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性と生を考える仲間との出会い⑦対話を通して築きたい、多様性を尊重できる社会

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介はこちら)
自分の言葉で「性」の問題を講演会などで語り始めるようになったものの、そこに消し難い違和感を覚え始めます……。今回は最初の「対話型講演会」の様子、そして、その経験によって得られた私の気づきをお話しします。

性的マイノリティとしての苦労を語り、「田崎さんはかわいそう」と同情してもらっていた講演会から、私の話をもとに参加者と一緒に性と生について語り合い、「多様な性と生を尊重できる社会」を考える講演会へ。私は、「対話」によるまちづくりに取り組む山口覚さんとともに、対話型の講演会に挑戦しました。2019年2月のことです。

対話型講演会チラシ

私は、福岡県で開かれた、山口さんがファシリテーション(対話の進行)を務める対話の場に、ゲストスピーカーとして参加しました。参加者は、中学1年生を最年少に、高校生、大学生、そして社会人。10代から50代まで、50人余り。性的マイノリティの当事者である私の話を聞き、「私らしさ」と「あなたらしさ」について語り合おうと集まった人たちです。
 
山口さんが考えた対話型講演会は、参加者が私の話を聞くだけでなく、参加者同士で私の話を聞いて考えたことを話してもらい、そこで話されたことを踏まえたさらに私が話すということを繰り返し、「自分らしさ」について深めていくというものです。対話の場自体は3時間以上あるのに、私が話をする時間は1時間と少し。半分以上の時間は参加者同士の対話に充てられました。年齢も職業も異なり、しかも、お互いに初めて会う人ばかりが集まった場でいったいどんな話になるのか、正直不安もありました。

しかし、私の不安は、山口さんのファシリテーションによってすぐに解消しました。

山口さんは参加者に「田崎さんの話に耳を澄ませてください」と参加者に言いました。「マイノリティの人の話だから私とは違う」と自分と区別しながら聞くのではなく、いったん私の話を受け止めることを求めたのです。

当日の参加者の様子

また、私に話を聞いて「自分らしさ」について語り合う際の対話のエチケットも紹介しました。「人を否定しない」「アイデアをつなぐ」「未来を語る」……そういった対話のエチケットを心の片隅に置いて話し合うことで、自分の考えを押し通す討論ではなく、他者の考えから自分の中に新しい気づきを生む対話になっていくと、山口さんは参加者に説明しました。

参加者同士の対話はかなり盛り上がりました。居心地のいい場所や時間について楽しそうに話す学生、学校で授業を受けているときは一番自分らしくない!と明かす高校生もいました。そして、自分らしさなんて考えたことがなかったと打ち明ける人、自分らしさは大切な恋人や家族との関係の中でつくられていると語る社会人もいました。

性的マイノリティというテーマにとどまらず、参加者がそれぞれの人生を持ち寄って自分らしさについて語りました。私の人生だけを披露していたそれまでの講演会とは全く違いました。参加者の話を聞いている私は、みんなとともにそれぞれの人生を歩いているような感覚を味わいました。そして、「みんなそれぞれの人生があり、それぞれの自分らしさがある」と改めて思いました。きっと参加者もそう思ったはずです。

3時間半の対話が終わった後、アンケートに書かれた感想を見て私は驚きました。それまでと内容が一変していたのです。「田崎さんがかわいそうだと思った」「田崎さんにはこれから幸せになってほしい」という同情の言葉が消え、「自分の中に隠している多様さをもっと大切にしたい」「自分は、これまで他者を、そして自分自身を傷つけていたことがわかった」など「自分」について語る言葉があふれていました。

さらに、社会人の感想の中には「自分も昔は若い頃、どっちの性が好きなのかがわからなかったことを思い出した」と打ち明けるものもありました。性自認や性的指向は成長する中で揺れ動くことがあると講演で説明しても、それを自分の経験として認める声はそれまでありませんでした。他者と話すことによって、自分の中に隠れていたものに自ら目を向けるようになったのでしょう。

対話型講演会参加者の手元メモ

これまでの講演会なら「自分は性的マイノリティではないから関係ない」と思っていたかもしれない人が、性と生の多様性を尊重できる社会を実現するために「自分はこうしたい」と一歩踏み出して考えている……私は対話の力の大きさに感動しました。

それ以来、私は、自分の講演会では参加者の対話の時間をつくるようになりました。私の役割は話題提供者であり、ファシリテーターです。講演のトーンも変わりました。以前は、聞いている人に否定されないように、感情を込めて涙を誘うように話をしていましたが、否定されたら「実は僕自身、昔は、自分はおかしいのではないかと自己否定していたんです」と正直に話し、性の多様性は決して自然に背いたものではないということを、データを用いて説明すればいいと考えるようになり、講演の語り口は冷静になりました。

そして何より、講演を聞いた人たち同士が語り合う中で、きっと「人にはそれぞれの性と生のあり方がある」と気づいてくれると、私自身が他者を、対話を信じられるようになりました。

性と生について考える対話型講演会はこれからも続けていきます。私も、性と生の多様性をみなさんと一緒に考え、学んでいきます。

次回からは、私の友人や先輩などに、「私ってどんな人間だった?」と聞いていきます。身体の性と心の性の違和感をずっと隠してきた私、トランスジェンダーであることを自認し、カミングアウトした私を、周囲はどう見ていたのか。友人や先輩たちの力を借りて、過去の自分を訪ねてみようと思います。5月10日(水曜日)の再開を楽しみにしていただけるとうれしいです。


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