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『サウンド・オブ・ミュージック』:1965、アメリカ

 オーストリアのザルツブルク。1930年代、最後の黄金期。修道女見習いのマリアは奔放な性格で、戒律を守らず高原へ出掛けることが多かった。彼女には、どこでも歌ってしまう癖があった。
 シスター・ベルテは「修道女に向いていない」と言い、シスター・マルガレッタは「清らかな心を持っている」と養護する。修道院長が他のシスターに訊くと、「好感は持てるが問題を起こすことが多く、修道院には向かない」ということで意見が一致した。

 修道院長はマリアを呼び、「世間に生活に触れなさい」と告げた。彼女は「夏の間、フォン・トラップ大佐の7人の子供の家庭教師をする仕事がある」と語った。トラップ大佐はオーストリア海軍の退役軍人で、数年前に妻を亡くしている。
 大佐宅へ向かったマリアは、豪邸に圧倒される。執事のフランツに素性を説明し、彼女は屋敷に入った。大佐と面会したマリアは、これまで11人の家庭教師が辞めていること、彼か規律と秩序を重んじていることを聞かされた。

 大佐は「午前は勉強、午後は行進と体操をさせている」とマリアに語る。子供たちに遊ぶ時間は与えていなかった。大佐が笛を吹くと、部屋から出て来た子供たちが整列し、行進してきた。リーズル、フリードリッヒ、ルイーザ、クルト、ブリギッタ、マルタ、グレーテルという7人だ。
 大佐は笛を鳴らすことで、子供たちを指示に従わせていた。マリアは、そんな教育方法に批判的な意見を述べた。

 大佐が立ち去ると、子供たちはマリアの服にカエルを入れる悪戯を仕掛けた。父親の前では軍隊式の教育に従っているが、素顔は明るくて元気な子供たちなのだ。
 夕食の時も、子供たちはマリアの席に松カサを置く悪戯をした。しかしマリアは怒ったりせず、茶目っ気のある歓迎に感謝する言葉を述べた。すると子供たちは泣き出した。電報配達員ロルフが来たので、フランツが応対した。2人ともナチ党員で、ドイツによるオーストリア合邦について語り合った。

 フランツから電報を受け取った大佐は、翌朝にウィーンへ発つことを告げた。交際している男爵夫人に会うためだ。リーズルは食卓を抜け出し、恋人のロルフと密会した。外は嵐になった。
 マリアは家政婦のシュミット夫人から、「奥様を亡くしてから大佐が厳格になり、音楽や笑いが家族から消えてしまった」と聞かされた。シュミットは、大佐が男爵夫人との結婚を考えていることを語った。

 シュミットが去った後、マリアの部屋の窓からリーズルが入ってきた。戻るのが遅れてしまい。ドアに鍵が掛けられてしまったからだ。マリアはずぶ濡れのリーズルを見て、着替えを用意してやった。そこへ雷を怖がった子供たちが次々に入ってきた。
 マリアは子供たちをベッドに入れ、「怖い時や悲しい時は、楽しいことを考えるのよ」と告げて歌い始めた。そこに大佐が現れ、冷徹に注意した。マリアが「子供たちの遊び着を縫うために生地が欲しい」と言っても、「必要が無い」と却下した。

 翌日、大佐がウィーンへ出掛けた後、マリアはカーテンの生地で作った遊び着を子供たちに与え、山へピクニックへ出掛けた。子供たちは、大佐の気を引くために悪戯をしていることを話した。
 マリアは「それより歌って気を引いたらどうかしら。男爵夫人を迎える歌を練習しましょう」と提案するが、子供たちは歌を何も知らなかった。そこでマリアはドレミの基本から教え、子供たちに歌わせた。

 大佐は男爵夫人のエルザと親友のマックスを連れて、ウィーンから戻ってきた。ボートで歌っているマリアと子供たちを見て、彼は顔を強張らせた。大佐は子供たちに、着替えて集合するよう命じた。
 マリアは大佐に、「子供たちが怖がっているので、優しくしてください」と頼んだ。しかし大佐は、彼女にクビを通告する。その時、子供たちの歌声が聞こえて来た。部屋へ行くと、子供たちはエルザを歓迎する歌を披露していた。大佐は部屋に入って歌に参加すると、子供たちを抱き締めて微笑んだ。

