで、考えたらいいんだと、それは忘れないでいたい。


自分にはできないことももちろんたくさんあるけど、できないことで守られていることもあるだろうと思う。自分の守り方も、人それぞれだ。

何度も何度もかなしい思いをしてしまったことも事実だから、自分を守るために、やっぱりまた家のことで傷つくかもしれないという可能性は捨てられずにいる。だけどそれでも、今年みたいなこともあったことは、自分にとって本当に大きなことだった。

そして今回の帰省で、親の力というのはもうそんなに強くないのかもしれないとも思った。自分の中で大きく大きく育ててしまっていた。

いつまでも同じことなんてない。そんなことも、いつの間にか忘れてしまっていた。なかったことにできないことはありながら、自分にできることを、考えて、探っていったらいいのだろう。すべてはなりゆきのままに。


自分に期待しすぎず
背負わせすぎず
だけど手放しすぎず
自分のしたいように

何度も何度も、やり直していきたい。
今年も、いい一年でありますように。


※この記事のヘッダーと年賀状は、Photo by miho

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