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置いていくもの・持っていくもの

私などが言うまでもなく、今日は平成最後の日。
「昭和最後の4月30日」に生まれた身としては、「平成最後の日」が4月30日であることに対してやや感慨深いものがある。「平成の申し子」などと言うつもりはないけれど、平成という時代の影響を色濃く受けた人生だったことは間違いない。

終わりゆく平成に置いていきたいものは「弱い自分」かもしれない。
どうにも昔から臆病で、何かをするのになかなか踏ん切りがつかない。声を上げたいことがあるのに、声を上げることで自分に向けられる目や、その後の自分が置かれる立場のことを考えてつい黙り込んでしまう。そのくせ、その後になってぶつくさと不満を口にする。なんとも弱く、醜い。

一方で、令和に持っていきたいものもある。これはもう、「素敵ピープル」の皆さんとのつながり、これに尽きる。
特に平成30年の中盤以降、「皆さんこれまでどこに潜んでいたんだ!?」というくらい、何人もの素敵な方々に出会った。しかもそれは、ある「素敵ピープル」に知り合ったらその友人もやっぱり「素敵ピープル」で…と、どんどん広がる「素敵ピープル」の輪。
実はその輪はいくつかあるのだが、いずれの輪もここ、noteで出会った人が起点になっている。今、私の頭の中には3人ほどの具体的な顔が浮かんでいるのだが、その方々には感謝してもしきれない思いだ。

先日、とある方からいただいた名刺に「強く、優しく。」という標語が印字されていた。聞けば、その方が属する組織のスローガンらしい。
私が目指したいのはまさにそこで、両者をバランスよく兼ね備えた人間になりたい。

ちなみに「強さ」とは「声を上げる強さ」だけではなく、「独りで立つ強さ」でもある。誰かの言葉に乗っかって声を上げるのは簡単だが、自分独りで声を上げるのはとても難しい。でも私は、シュプレヒコールを叫ぶ群衆よりも、毅然と独りで立って声を上げる人の方に、より魅力を感じるのだ。

そのように考えていくと、やはり私の頭には理想像として中島みゆきの姿が浮かんでしまう。60歳を過ぎても、誰におもねることもなく、「おかしいものはおかしい」と異議申し立てを続けている。そしてその一方で、間違いなく人間を愛している。

2015年に彼女が発表した作品に「Why & No」という曲がある。

訊くべきだったね「なんでさ」ってね
間に合わせの納得で黙り込まないで
もしかしたら世の中はそういうものかもしれないなんて
“そういうもの”なんて あるもんか
訊けぱいいじゃんいいじゃん「なんでさ」ってね
訊けぱいいじゃんいいじゃん「Why & No & No」

「良いこと歌ってる!そうそう、世の中には『そういうもの』なんてないんだよね~」と思うのが、第一段階。
でもよく聴いてよく読むとこの曲、「おかしいものを受け入れてきてしまったあなたは、今後はそれらに対して『なぜ?』を問わなくてはいけない」という要求を突きつけている歌だ。換言すれば、「社会を変える前に、あなたが変わらなくてはいけない」。

おかしいものはたしかにおかしいのだけれど、ではなぜその「おかしさ」が生まれてしまったのか、どうすればそれは取り除けるのか、そのためには「私」は何をしなくてはいけないのか。そう、「人々」がすべきことではなく、「私」がすべきことを考えたいのだ。

来るべき新時代、そんなことを念頭に、生きられるところまで生きていきたいと思う。

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