安田純平への自己責任論はおかしいと批判するメディアや人々に言いたい、理系的思考教育の必要性について

 ・最初はただの雑談

「なんか一カ月ぶりじゃね?遊んでたろ」
「そんなことないですよ!今度の教育論では、大学での研究はどんな形がいいか考えてるんです!その為に研究に必要なことは何か、についての本を読んでるんです!」
「ふーん。『13歳からの研究倫理』ね。お前13歳だったの?」
「30歳ですよ!サーティーンじゃなくてサーティです!ショタじゃなくて汚ねぇおっさんだよ!悪かったな!」
「まぁどうでもいいや。それで何だっけ。VTuberになるって話だったっけ」
「そんな話してないですよ!」
「そうだな。お前動画編集技術ないし、技術必要なくて楽なやり方見つけたはいいものの、配信に必要なパソコンスペックやVR機器に掛けるお金がないだかで、挫折したんだよなぁ。もうみんみ教の動画のレベルでいいんじゃねぇのか?(下のやつ。別に見なくてもいい。頭おかしいので)いいからとっとと研究の本を読んでこいよ」


「あの動画だと話すテンポが遅くて嫌なんです!僕に読め読め言いますが、あなたもあなたの方も研究関する本読めばいいじゃないですか。けものフレンズの妄想史を書いてないで(下のやつ。これも見なくて良い)」


「ばっか。あれはあれで楽しいんだよ」
「そうですかそうですか。というか、そろそろ話を始めますよ」
「ほいほい」

 ・理系的思考は大事なんです

「で、今回研究の話をしないんだったら、何の話をするんだ?今回お前が紹介するんだろ」
「前にこれから必要な教科は国数理社英でなくこれだ!みたいの出しましたよね」
「まぁな。この、人気ない記事だろ」


「人気ないとか、そういう話はいいんですよ!で、その中に新しい教科の中で『思考(理系)』ってのがありましたよね」
「まぁあったな」
「それも含めて、理系が文系にとって役に立たないものだと思ってる現実があるじゃないですか」
「それは言い過ぎだと思うが、まぁ文系は数学は数字で計算だけ、理科は知識だけとしか思ってない節があるよな。その辺り全部理系の連中に任せきりで文系には関係ないって態度をしてるな
そうです。本当は文系にこそ理系の論理的な態度が必要なのに、全く伝わってない現状が前々から嫌だったんですよね(僕、文系だけど)。そんな気持ちがずっとあって、それで13歳の研究倫理見てて、この本に書いてある理系的な思考が伝えるにちょうどいいなと思ったんですよ。ちょうど今パラパラ見てた事件にも関連付けられるなと思いましたし。それが今回記事書くことにしたんですよ」
「ふーん。で、その事件は?」
「――安田純平の事件ですよ」

 ・安田純平の事件とは?

「で、誰?」
「え、まさか知らないんですか?」
「知ってるけど、一応記事にするんだからいつ読んでも良いように事件説明しとくの大事だろ。その為の促しだろ。気づけよ、馬鹿」
「わかんないですよ!あなたは結構マジで常識がわかってない時があるんですから。前にインスタをハイスタのコピーバンドか何かだと勘違いしてたとかあったじゃないですか。むしろハイスタこそ何って――」
「まぁそのことはいいよ。それこそ戦争で俺がお前に対してのテロリストになるから。で、安田の事件を話せ」
「まぁ簡単に言うと、シリアやイラクとかのイスラム過激派のIS取材に現地に乗り込んだフリージャーナリストが彼らに捕まってたけど、それが最近解放されたって話ですね」
「それで。その事件がどう盛り上がってるんだ」
「まぁ、メディアが無事に帰ってきて良かったねとしている中、ネットでは政府も渡航するなとしてる危険な場所に勝手に行くなんてろくでもないとか、自己責任で帰ってこなくて良かったとか、彼らをバッシングする声があります。全くネットはとんでもない奴らだとメディアが報道している話です」
「なるほど。いつものメディアは正義、ネットは悪論だな」
「それで、まぁあちこちで有名人がネット批判しているわけですが、その中でボクは一つのツイッターに注目したわけです」
「どんなやつだ?」
「その人は『わざわざ危険な地域に行くなんて迷惑だ自己責任だ身代金がー』と喚いているネット有象無象に対して、『自衛隊の海外派遣や警察も危険だからなしにすれば。農業も漁業も危険だから自分で獲って暮らせよ。だって自己責任なんだろ』と言った漫画やツイートを描いて、お前は何を言ってるんだ。そういう意味じゃねぇよと批判されてたわけです。それを見た後でボクは、この『13歳の研究倫理』を読んで、この事件が理系思考大切さを伝えるに使えるなと思ったので、今回出したんです」
「ふーん。それとこれがどう繋がるわけだ」
変数の大切さという話ですね」

