校舎の隅、隔離された教室で

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「なんでまた急にそんな事聞いてきたの?」

中学1年生のある日、昼休みに担任の先生に質問をしたことがあった。
当時の僕の教室は校舎1階の一番隅、かつ美術室の隣ということもあってどこか隔離されたような場所にあった。
それもあってか、独特な静けさがある奇妙な教室だった。

「教師になった理由ねぇ…はっきりとは言いにくいのよ………山田くんみたいな子達と接して、育っていく姿が好きなの」

「あぁ、確かにいじめっ子もいるけど、嫌じゃない。あの子も可愛いものよ」

「もちろんそうね……いじめられてる子はちゃんと助けないとね。私一人だと大変だから助けてくれる……?………そう………ありがとう」

「今こうやってお話してるのも『教師になってよかったぁ』って思う瞬間よ?」

「分からないかもね。もしかしたら分かる日が来るかもしれないし、来ないかもしれないし。今はなんとなく聞いてくれればいいよ」

「そうだ、今度皆に言おうとしてたことなんだけどね、私赤ちゃんができたの。だからね、2年生になったとき一緒に学校にはいられなくなっちゃうの。ごめんね」

「ふふ……喜んでるのか残念がってるのか分からないね。うん、ありがとう。詳しい話はまたホームルームで話すね」

「あ、そうだ。この間おすすめした『しゃばけ』読んだ?山田くん絶対好きだと思ったんだけど。」

「でしょ?良かったぁ」

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中学1年時の担任の先生は今でもよく覚えている。
なんなら今でも年賀状くらいのやり取りはしている。

産休に入ったため僕が卒業するまで会うことはなかった。それでも赤ちゃんが無事に生まれたということは風のうわさで聞いた。
きっと年賀状を貰わなくてもこの先生のことは覚えていたと思う。
僕たち生徒のことを本当によく見ていて、本を読むと知れば趣味に合わせておすすめの本を教えてくれる。ひとりひとりをよく見ていないと趣味まではなかなか分かりにくいものだ。
悪いことをすれば叱るし、良いことをすれば褒める。
あたり前のことだが当時からこういった先生は珍しかった。

優しい口調で流れるようにしゃべるその姿も大好きな、僕にとっての恩師とも呼べる人だった。

最近になって一度連絡をとった。

「先生……?お久しぶりです。覚えてますかね?…………おお!!…………教師の記憶力すごいですね………笑」

「えぇ、おかげさまでなんとかやっていますよ。先生はどうですか?……え、2人目も?!いたんですか……知らなかった………おめでとうございます」

「へ~今は隣町の学校なんですね。僕らの学校よりは小さいし……田舎だし…楽になりました?…………あ~そううまくはいかないですよね…」

「あ、いえ、なんというか………先生あのまま学校に戻ってこなかったじゃないですか………だから、お礼言いそびれたなぁって」

「そんなたいそうなもんではないです。思い出話みたいなものです。ほら、先生あのときーーーーーーーーーー」

「ーーーーーーーーーーだったじゃないですか。え、覚えてるんですか?本当にすごいですね……笑。だからまぁ……あのときのお礼も含めて、全部ひっくるめて『ありがとうございました』」

「本気ですよ。先生がいなかったら引きこもりとかになってたと思いますよ………いやほんとに………多分…」

「えぇ………正直教師のやりがいとかは……なんとも言えないですけど………大変だなぁって思います。こうやってお礼言う人もいないですよね?生徒の卒業後なんてわからないでしょうし……結果がわからないっていう」

「皆元気そうですよ。これも先生のおかげですね(笑)…………えぇ、言わないだけで皆感謝してますよ。もっといるはずです。皆言わないだけです。」

「そうですね。もう2人のお子さんがいるお母さんなわけですから。無理はしないでくださいね……………あ、はい、僕も気をつけます。では……また連絡しますね。はい。それでは」

10年も話をしていないというのに全く変わらない声色で、全く変わらない喋り方の先生がいた。
中学生に戻ったような気分だった。
僕の中学での記憶はあの教室と、あの先生がセットだ。

隔離された教室で、どこかナイショ話のように話した。
ありふれたような、けれど僕にとっては大事な思い出話。

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