 大佐はマリアに「貴方が正しい。私は独りよがりだった」と詫び、「ここにいてください」と頼んだ。引き続き家庭教師を務めることになったマリアは、子供たちに歌と人形劇を披露させた。それを観賞したマックスは「ザルツブルグ音楽祭に参加させたい」と言うが、大佐は公の場で歌わせることに反対した。
 子供たちから耳打ちされたマリアは、大佐にギターを渡し、歌うよう促した。大佐はギターを奏で、歌を披露した。大佐とマリアが見つめ合う様子に、エルザは気付いた。

 エルザは大佐に頼み、婚約披露パーティーを開いてもらった。大勢の客が訪れる中、ナチ党員のゼラーは掲げられたオーストリア国旗に不快感を示した。
 大佐は子供たちと一緒にいるマリアを見つけ、ダンスに誘った。顔が近付いて目が合うと、マリアは顔を赤らめてダンスを止めた。その様子を、エルザは目撃していた。マリアは子供たちを集め、練習させてあった歌と踊りを客に披露させた。

 エルザはマリアに声を掛け、彼女が大佐に惹かれていることを指摘した。そして「大佐も貴方に好意を持っている。だけど本気にしてはダメよ。そういう気持ちは、すぐに冷めるわ」と告げた。「ここにはいられない」と考えたマリアは、置き手紙を残して修道院へ戻った。
 数日後、エルザは子供たちの相手をするが、すぐに疲れてしまう。彼女はマックスに、子供たちを全寮制の学校へ入れる考えを述べた。子供たちはマックスに言われて歌を歌うが、マリアがいなくなったことで元気が無かった。

 大佐は子供たちに、エルザと結婚することを告げた。子供たちは当惑しながらも、2人を祝福した。子供たちはマリアのことが忘れられず、修道院へ会いに行く。だが、マリアは部屋に篭もり切りだった。
 修道院長はマリアを呼び、事情を尋ねた。マリアは、大佐への気持ちが分からず悩んでいることを打ち明けた。修道院長は「男性を愛しても神への愛は減りません。男女の愛も神聖なものです。戻って貴方の気持ちを確かめなさい」と促した。

 マリアがトラップ家に戻ると、子供たちが大喜びで迎えた。子供たちから大佐とエルザの結婚を告げられたマリアは、ショックを受けた。しかし彼女は平静を装い、大佐とエルザを祝福した。
 その夜、大佐はエルザに、婚約の解消を告げた。大佐の気持ちに気付いていたエルザは、「私たちは合わないのよ」と微笑し、それを受け入れた。大佐はマリアの元へ行き、愛する気持ちを告白した。2人は式を挙げて新婚旅行へ出掛けるが、その間にドイツ軍はザルツブルクへと進駐していた…。

 監督はロバート・ワイズ、戯曲はハワード・リンゼイ&ラッセル・クローズ、脚本はアーネスト・レーマン、製作協力はソウル・チャップリン、撮影はテッド・マッコード、編集はウィリアム・レイノルズ、美術はボリス・レヴェン、衣装はドロシー・ジーキンス、振付はマーク・ブロー&ディー・ディー・ウッド、作曲はリチャード・ロジャース、作詞はオスカー・ハマースタイン二世、音楽監修&編曲&指揮はアーウィン・コスタル。

 出演はジュリー・アンドリュース、クリストファー・プラマー、エレノア・パーカー、リチャード・ヘイドン、ペギー・ウッド、アンナ・リー、ポーティア・ネルソン、ベン・ライト、ダニエル・トゥルーヒット、ノーマ・ヴァーデン、ギル・スチュアート、マーニ・ニクソン、エヴァデン・ベイカー、ドリス・ロイド、チャーミアン・カー、ヘザー・メンジース、ニコラス・ハモンド、デュエン・チェイス、アンジェラ・カートライト、デビー・ターナー、キム・カラス他。

 マリア・フォン・トラップの自伝を基にしたブロードウェイ・ミュージカルを映画化した作品。アカデミー賞で作品賞、監督賞、ミュージカル映画音楽賞、音響賞、編集賞を受賞した。
 監督は『ウエスト・サイド物語』のロバート・ワイズ。マリアをジュリー・アンドリュース、大佐をクリストファー・プラマー、エルザをエレノア・パーカー、マックスをリチャード・ヘイドン、修道院長をペギー・ウッド、マルガレッタをアンナ・リー、ベルテをポーティア・ネルソン、ゼラーをベン・ライト、ロルフをダニエル・トゥルーヒットが演じている。