 ・物事を判断するには、複数の判断基準がある。それを拾わないとおかしな論理になってしまう

「変数?なんぞそれ」
「例えば、ザリガニは何を基準に餌を選ぶかという実験で、匂いか色か触感なのか調べたいとします。この時にザリガニの行動に影響を与えるであろう要素を全て変数と呼ぶんです」
「その匂いや色などの条件を変えて実験するものだけでなく、食べる量とか、前にご飯を食べた時間など合わせる部分も変数になるってことか?」
「そういうことです。物事を判断するには、様々な変数を考えた上で、何と何が同じなのか(同じにすべきか)、何と何が違うのかを分ける必要があるんです。一つの変数だけ考えて終わりみたいなことはないんです」
「なるほど。言いたいことがわかってきた。つまり、その活動が危険かどうかという一つの変数のみで、他の様々な活動も括るべきではないということだよな。だからそいつの発言は全く同意を得られなかった
「そうです。この事件を証明して、安田純平さんが立派な人で批判するお前たちがおかしいということにするには、彼に向けられている様々な批判をクリアしなくてはならないわけです。だけど、その人は『危険な行動かどうか』という変数しか選んでないわけです。だからそこに並べるには的外れな例を並べてしまい、賛同を得られなかったわけです。もしその人が多くの変数を踏まえた上で、結論を出す力を持てていたのならば、賞賛を得ていただろうにと残念がっていることです。だから僕は、その習慣を持つように理系的な思考方法が文系にも必要だと思ったんです
「ふむ。で、お前はこの事件に必要な変数は、どういうものだと思ってるんだ」
「まぁ7つですかね
まず、危険か、危険でないかが一つ。ここだけで全て判断しようとすると確かに自衛隊もジャーナリズムも一緒になってしまうでしょうね」
「次からが大事ってことだな」
「そうです。で、2つ目が、自発的か、命令や偶然かという、『その危険な場所に行った状態』という変数です。命令なら例えば政府から自衛隊への命令になりますね。このルートだとその隊員の行動が妥当であるならば、政府の責任を問う論になりますが、今回の話には関係ないので、ここでは自衛隊の例を挙げることは適当ではないとだけ結論づけておきましょう。次に偶然です。これは例では被災者や拉致被害者になります。これも個人的な責任はほぼないですから批判はできません」
「なるほど。つまり、自発的の場合だけ、その人が悪い論に繋がるってことか」
「そうです。でもまだ悪いと判断することも、他の例と安易に比べることも待ってください。まだ変数がありますから。これからわかるであろう事実次第では、その人は正しいということになるのですから
「で、それで次の変数は何だ?」
「その危険に向かうこと自体が目的か、油断や馬鹿かという『危険な場所に行った理由』になります。油断や馬鹿側の例では、ここは大丈夫だろうと思わず危ない地区に入ってしまったり、安易に人に付いて行った旅行者などが落ちます」
「なるほど。まぁ彼らはその油断や愚かで批判されるだろうけど、そこまで罪深いとは言えないよな」
「そうですね。初めから渡航禁止で、行くなと言われている場所に、無理矢理入ろうとする人とは区別されるべきでしょう」
「そうだな」
「で、次の四つの変数はまとめて判断すべきものになっています。今ここに残っている人々は、そういった危ない場所にいる人を救おうとしている海外NGONPO、その場所を報道しようとするジャーナリスト、政府による弾圧や横暴という危険な存在に対して反抗するレジスタンスや活動家が挙げられるでしょうね」
「確かに、危険で、自発的で、危険な場所へ向かうことが対象になってるな」
「そうです。で、例の安田純平さんもここにいるわけですが、今後様々な事実から彼の妥当性を判断するにも、以下の四つの変数は考慮すべきものになるでしょう」
「ふむ」
「一気に並べましょう
四つ目、その行為の価値が高いか、低いか(行為自体。その行為をする対象自体。後は危険の代償)(今回の場合は、戦場でジャーナリストが取材する価値。ISというイスラム過激派を取材する価値。人質になり身代金払うと他の日本人拉致されたり、活動資金で人が殺されてしまうこと)
五つ目、その危険への備えがあるか、ないか
六つ目、目的への熱意や危険への覚悟や倫理の高さがあるか、ないか
七つ目、その行為や事件に嘘や悪意があるかないか
となっています」
「えーとつまり、
例えば、
四つ目は、その場所で苦しんでいる人々を救う医者の仕事は価値が高いが、アラファト議長にテントウムシのサンバで「アラファト私は夢の国~」と唄ってもらうことは、価値が低いと」
「理屈は合ってますが、それ何の話ですか?」
「電波少年だろうが!うーん。年齢かな?まぁいいや。次行くぞ次」
「どうぞ」
「五つ目は、まぁ相手に捕まらないようにする為の備えだよな。
渡部陽一さんの、戦場の掟みたいな話だよな。軍隊と一緒に行動するとか」
「本人は言ってないらしいですけどね」
「まぁそうなんだけどな。だけど、例え本人でなくてもそこに並べてあった理屈に皆が納得したことは確かなんだよ。だから本人が言ったはデマ。だからそこで書いてあったことは価値がない。その価値がないもので人を批判するネットはクソという論理展開になることはおかしいんだよな。結局、で、お前は捕まらないように気を付ける努力はしたの?三回も捕まるとか何を考えてるのか?と振出しに戻るだけだろ。つうか今までそういうルール考えてこなかったの?ここで日本のメディアはネット批判するより、危険な場所に行くときはこういうルールで運営してますって出す場面じゃないのか?海外ではフリーでもルール守らせるらしいぞ
「まぁ、そうですね」
「で、六つ目は熱意や覚悟や倫理高さってことだが、これはまぁ『戦場にいる人々が病気やケガで死ぬことを決して許すことはできない。その事実を現場に行って知らせる義務が僕にはある。例え自分の身が危険になってもそれはやるし、それが原因で身代金渡すようなことになれば、戦場にいる人々が傷つくことになるから絶対に応じないで見捨ててくれと言い、普段から立派な人でしたと皆に言われた上で、帰ってきて政府や国民に迷惑かけてすまない。ありがとうと言える』ような人物であるならば、批判はなくなるだろう」
「そうですね。11月2日の会見ではそんなイメージでした。まぁ後からいろんな検証でそれが正しいと証明されたり、嘘となったりするでしょう」
「そして最後に行為や事件に嘘や悪意があるかだが、これは武装勢力に拉致されたのが嘘で身代金詐欺やテロ組織協力の為だったとか、どこぞの有名NGOが人権とか言いながら幼児売春してたみたいな、クソみたいな話が例に挙げられるな」
「そうです。それは批判すべきものですよね」
「だな」

