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『人生タクシー』:2015、イラン

 ジャファル・パナヒは車載カメラを窓の外に向け、タクシーを運転していた。1人の男性を乗せた後、しばらくすると今度は女性が乗ってきた。男性客はカメラに気付いて向きを変え、「これは何ですか?」と質問する。「防犯装置?」と問われたパナヒは、「そんなところです」と答えた。
 男性は「ある意味、俺の専門です」と言い、従兄弟が安いポンコツ車のタイヤを4本とも盗まれた事件について語った。彼はパナヒに、「俺が大統領なら泥棒を見せしめとして何人か絞首刑にする」と告げた。

 女性客が「人の命を奪うことを簡単に考え過ぎよ。貧しい人が思い余って盗んだのかもしれない」と注意すると、男性は「そんなのは何の言い訳にもならない。自分が盗まれたらどうですか?」と反論する。
 女性が「すぐ死刑にしすぎって言ってるの」と話すと、彼は「もっと軽い罪で2人が死刑になったばかりだ」と告げ、両者は口論になった。パナヒは大病院の場所が分からず、「運転手じゃないでしょう」と男性に指摘された。

 女性から仕事を問われた男性は、先に教えるよう要求した。女性が教師だと答えると、彼は「現実を知らない」と鼻で笑った。改めて仕事を問われた男性は「フリーランス」と返答し、「詳しいことは後で教える」と述べた。
 目的地に着いた彼は車を降り、自分は路上強盗だと明かした。男性は軽く笑いながら、「教師や運転手からは盗まない。貧乏人のタイヤを盗むような連中とは違う。あんな奴らに同情なんて要らない」と告げた。男性が立ち去る姿を、女性は呆れた様子で見送った。

 女性も下車した後、パナヒは小柄な男性客を乗せた。男性は貸切にしてほしいと頼み、「パナヒさんですよね?」と話し掛けた。パナヒの了解を取ってから、彼は助手席に移動した。男はレンタルビデオ店のオミドと自己紹介し、息子の注文を受けて配達に行ったことを語る。
 しばらくすると複数の男たちがタクシーを叩いて停め、バイク事故で重傷を負ったモハマディ・ラベイと付き添いの妻を乗せた。ラベイは妻のために遺言を残したいと言い、スマホで撮影してもらってメッセージを録画した。

 タクシーは病院に到着し、ラベイは搬送された。パナヒは妻から「さっきの映像をください」と言われ、「今は無理だから電話を」と名刺を渡した。タクシーが発進した後、パナヒはラベイの妻から電話を受けた。オミドは軽く笑い、「今のも全て映画なんでしょう?」と口にした。
 オミドを目的地まで送り届けて待っていると、またラベイの妻から電話が入った。彼女は夫が生きていることを話し、念のために映像を引き取りたいと告げる。パナヒはコピーが出来たら連絡すると約束し、電話を切った。

 オミドは顧客の大学生を連れて、タクシーに戻って来た。彼は「パナヒさんも仲間だ」と言い、鞄を開けて海外映画の海賊版DVDを見せる。電話を受けたオミドがタクシーか離れると、大学生は彼がパナヒと組んでると話していたことを教えた。
 大学生は芸大で短編を撮ることを語り、パナヒに「題材を探してる」と相談する。パナヒは映画や本ではなく、他を探るよう助言した。大学生は気になった作品を選び、オミドに代金を支払った。

 パナヒがオミドをタクシーに乗せて出発しようとすると、すぐに金魚鉢を抱えた2人の老女が「急いでるから乗せて。アリの泉に正午までに着かなきゃいけない」と頼んで来た。パナヒは2人を乗せて出発し、オミドに「君と私は組んでるそうだね」と軽く笑いながら告げる。
 オミドはパナヒのおかげで普段より多く客が買ってくれたと釈明し、「これも文化活動です」と説明する。彼は降りる時に改めて謝罪し、パナヒは代金を受け取らず文化活動に使うよう促した。

 老女たちはパナヒに、正午きっかりに金魚を返さないと命に関わるのだと言う。急ブレーキで2匹の金魚が鉢から飛び出し、老女たちは慌てた。パナヒはトランクからビニール袋を出して水を注ぎ、金魚を入れた。
 金魚を返す理由を彼が尋ねると、老女たちは「2匹を泉から連れて来た日は5歳違いの誕生日。2人とも正午生まれだから、2匹を返して新しい金魚と交換しないと私たちは死ぬの」と説明した。パナヒは姪を学校へ迎えに行かければいけないのだと言い、別のタクシーを拾って老女たちに移ってもらった。

 パナヒが小学校へ行くと、姪のハナはタクシーで来たことや1時間も遅れたことに文句を付けた。ハナが生意気な態度で不満を並べるので、パナヒは呆れながら「幼馴染と会うから乗って」と告げた。パナヒから呼び出した用件を問われたハナは、授業で撮る短編映画の題材を探しているのだと話す。
 彼女は近所の家に娘の求婚相手が来た時の一部始終を、カメラに収めていた。父親は相手がアフガニスタン人だと知って追い払い、息子たちは何度も殴り付けた。しかしハナは、この内容だと文化祭での上映許可が出ないのだと語った。

 パナヒは幼馴染のアラシュと再会し、タクシーに戻って来た。ハナが「気の合う友達には見えない」と言うと、彼は父親同士が親友だったと説明する。アラシュはフラッペを食べようとハナを誘い、パナヒには「戻って来るまで、これを見ていてくれ」とノートパソコンを渡す。
 そこには防犯カメラの映像が収められており、アラシュが強盗に襲われていた。タクシーに戻って来たアラシュは、犯人が顔見知りの夫婦だったと告げる。彼は怪我を負ったが、夫婦が金に困っていると知って警察には訴え出なかった。