 原作は、1956年と1958年に西ドイツで『菩提樹』『続・菩提樹』という題名で映画化されている。舞台版は、女優のメリー・マーティンが『菩提樹』のミュージカル化を企画したところから始まっている。
 舞台はロングラン・ヒットとなり、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタィン二世がコンビを組んだ最後の作品となった(1960年にハマースタインが死去したため)。

 20世紀フォックス社は、1960年にミュージカルの映画化権を獲得し。舞台版からは3曲が削られ、『I Have Confidence in Me(自信を持って)』と『Something Good(何かいいこと)』の2曲が付け加えられた。
 舞台版で主演したメリー・マーティンは当時50歳だったため、映画では別の女優が起用されることになった。最初に監督する予定だったウィリアム・ワイラーがオードリー・ヘプバーンの起用を望んだり、ドリス・デイが断ったりという経緯があり、最終的に選ばれたのは、まだ『メリー・ポピンズ』の公開前で、映画界では無名だった舞台女優のジュリー・アンドリュースだった。

 シスターの一人、シスター・ソフィアを演じているのは、『ウエストサイド物語』のナタリー・ウッドや『マイ・フェア・レディ』のオードリー・ヘップバーンなど、多くのミュージカル映画で歌の吹き替えを務めてきたマーニ・ニクソン。これが唯一の映画出演である。もちろん彼女は、自らのパートを歌っている。
 この映画では、クリストファー・プラマーとペギー・ウッドの歌声が吹き替えだ。また、子供たちの歌の一部分では、リーズル役を務めたチャーミアン・カーの妹であるダーリーン・カーが参加している。

 子供たちがマリアに懐く経緯は、ものすごく簡単に処理される。子供たちに厳しく接して音楽を禁じていた大佐が変節する展開も、かなり安易で強引だ。
 ハッキリ言って、ストーリーはユルいと思う。だけど、その辺りは何となく許せてしまう。それは「この映画だから」というんじゃなくて、たぶんミュージカル映画に対しては、そういうトコが甘くなっちゃうんだよな、私は。

 正直、エルザって要らないんじゃないか。この映画に、恋のライバルは必要が無いと思う。大佐はエルザと話している時、嬉しそうに笑顔を見せているけど、そこに引っ掛かるんだよな。
 それって、子供たちの前で見せる「厳格で冷徹」というイメージと全く違うでしょ。でも、そこで彼の強面キャラを崩すのは、得策ではない。作りとしては、「それまで全く笑わなかった大佐の心が、マリアの存在によって解きほぐされる」という形になるべきだと思うのよ。この映画だと、もうエルザの前では楽しそうだもんね。

 もっと要らないと感じるのは、ナチスに目を付けられて亡命するという終盤の展開だけどね。前半から、オーストリアが合併されるとか、フランツがナチ党員になっているとか、そういうネタが振ってあるけど、マリアとトラップ一家の触れ合いを描く話の雰囲気が爽やかで心地良かっただけに、後半に入って戦争や政治の暗い影が色濃くなってくると、テンションがダダ下がりになってしまうのね。

 個人的には、ミュージカルというのは歌と踊りが両輪だと考えている。その内、この映画は踊りの部分が欠けている。リーズルがロルフと密会する時の『Sixteen Going on Seventeen(もうすぐ17才)』、ピクニックでの『Do-Re-Mi(ドレミの歌)』など、踊るシーンが無いわけではない。
 ただ、MGMミュージカルのように、優れたダンサーが卓越した踊りを見せるわけではないし、全体を通して「ダンス」という意識は著しく低い。だから、そこはマイナス査定になってしまう。

 ただし、じゃあトータルでの評価が低いのかというと、そうではない。ダンスによるマイナスを考えても、やはり魅力のある映画だという感想だ。歌の方は、良く知られている名曲が揃っているし。ドレミの歌なんて聞き飽きているぐらい何度も聞いた曲だけど、やっぱり本作品で耳にすると、自然と気持ちが弾むんだよな。そういう力を持っている。
 あと、子供たちが楽しそうに歌っている様子、マリアと子供たちが触れ合う明るくて爽やかな様子に、心を惹き付けられる。パーティーで子供たちが披露する『So Long, Farewell(さようなら、ごきげんよう)』なんて、踊りの質が高いわけじゃないけど、特にグレーテルの可愛さはたまらんよ。

(観賞日:2011年1月8日)

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