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性と生を考える仲間との出会い②特別な人はいないけれど、だれもが特別な存在になる場

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介はこちら)
ここでは、性を人権の視点で考える会合に初めて足を運んだときのこと、私自身が自分の言葉で「性」の問題を講演会などで語り始めるようになったこと、そして、ただ私が一方的に語るだけではなく、1人ひとりが「自分らしさ」について性と生から考える「対話型講演会」を始めるに至るまでのことをお話しします。

性的マイノリティの当事者をはじめ、様々な人が集まって性と生について考える会合に足を運んだのは27歳のときです。それまでは、性的マイノリティの当事者が参加する会合などには参加したことはありませんでした。

当時の私は、自分がトランスジェンダーであること、つまり性的にマジョリティではないことに罪悪感のようなものを持っていました。普通じゃなくてすみません、男なのか女なのかわかりにくくてすみません……そんな気持ちでしたから、性的マイノリティの当事者が参加するコミュニティに積極的に足を運ぼうとはなかなか思えませんでした。

ただ一方で、自分と同じような境遇の人に話を聞いてみたいという気持ちもありました。私が教えてもらった会合は、当事者をはじめいろいろな人が来ておしゃべりをするサロンのような場所だと聞いていました。何か難しいテーマで議論したり、自分の過去について発表したりするわけではないのなら、行ってみてもいいかな。気に入らなければ次から行かなければいいのだし……そう考えました。

会場に入る瞬間はとても緊張していました。参加者は20人以上。思ったよりたくさん人がいるなと思いました。そして、次の瞬間、少し不思議な感覚に襲われました。あれ、ここにいる人たちは、見た目だけでは誰が性的マイノリティで、誰がそうではないのか、よくわからない……当事者も参加する会合ということで緊張していたのに、少し拍子抜けし、肩の力が抜けました。

テーブルに案内され、お茶とお菓子をもらいました。最近あったことなどとりとめのない雑談をする人もいれば、自分の性の問題についてさらりと明かす人もいました。名前も言っても言わなくても自由。そもそも話したくない人はただ聞いているだけでもいい。そんな会合でした。

緊張がほぐれ、周りを観察する余裕も出てきました。車椅子に乗って参加している人もいましたし、「ああ、この人はきっとMTF(Male to Female 出生時の身体性は男性だけど性自認が女性である人)だな」という人もいました。でも、ほとんどの人はマイノリティかどうかわかりませんでした。でも、参加者はみな、そんなことはどうでもいいような様子でおしゃべりをしていました。

ここでは、どんな人も特別ではない。だけど、どの人もみんな特別な存在である。私はそんな感覚になりました。

話したい人が話したいことを自由に話す。聞きたい人はただじっと耳を傾ける。そんな関係がどんなに大切なことかを私はこの会合で学びました。

次回2月1日の投稿でも、この会合のことをお話しします。

【前回の記事はこちら】

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