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書評『選択的シングルの時代』・リレーションシップアナーキー

結婚と幸せ

X(旧Twitter)をやってると
特に追いかけてもないのに
恋活と婚活の話が流れてくる

婚活における論争を眺めては
婚活難易度高すぎたろ…
そんなに頑張らなきゃならんのか
と遠巻きな感想を抱いてる

吾輩、個人としては
結婚はいいものだと思ってるけど
それはそれは苦難と死闘の結婚生活を送ってる人もたくさん見ているので
結婚はいいものだ
とは他人には言えない

身近な人の離婚大戦争、あるいは当事者として経験がある人ならば
およそ結婚がいいものだとは言えないと思う

結婚生活が上手くいかない人は
結婚相手をミスったのだろうか?

そう言う人もいるけど
そもそも論の問いとして

結婚したら幸せになるわけ?

吾輩はの答えはNOです
結婚したから幸せになるのでなく
幸せでいられる人と一緒にいるから幸せなのであって「結婚」そのものに
幸せになる魔法は何もない

ただただ両人の継続した努力の上に
幸せが維持されてるだけである

であれば、付き合ってるだけでいいのでは?

結婚の意味とは

財の交換、蓄財

今の人がそんなことをするのかは分からないが
結納金だの、嫁入り道具というものがあった

映画『プライドと偏見』は
18世紀末の話
その中で娘を結婚させるのに
夫側にお金を支払わなければならんらしい描写があり、そんな時代があったかと思った
娘を嫁にやるということは
その後の飯の面倒を夫に任せるということであり、よろしくなの意味と解釈した。

いや、現代の結納金だのも
そのような意味があるのか?

結婚とは何なのかの話を
会社の人としていたら
「財の交換」だと教えてもらった
なるほど…!

吾輩は結婚を会社経営と思っている
そのような説明をしている人も多い

対等な共同経営者として
お互いに己を労働資本とし
財を増やしていくゲームだと思ってる

会社経営なので上手くいく日もあれば
いかない日もあって
赤字が激しい時も黒字になる時期もあるだろう

ややこしいのは
そこに「愛」を必要とすることだ

ほんまもんの会社経営をしたことないので想像でしかないが
会社の経営者はそのパートナーを信頼していないとやっていけないもんなのじゃなかろうか

結婚も「愛」なるものを信頼とし
会計にあまり監査を挟まない

会計監査が強すぎると
いわゆる経済DVなどが発生するし
信じて任せてないと
監査業務で日常の運用がままならないと思う

この「愛」を信用担保にして
時折、月単位か四半期か年度会計で財務状況の振り返りをしつつ
どのように資産を増やしていくか進めていく

愛の担保

結婚を蓄財ゲームだと前提にした場合この資産を増やすゲームには
もちろんリスクがある
己を労働資本とした場合、
病気や怪我などで長期的に労働市場から離脱しなければならない可能性がある
そうするとそれは負債でしかない

ノンノンノン、結婚はそんな冷たい話じゃない
やはり「愛」を信用担保にしてるのだから
病める時も健やかなる時もなんとやら
支え合うのが夫婦じゃないか

が、この「愛」とやらも
非常に不安定な資本である

だから、法的な契約で一定効力を持たせる
愛に社会的信用度を持たせるのだ

それが法的な結婚の意味の一つ

愛の証明

愛とやらは誰に向かってどう証明するのだろう
他人や社会に証明してやる義理があるもんか

しかし、生活していると
証明しなければならないシーンは山ほどあり
例えば、二人で住む部屋を借りる時
例えば、ペアローンを組む時
例えば、子供ができたとき

社会は「信用」が必要だ
信用がないと部屋さえ借りられない
お金を借りたいとなれば尚更のこと

私はこの人と法的な家族である
と証明しなければ
個人保護法に阻まれて
パートナーの何かの契約変更に付き添うことすらできないし
事故に遭ったときの緊急連絡先にさせてもらえないかもしれないし
病院に付き添えないかもしれない
(社会は変化してきて、
だいたいのシーンでは法的婚姻関係になくても
大丈夫なのでご安心ください)