 ・もう、戦場ジャーナリズムは価値がないのか?


「結局、安田純平って、変数だとどういう結論になるんだ?」
「いやー、事実が確定しているわけでも、それを調べる方法が僕にあるわけでもないですので、わからないです。特に下三つに関しては本人の名誉毀損になりかねないので、安易に結論を下すべきではないでしょう。ただ、これからの報道は、この理論を踏まえた上で出して欲しいと思ってます。下の三つだけでも乗り越えたのであれば、少なくとも僕は安田純平をすごいと判断しましょう。あと話すことと言えば、とりあえず本人の罪判断とは無関係な、その行為は価値が低いか、高いかだけ判断しておきましょう」
「ん。判断できるのか?」
「まぁ。これも一応ですけどね。
まず、ジャーナリストが戦場で報道すること自体の価値が高いか低いかですけど、僕はその価値が下がっていると思います」
「ん。どうしてだ?」
その場所の情報を伝える手段を、テロや圧政で苦しむ人々が持つことが可能になってきてるからです。安いスマホのSNSで現地から世界に起きてる悲劇の情報を飛ばすことが可能になっています。その場所が政府によって管理され封鎖されている状態ならともかく、そうでないならば、現地で危険な目に遭う必要はないです」
「なるほどな。おまけにメディアは捏造もやらかすしな」
「そうです。現場の人々が発信する情報をそのまま見たり、分析する方がよっぽど有意義になるでしょう」
「後は、シリアやイラクを報道する価値か」
「申し訳ないですが、日本人の関心からすると低いと言わざるを得ないですね。距離が遠く、相次ぐイスラムテロに直接晒されているわけでもないですし」
「んー。ということは、ジャーナリストはそういう場所に行くなってことか?そこに価値はないのか?」
「そんなことはないですね。政府によって管理され封鎖されてろくな情報がない上に、場所が近く脅威に晒されているが故に報道して欲しいと思ってる場所がありますよね?
「あぁ。ウイグルやチベットのことか。高須院長もそんなこと言ってたな」

 ・結局は、メディアの信用問題になるか?

