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My Favorite Things~みんな私のお気に入り

私は本屋が好きだ。一つずつの本が集まって、一つのお店を形成しているから。
私は合奏が好きだ。一つずつの楽器が集まって、一つの音楽を形成しているから。
私は建築が好きだ。一つずつの部材が集まって、一つの建物を形成しているから。
私は都市が好きだ。一つずつの建物や人々が集まって、一つの空間を形成しているから。
私は言葉が好きだ。一つずつの文法が集まって、一つの言語を形成しているから。
私は文化が好きだ。一つずつの人間の生活が集まって、一つの傾向を形成しているから。

思いつくままに、「私の好きなもの」を挙げてみた。
どれもこれも、「部分が集まり、全体を成す」という形をとっている。部分に注目すればそれぞれの細部が持つ個性を味わい、全体に注目すればそれが醸し出す彩りに心が躍る。
そうやって視点を自由自在に動かすことで見えるものが変わるのは、とても面白い。

視点をひとところに留めてしまっては、見えてくるものも見えてこない。
「落ち着きがない」と誹られてもいい。その時々で違った姿を見せてくれるものを矯めつ眇めつ眺め、愛でながら生きていきたい。

※ ※ ※

今日、ロンロさんTwitterで言及されていた「建築の匠」さんというWebメディアのライター募集の要項を読みながら、ふと「自分は言葉も好きだし建築も好きだなぁ」と思った。一見すると直接の関係はない両者なので、いったい自分はそれらのどこに惹かれるのだろう…と改めて考えてみた次第。
2つだけでは傾向が掴みきれないので、心に浮かぶままに「好きなもの」を思い浮かべてみたところ、どれもこれも「部分が集まることで全体を成す」という性質を有していることに思い至った。

もちろん、その性質は世の中の多くのものに当てはまることは百も承知だ。できるだけ距離を置きたいと思う「ビジネス」や「経済」の世界だって、個々の経済活動・企業活動が「資本市場」という大きな総体を構成している。
「私が好きなもの」と「ビジネス・経済」の違いは何かと考えてみるが、正直よく分からない。ぼんやりと思うのは、「人間一人ひとりの姿が見えるかどうか」「お金が前面に表れているかどうか」ということ。「私が好きなもの」からは、そこでたしかに生き、日々の暮らしを営む人間の姿がよく見える代わりに、お金はあまり見えない(本屋さんではたしかにお金のやり取りが発生しているが、個人的には本の売買には経済事象以上の何かを感じる)。対して、「ビジネス・経済」ではお金が見えやすく、人は見えづらいことが多い気がする。

あぁ、鬱陶しいほど私が繰り返してしまうことなのだが、つまるところは「人・人・人」なのである。どこまで行っても「人」好きな私である。

「我々はもうほんと、ことばが好きで人間が好きですから、そこはぶれずにやっていく」
これは先日、ある方と話している中で私が発した言葉。我ながらなかなか良いことを言ったな、と思う。「良い」というのは必ずしも世間一般から見て良いというわけではなく、自分の気持ちに正直であるという点において良いということだ。

正直に生きた先には、何があるだろうか。

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