結婚したら幸せであるという神話はどこからきたのか

詳しい説明は本書の調査結果を見て欲しいが
どうして我々は結婚が幸せだとか
一人前だとかの刷り込みを受けてるのだろう

代々受け継がれてきたこの血脈は
結婚して子を成すということで
今の自分がこの世に存在している

結婚と子を成すことが幸せだと
信じて止まない親兄弟や親族に囲まれていると
こちらの気がおかしいのではないかという気がしてくる

だけど、同じ地域で育った同じ年の友人と
この本を議題として話し合ったとき
「結婚は無理にするものではない」
との結論が様々な形で得られたことが
なかなかに衝撃だった
だって我輩の地元、友達の8割は結婚しているのに

みんな、何を学ぶでもなく
結婚を妄信し、ヨスガとしてるわけではなかった

自分の生きた証としての
子を成すことに妄信してるわけでもないようだ

でも、我々は
散々親とそのまた親から
結婚について強いプレッシャーを受けてきた
吾輩としては資産形成をしっかりするほうがよっぽど大事だと思うのだけれども

さて、今一度考えてみる
結婚したら幸せなのだろうか

興味深い数値が並んでるので
本書を読んでみてほしい

結婚の不都合な真実

これは誰もが認めざるを得ないことだけれど
結婚が幸せなはずなのに
離婚するひとは絶えない
なぜだろうか

相手との相性が悪かったから?
本当にそれだけ?

結婚できない人は未熟な人なのか

結婚できない奴は未熟なやつだとする考えがあるが
本当にそうなのだろうか
結婚している犯罪者なんてゴマンといるだろう

婚姻と人間の成熟レベルに相関関係はあるのか
あると言う人もいる

結婚に限らず他者とステディな関係を紡ぎ上げるのは非常に難易度の高いスキルだと思う

何事もファストにイージーに片付けてしまう方が楽なのだから

でも、
その人が本当に必要としてない関係にエネルギーを注ぐ必要はあるのだろうか

ハッピーシングル

一人の夜は寂しいと言いつつ
誰とも関係値を深めない人がいる
吾輩はそれを他人と絆を深める勇気がないだけなのかなと思って聞いてたけれど

勇気がないというか、必要がないので
誰かと関係を深めないだけなのではないか?

いつも同じ人と話すのも楽しいけれど
時々、全然価値観の合わない人と話してるのも楽しいなと最近は思う
他人から聞く自分の中に全く出てこない発想に
かなり新鮮な驚きがある

彼等は、彼女たちは
選択的に一人を選んでるのである
それは決して全ての他者を拒絶してるのとは違くて
だって結婚していても孤独な人は沢山いるのだから

様々な他者と、ラベルにとらわれない関係値を紡いでるだけなんじゃないか

ポリアモリー

ポリアモリーという考え方がある
関係各位同意の元、複数人と恋愛関係を結ぶもので
なかなかカオスやなと思いながら
それを実践してる人の話を聞いたことがある

吾輩にはどうしても
ただの現実逃避じゃねーか
としか思えなかったけれど

最近、また少し違う答えを見た

リレーションシップアナーキー

愛には様々な形がある
性愛が絡むから愛とするのは
いささか短絡的だと思う

決して肉体関係を挟まなくても
その瞬間その時その場所に存在する愛情を
よく感じることがある

我々は誰とだってリレーションを繋ぐことができてる

だから、カップルであろうとシングルであろうと、
形容しがたい様々なリレーションの中で
共同体感覚と愛を感じることができる

恋愛を資本として信用を築くことが
正解なのだろうか?

もしかして我々は次の社会フェーズにきてるのでは
社会は次にどんな顔をするんだろう

世界の多くの人がシングルを選んでいる事実から社会と自分と周囲のリレーションを再構築できる
自分と周囲にかかった呪いを解いていこう

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