「しかしまぁ、メディアとかそれを支持する人々の反応は異常だよなぁ」
「ですね。その場所の戦場報道は価値が高いと決めつけた上で、彼に落ち度はなく、疑わしい点もない上で、絶対に正しいと決めつけてるような報道姿勢でしたから。彼のツイッターでの態度や、その他様々な情報からこちらは彼に7つの変数に含まれる批判や疑問を投げかけているのに、それに反論せず、国民にとって高い価値があることにしてる安田純平に対し、ネット側がその価値を認めないばかりか、皆が負うべき責任を一人に負わしている酷い連中としか見なしてないんです。それでは反抗する気持ちが起きるのは当たり前ですよ」
「結局の所さ、メディアへの信用が安田純平の信用も著しく落としているんだよなぁ。もし普段からまともと思える報道をしていたら、多少間違えていても彼は凄いと信じただろうに。今回の会見でも取材陣の彼の疑惑への質疑応答の追求が甘いとか、産経読売に質問させないのはどうなんだと。もし正しさがあるなら、ちゃんと質問しろよって話だ」
「結局いつもの、メディアは凄い、ネットは悪い論の延長でしかないですからね。そうやってあちこちの基準が滅茶苦茶になってるから、僕達は議論やり方とかメディア改革や教育改革を訴えてるんですけどね」
「まぁそんなところだな。――おっと聞き忘れていたが、こんなふうに単独の変数で全てだと判断してしまうようなおっちょこちょいなやつはどうすれば変われると思う?」
「答え知ってるでしょうに。あなたが前に考えた理論でもあるでしょうが」
「まぁテストみたいなもんだ」
「ふぅ。わかりました。えーと、多様な意見と向かい合うことですね。そしてその意見や例はどの位置に置くべきかをきちんと考えることが必要ってことです。例えばこれもツイッターでバズってた意見の中に、『結局、自己責任って政府の言いなりにならなかったやつにつけるもんじゃねぇか。政府が圧力かけてくることもあるのに、それって正しいのかよ』というニュアンスの意見があったわけです。僕はそれに一理あると思いました。それで、この理屈はどこに置くべきだろうかと考えた時に、危険なこと、自発的、危険向かうという変数の先のところにその人の理屈を置くべきだと思いました。ここならクソみたいな政策に対し、デモやまともな言論などをして周りを傷つけずに戦おうとしている立派な人々を、活かすことができる理論になると思ったからです」
「ふむ。まぁいいだろう」

 ・

「まだ、理系思考が大事ってのをもうちょっと伝えたいんですけど、いいですか?」
「そんなにかからないなら、いいぞ」
「大丈夫です。では言います。研究というのは変数を踏まえて仮説を立てるわけで、その先に実験があるわけです。その結果を多く繰り返した先に、これが事実であり、研究結果はこうであると判断するわけです。その時、仮説や願望とは違っていても、事実がそうであるならそちらが正しいとするのが、研究のあるべき態度で、理系的な思考です」
「なるほど。憶測で物を言うわけでなく、事実に基づいて判断するようにしろ。それを文系は身に付けろって話か」
「そうです。それともう一つ。研究の場合だと、それが例え悪意のないものであったとしても、間違った研究結果を出した人間は批難されることになっています。なぜだかわかりますか?」
「なぜだ?」
多くの研究者の時間や金を無駄にすることになるからです。それは他に費やせば、より素晴らしいものになったはずの研究を妨害したことと同じになるから罪深いものなんです。これと同じように文系的でいい加減なメディア報道は、例え悪意のない間違いであっても、それでより多くの人を振り回し他の人々が考えて良くすることができたかも知れない問題を邪魔した以上、フェイクニュースをしてしまったと強く反省すべきなんです(ちなみに僕が考える具体的な謝罪方法はこちらに書いてあります)」


「そうだな。もっと人々は思考や議論に慎重になるべきだな」
「その為に私は学校の教科で、思考(理系)を入れたいと思っているんです。――はい、これで教育論の教科の補足が終わりました」
「おっ、まとまったなぁ」
「疲れました」
「んー。でもまぁ教育変えるだけでなく、メディアも欲しいよなぁ。こんな世界の片隅で喚いているばかりでは、変えられないよなぁ」
「まぁ、僕らなら、論理を立てられますからね。後は周りの記者を使って事実を調べさせれば、それなりに良いニュースの在り方を示せると思ってます」
「それでVTuberか。あぁ。天才的な動画編集ができて、プログラミングもできるやつが欲しいよなぁ」
「ですね。やはりメディアは変わってもらわないと。底辺が間違ってるのはどうでもいいんですけど、前に立つならせめて僕達が負けたと思えるようなことを言って欲しいです(メディア論はこちら。すまんが有料)」
「そうだな」


「というわけで、理系的思考は文系にも大事だよ論はどうでしたでしょうか?」
「疑問や反論があるならくれよな。不幸な子供をこれ以上生み出さない為にも、脱落する人のない楽しい社会を作る為にも、どんどん議論と実践をして、教育を変えていこうぜ」


参考文献『13歳の研究倫理(化学同人): 知っておこう! 科学の世界のルール 2018/8/10 大橋 淳史 』


今までの教育論を集めた一覧はこちらです。


それ以外のものを書いた理論は、こちらです(目指せ、新日本国憲法)


これとは別の、基本的な経済学をまとめたのはこちらです

書いたものの連絡や、たまに意見など載せてるツイッターはこちらです。





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