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星組RRR/VIOLETOPIA感想②━お正月公演に選ばれたのは、舞台のかなしさやみにくさ

 1月にみた星組公演を、東京で再度観劇できました。前回はRRRのみ感想を書いていて、VIOLETOPIAはもう少し咀嚼したいな〜と思って書いていませんでした。というわけで、ショーの感想を書いていきます。

RRRの感想はこちら↓

 VIOLETOPIA、ものすごいチャレンジングなショーでしたね。それも、お正月公演で。もうすこしメリハリが欲しかったな〜などなど思うところもあるのですが、これをお正月にもってきた心意気に万々歳です。宝塚を象徴する花「すみれ」の名前を冠したショーに、タカラジェンヌをはじめとする舞台に立つ人々の自己矛盾を暴いていくシーンが詰め込まれていました。

 描かれる登場人物ひとりひとりの物語や心情というよりは、モチーフに意欲を感じました。たとえば、サーカス。サーカスの蛇への少女の共感や憐れみはもちろん素敵なのですが、それよりはサーカスというモチーフを選んで、妖しく、不気味に仕上げていたことに魅力を感じました。

 サーカスといえば、見せ物の醜さを想起させる興行の筆頭といっていいでしょう。極美慎さん演じるシルクハットの団長は、ピノキオのストロンボリ(ビジュアルは全然違いますけど)やグレイテストショーマンのP.T.バーナムを思い出させます。また、檻から礼真琴さん演じる蛇が出てくるのも、映画「オペラ座の怪人」(2004年版)のエリックの過去や、お母さんと引き離されたダンボを彷彿とさせます。サーカスは、言ってしまえば弱者や笑い物を鑑賞する興行だったものです。

 そんなサーカスが「すみれ」の名のショーに出てくると、宝塚の起源が思い浮かびます。宝塚の始まりといえば、鉄道の終点の温泉地で、プールに人気が出なかったため改造されて少女歌劇のステージにされたことです。温泉地で未婚の女の子ばかりを集めた歌劇というのも、そこで盛んに上演されたレビューがキャバレーやナイトクラブと紐づくイメージを持っているのも、美しいばかりではない歴史を感じます。少女たちを集めて経営したのも、鑑賞したのも、少女たちより圧倒的に強い立場にある大人の男たちです。

 宮廷に出入りする作家、バックステージで働く青年。劇場や興行に関わる人々の中でもとくに立場の強くない者にフォーカスが当たっていき、ショーは「狂乱」そして「孤独」の場面にたどり着きます。トップ娘役の舞空瞳さんが男役のようなハットとネクタイ、パンツ姿で、2番手男役の暁千星さんがミニドレスで登場した次のシーンで礼真琴さんが歌う詞がなんとも見事です。

「紛い物のお前、紛い物の僕よ」
「止まらない、終わらない、くだらない世界」
「悲しい、恐ろしい、でもただ愛おしい」

 女性が男役と娘役にわかれて、世間で理想的とされてきた男女像をなぞり男尊女卑を再生産する構図とその悲哀を思い起こさせる歌詞。これを、娘役と男役を反転させることでより2人の役者の違和感を強調したあとに歌わせているのです。

 私が個人的に宝塚歌劇を見ていてよくザラつきを感じる「紛い物」の表現は、軍服を着た男役たちです。戦争の場面で、戦争に行かない性別とされてきた女たちが男役として軍服を着て、統率された踊りを踊る。こんな時、心がざわつきます。これをかっこいい、美しいと思っていいのか?なぜ美しいと思ってしまうのか?と恐ろしくなります。最近では「はいからさんが通る」「蒼穹の昴」「ディミトリ〜曙光に散る紫の花」あたりでとくに思いました。

 男尊女卑も、戦争も、劇場の外では忌み嫌われるものです。それらをなぜか劇場という場では、役者が一生懸命演じ、人々の心を揺らしている。ときに、美しいものとして。とくにレビューの場合は、作品の主張を強調するためというよりは美しい表象のひとつとしてこういうことが行われます。ミスサイゴンなどで描かれる戦争とはかなりわけが違うように感じます。それでも、演者は命を削ってより観客の心を揺らすためのブラッシュアップに勤しむのです。

 そういう、ぶっちゃけ清くも正しくも美しくもない宝塚歌劇像を描いた作品が、正月公演としてかかったことに「ほう……」と思いました。

 このように美しいばかりではない部分もある宝塚歌劇の舞台で、それでもお客の視線を浴びるのが好きなんだ、と言わんばかりの笑顔を見せてくれるスターさんたち。この表現をあえて正月公演で見せた2024年の歌劇が、スターの苦しみを取り除く方向にむかうのか、隠す方向にむかうのかがこれからの本当の「見せ物」な気がします。

 ところで、1月26日にムラでこのショーを観劇した直後に感想を書く気になれなかった理由の一つが、直前にこのショーの演出家のハラスメントが報道されたことです。結局、2年前最初にハラスメントが報道された演出家以外にはとくにお咎めもなく(理事を下された人はいましたが)、淡々と興行が続けられています。ここまで感想を書いてきましたが、劇場に出入りする比較的立場が弱い人々の自己矛盾や悲哀を描くショーの演出家がハラスメントって、正直どんなギャグ?と思っています。私は作品と作家を切り離せないタイプなので、ここまで一旦本作の面白さをたくさん語りましたが、誰かにこの作品を勧めたり、好きな作品として名前をあげることはないと思います。

 たまたまこれを書いているいま、アカデミー賞が大きな話題です。人種差別的と取れる行動や戦争の容認と取れる行動をとってしまったスターや作家の作品を見るべきか見ないべきか、大変多くの人が迷っているようです。

 私もまだこの問題に関しては模索中です。ハラスメントが一際大きく取り上げられたある演出家の作品のチケットを1枚だけ持っていますが、それ以降は一旦買わないことにしてみました。しかし、見た上で批判した方がいいということもあるのかもしれません。実際、今回私はハラスメント報道を知りながら持っているチケットを捨てずに客席に座りました。自分の中にも大きな矛盾がいくつもあると感じながら、受け入れられないことにどう反応するか考えることをやめずにいたいと改めて思いました。

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