好きなものが分からないのは

好きとは何か?
好きというのは、どんな気持ちを指すのか?
私にとって、楽しいことと好きなことは、イコールではない。
好きとは何かと考えるうちに、本当は憎いのではないかとすら思えてくる。

よく、自分の好きなものを選びなさい、やりたいことをしなさい、と言われる。
それが分からないなら自分の心に聞いてみなさい、とも。
…自分の心の声が簡単に聞こえたら、そもそも苦労はないというのに。

もしかしたら。
私にも好きなものはあるのに、
好きと言いきれないのではないか、と。
好きなのに、それを認められない。
そんなものを好きでいる自分が許せない。
…そんな気がする。

こんな言葉選びをするのだからと、私は穏やかな人間だと思われてしまうことが多い。
騙すつもりはないが、結果的に人を誤解させてしまっているような気になる。
…違うな。
嫌われたくないから、猫を被っているのだろう。
綺麗でも、いい人でもないのに。
それを悟られまいと、顔を作って。自分を繕って。
いい人の顔をしていないと、気になるあの人に好かれることもないのだろうと、己を殺していく。
その積み重ねで、自分の好きなものを、ひいては自分自身さえも、恥じるようになる。
それでも、卑屈な人間になってはいけないという戒めは解けないから、自信があるように振る舞う。

自分のことを嫌いになってはいけない、否定してはいけない、自信を持っていなければいけない。
卑屈な人間になってはいけない。
他人から嫌われるようであってはいけない。
文句や愚痴を言ってはいけない、恵まれているのだから幸せそうに笑わなければいけない。
他人の目を気にせず自由でいなければいけない。
…それができなければ認められない、愛されない。

…そんな、自分への戒めばかりが浮かぶ。
心の中の彼らに対してでさえ、嫌われるのではないかと不安になる。

…これは、過去に信じていたものを疑ったあげく捨てた、そのツケ、なのかもしれない。
他人の言葉に脅されて、好きだった人を裏切った。
「そんなものを信じても、役に立たない」と言われ、その言葉を鵜呑みにしてしまった。

…あの時。
私は、信じていた彼だけではなく、自分を信じる方法も、一緒に捨ててしまったのかもしれない。

それならば。まず私がすべきは、己に対して誠実になること、になるのだろうか。
何かを好きな自分、誰かを信じたい自分を、まずは自分自身が信じる。疑うことなく。
…それで、自分への戒めが簡単に解けるわけではないのだろうが。
それでも、少しくらい変わるのではないかと、期待だけはしてみよう。





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