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想い出は濾過されちゃうけど角が取れてくのは許しちゃダメなの。

 想い出というものは、濾過されてしまう。時間という網目に引っかかって、些細なことから濾されていく。だから、時が経てば経つほど、自分の心を満たしてくれたキラキラした記憶ばかりが色濃く凝縮されて結晶となって手元に残り、当時胸の内をかすめたわだかまりや、微かな疑念なんかは濾されてどこかへ行ってしまう。

その方が後から見返すには都合が良いだろう。その綺麗な造形を眺める時間は幸せかもしれない。でも、きっとあの時感じたちょっとした違和感というものは、実はとても重要なものなのだと思う。それを感じたからこそ、想い出になっているのではないか。いつまでもそこに身を置いてはいられないとどこかで感じ取っていたから、現在と隔たりをもつ出来事になっているのではないだろうか。

今になって、自分の想いを伝えたいと思えている人がいる。一時期はなぜあの時あの瞬間に自分の気持ちに素直になってそれを伝えなかったのだろうと後悔していた時もあった。ただ、よくよく当時のことを思い返してみると、自分の選んだ道は正しかったのだと納得できる記憶の断片をいくつも見つけることができた。

あくまで自分は私をもてなす立場なのだとあらかじめ示しておくような距離を感じさせる言葉。そこに見え隠れする保身。私が無意識下で感じ取っていたそれらはきっと勘違いなんかではなかった。私たちはお互いに向き合っている風を装っていなければ一緒に居られないほど臆病で、追いかけながら必死に壁を作っていた。

今の私はその事実を認めて、見せかけではなく正面から自分の気持ちと向き合えている。自分がその気持ちをどうしたいのかも分かっている。分かってよかった、と思う。あの時の、自分がどう思われているかとか相手の目に自分はどう映っているかばかりを気にして頭でっかちになっていた私が先走って自分の気持ちを口にしなくてよかった。同じ言葉を伝えたとしても、その言葉の意味は対義語ぐらい異なってしまっていたと思う。

私が私の想いを伝えられる時が来たら、その時こそ私が私の言葉に責任を持てる時だ。伝えたあとのことは正直どうでもいい。それなのに責任を持つだなんてそれは責任の意味をはき違えていると言われても仕方がないのかもしれない。でも私は胸を張って、自分の言葉に責任をもって相手に伝えられる自信がある。

想い出が濾過されるのを傍観しなかったから。角が取れて丸くなっていってしまわないように、必死に私とあなたの悪いところ、ずるいところ、弱いところを思い出して、向き合ったから。そしてその果てに私の中で生まれた想いを見つけたから。

心に傷もついた、涙も出た、何もわからなくなった、
でも全部必要だと思える私に出会えたのだ。
生きている感じがするね、人間であるという醍醐味を存分に味わっているね
これからも私を、私とつくっていきたいです。




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