 カフェの男性店員がオレンジジュースをタクシーへ持って来たので、アラシュが受け取った。店員が去った後、アラシュはパナヒに「今の男が犯人だ」と教えた。アラシュが去った後、ハナが店から戻って来た。パナヒはタクシーを発進させ、ハナは上演可能な映画のルールを説明した。
 パナヒが「さっきの幼馴染を映画に出すなら、どうすればいい?」と訊くと、彼女は見た目を大きく変える必要があると告げた。パナヒがタクシーを降りて離れている間、ハナはデジタルカメラで外の様子を撮影した…。

監督&脚本はジャファル・パナヒ。

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 ベルリン映画祭で金熊賞を受賞した作品。監督&脚本は『オフサイド・ガールズ』『これは映画ではない』のジャファル・パナヒ。1995年の監督デビュー作『白い風船』でカンヌ国際映画祭カメラ・ドールを受賞し、その後も1997年に『鏡』でロカルノ国際映画祭金豹賞、2000年にヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞するなど、海外では高い評価を受けている監督だ。
 しかしジャファル・パナヒは政権を批判する姿勢がイランでは問題視され、2010年には逮捕されている。各国の映画人による抗議を受けてイラン政府はパナヒ監督を釈放したが、20年間の映画製作を禁じる処分を下している。

 しかしパナヒ監督は、そんな弾圧に屈する人物ではない。映画製作を禁じられた後も、『これは映画ではない』『閉ざされたカーテン』といった作品を無許可で撮り、国外に持ち出している。そして相変わらず、国外では高い評価を受けている。
 この作品も、もちろん無許可で撮影されている。なのてパナヒはタクシー運転手として車を走らせ、「映画を撮影しているわけじゃない」という体裁を取っているわけだ。もちろんイラン政府がそれで許可するはずもないが、一応は「映画じゃない」というポーズを取っているわけだ。

 映画はタクシーの中から正面を捉えた映像で始まり、そのまま2人の客が乗ってくる。カメラは固定されているので、車内に入った客を捉えることは無い。もちろん、運転手の姿を映し出すことも無い。そのため、最初は運転手がパナヒ監督であることも明かされないままだ。
 しばらくすると男性客がカメラに触れて、ここで初めて2人の客が写るアングルになる。このパートが10分ほどで終了し、次のパートに入るとアングルが変化して、初めてパナヒの姿が映し出される。

 カメラマンが乗っていないので、最初は1つの固定カメラの映像だけで映画は進行していく。しかしオミドが乗車すると、変化が生じる。オミドが助手席に移動すると、ここでカットが切り替わるのだ。そして会話に合わせて、運転席と助手席のカットが切り替わる。
 複数のカメラを同時に回しているのかもしれないが、ここでドキュメンタリーっぽさが弱くなる。この作品は徹底してドキュメンタリー的に偽装した方がいいと思うんだよなあ。なので、1カット長回で1つのエピソードを完結させた方がいいんじゃないかと。

 ラベイが遺言を残したいと頼むと、オミドがスマホで撮影する。ここからスマホで撮っている映像に切り替わり、ラベイが遺言を語った後も、しばらくは続く。ラベイが搬送され、妻が外へ出て後を追う様子をオミドが撮影している映像が、そのまま映画として使われる。
 様々な形で撮影された映像が、劇中で使用されている。だが、全ては「登場人物が何らかの目的で回しているカメラが捉えた映像」という体裁で、表面的には「映画のための撮影じゃありません」という形になっている。

 庶民の日常生活を淡々と映し出しているように見せ掛けて、実はイランの政情を浮き上がらせている部分も少なくない。例えば冒頭シーンではイランでは些細なことで絞首刑になること、イランの死刑執行数は中国に次いで多いことが乗客の台詞を使って語られる。
 オミドたちのシーンでは、イランで海外の映画やドラマを見ることの難しさが示されている。バレーボールの試合観戦に行った女性たちが逮捕され、1人は108日も拘禁されていることも語られている。最後の抵抗はハンストであり、政府は面会を希望する家族や親友に「ハンストはしていない」とカメラの前で言うよう要求することにも触れている。

 パナヒがハナと話すシーンでは、イラクで映画を撮る時に要求される厳しいルールが示されている。「女性はスカーフを被り、男女は触れ合わない」「俗悪なリアリズムや暴力を避ける」「善人の男にはネクタイをさせない」「善人の男にはイラン名を使わず、イスラム教の聖人の名前を使う」「政治や経済に触れてはいけない」といったルールだ。
 これを順守できない映画は、上映が許可されない。イランという国は、そういう状態が長きに渡って続いている。

 政府が監視を意識させるため、標的となる市民にスパイ容疑を掛けて倫理上の罪を付け足すことも劇中では語られている。釈放されても外は巨大な独房と化しており、親友は敵になっている。状況を変えるには、国外へ脱出する以外に方法が無い。
 暗くて嫌な現実は「俗悪なリアリズム」とされ、見せたり語ったりすることを止められる。それは政府にとって都合の悪い真実だからだ。この映画もイスラム文化指導省の判断で、許可は出なかった。そのため、パナヒ監督の他の作品と同様、イラン国内では見ることが出来ない。

(観賞日:2021年10月6日)

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