#146 失敗したときに試される?
ものごとが上手く運ぶときはまだしも、失敗をしでかしてしまったときにこそ、試されるものがあります。
海外案件での現地担当者との打合せのとき、ある失敗を犯したことがわかりました。原因は、海外での仕事で良く陥りがちな指示の誤解。
外国語で現地担当者とやり取りするのですが、外国語ということで言葉の定義を取り違えること、事象の背景説明をしきれなかったこと、表現・指示が曖昧だったことがあります。
回復するには、もう一度同じことをする必要があり、時間もお金もかかります。最近は物価高騰と併せて円安が続いており、想定より多くの支出がかかることが予想されます。
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こんな時、どうするか。
問題をオープンにして逆風を思い切り受けるか。
それとも、その場しのぎで問題をできるだけ小さく納めるか。
理屈では前者が良いと分かるものの、感情では後者を選びます。
得てして、動画を見始めると無為に時間を費やすと理屈では分かっているものの、見たい感情には逆らえず動画を見始めてしまうもの。
人間だもの、理屈よりも感情が優先されることが多いです。
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手元に「京セラフィロソフィ」という本があり、その中に「もうダメだというときが仕事のはじまり」という一節がありました。
私には、今回の案件を何としてでも終わらせる、という気持ちがあります。今回の失敗に対応することと、案件全体を終わらせることを考えると、今回の失敗をその場しのぎで対応することが、後々案件全体を終わらせることの障害になり得ることが想定されました。
部分最適と全体最適を考えると、全体最適を考える必要があります。
理屈よりも感情が優先されるのであれば、できることは感情を感情で上書きすること。もちろん感情だけではダメなので、予算の確保と工期の再設定、意思疎通方法の改善策を考えることも大切です。
「禍福は糾える縄の如し」
「災い転じて福となす」
こう自分に言い聞かせていこうと思います。
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