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育児への関与度合いについて

妻が友人知人に私の育児参加の様子を話すとベタ褒めされるらしい。

褒められて悪い気はしないのだが、私自身としては「全然足りてない」と思っている。

いただいたコメントにはリップサービスが含まれるにせよ、私の自覚とはだいぶギャップがある。

このギャップはなんだろうと思い、少し考えてみた。

私が十分に育児参加できていると思える状態は、「もし万が一妻に何かあっても、生活が回せる状態」だ。この理想に対しては、遠距離通勤かつ残業の多い仕事状況が主要因で色々と至らない点があり、よく見積もって半分程度の達成度と感じている。なので「全然足りていない」と思うのだ。

一方ベタ褒めしてくれる人たちが前提としている状況はおそらく、「子育ての中心は母親であり、父親はそれをサポートする存在」というものだろう。自分の関わり方を振り返ると、なるほど確かにサポートという観点ではかなり関わっているような気はする。とはいえ平日は基本任せっきりなので、「そこまでか?」という思いは残る……。

最近は専業主夫という言葉もあるくらいなので、「子育ては母親の仕事!」みたいな考え方はだいぶ薄れているのかなと思っていたが、妻の友人知人に限っていえばそうでもないようだ。

でも確かに自分が子供の頃は母が育てて父が働くみたいな家庭内分業が当たり前の中で育ったので、なんとなくその考え方が意識の奥底に刻まれている人は多いのかもしれない。自分も片親になるリスクヘッジという視点に辿り着かなかったら、サポーター止まりになっていた可能性は多分にある。

そもそも、日本においてシングルマザー/ファザーという言葉にまとわりつくそこはかとない悲壮感は何なのだろう。片親になる可能性は誰にでもあるはずなので、理想的にはひとり親であっても何不自由なく子育てを含む生活が遅れるような社会設計になっているべきなのではないだろうか。日本は災害大国であるし、晩婚化による初産年齢の高齢化傾向もあるので、事故や病気により、ある日突然ひとり親世帯になるというのは想定しうるリスクと捉えておく方が良いように思う。

話がだいぶ脱線したが、そういうことである。

そして私はこんな理屈をこねくり回している暇があるなら、離乳食のストックの一つでも作るべきなのである。

拙文にも関わらず、お読みいただきありがとうございました。

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