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「私は幸せで問題ありません!」と表明しなくてはならない?

「しんどい」とか「辛い」を表現することは拒否されているように感じる。

人前では「私は幸せで問題がありません!」という態度が正解で、相手から最近の調子などを聞かれると、そういった振る舞いを強要されているように思えて辛くなる。

ずっと、この感覚はこの世の当たり前な暗黙の了解だと思っていたのだが、もしかして認知の歪みなのだろうか?

◇問題ないように振る舞う癖がついている

先日、人から「良いこと日記をつけよう。今度つけた結果を教えてね」とアドバイスされた。日々の生活で自己肯定感が持てず、自分の最近の様子を上手く説明できなかったためだ。
(この人は私にアドバイスや生活指導を行う立場にあるので、クソバイスなどではない)


正直、とても嫌だった。
「変化を教えて」に、「日々の心持ちが変わりました!なんだか毎日が楽しいです!」みたい結果を求められている気がして。
そして、その期待通りに振る舞わなければいけない気がして。

もちろん、分かってる。そうじゃないことは。
良いこと日記自体は、1日の中にある良いことを意識する習慣をつけるとか、悪いことより良いことを自分に印象づけることで、日々の心持ちを変化させようという認知行動療法なのだろう。

私も日記をつける習慣はあるので、書き出すことの効果は分かる。


でも、人にやらされると、「向こうが期待する良い結果を提示しなければいけない」と圧に感じてしまうのだ。


この「問題がないみたいに振る舞わなくてはいけない」を、私はずっと世間からの常識的押し付けだと思ってた。
けれど、もしかしてこれも育ちからくる”認知の歪み”なのだろうか?

◇これ、認知の歪み?育ちの問題?

どこでこの考えが自分に強く根付いたのか、と考えてみれば、結局、「母親が私にそう接してきたから」になるだろう。


口先では「あなたの味方。あなたのためを考えている」というが、実態として母にはそんな度胸や覚悟はなかった。

母に助けを求めるように、遭遇した出来事への怒りや不安を訴えると、

・呆れたように貶す
・いい加減してよ!とキレて突き放す
・あなたの捉え方が間違っているのよ、と痛ましげに嗜める

などの反応が返ってきた記憶である。あまり、こちらの感情が受け入れられていた感覚はない。
(記憶にないが、プラスの感情はどう扱われていたのだろうか?記憶にないだけなのか、そもそもプラスの感情を訴えていなかったのか)


さて、これが何だったのかを振り返ると、

「ありのままの私」や「私が何を感じ考えているか」などは家庭の中で許容されておらず、問題や面倒がない状態が求められている。

という事だったんだと思う。


母の「私はあなたの味方で、あなたのためを思うのよ」も嘘ではなかろう。

その言葉や態度を発する時は、そうありたいと願っている。しかし、実際の場面に遭遇した時に、それを受け止めて対処する能力や覚悟や余裕が母にはなかったんだろう、と私は解釈している。

子供と向き合い、健全に育めるほど、母は精神的に成熟していなかったのだろう。

子供に生の感情をぶつけられると、己が揺れて、耐えられず、パニックになる。だから、負の感情を表現する子供を黙らせることしかできなかったのだろう。

その割に、母の不満や愚痴を聞く係にはされたなぁ。この辺り、機能不全家族の特徴の一つ「親子の役割が逆転している」に合致しているな、と思う。


それを繰り返し、中学〜成人へと年齢を重ねるにつれ、だんだんと母に自分の抱える不安や問題を開示しなくなっていった。できるだけ、感情とは別の、必要な要件を交渉するように伝えて生活していたように思う。
(それでも度々気持ちを吐露してカウンターパンチを喰らっていたので、今思うと不覚である。)


そうして、母の望み通り、「面倒を訴えてこない子供」が出来上がったわけである。

◇培った認知の歪みが与える影響

このようにして、私は「他人には問題がないみたいに振る舞うべき」という常識を取り込んだ。


つまり、私は

「他人は私に対して、自分に面倒を寄越さず、自己解決できる人間で居てほしいと思ってる。そして、その望み通りに振る舞うべきだ」

と考えているのだ。

だから、大人になった今も反射的にそう考え、正しく己の状況が伝えられなかったり、助けを求められない事態に陥ってしまう。



うつ病あるあるとして、「友人に会ったら『意外と元気じゃ〜ん』と言われる」があるという。病気の状態が深刻に思われない、と。

これも、友人からすれば「心配してたけどホッとした」という気持ちなのかもしれない。
だが、私は「自分の身近な人間が体調悪かったら不安だし嫌だから、勝手に元気にやっていてほしい、と望んでいるのではないか」とさえ考えてしまう。
そして、無意識に望みに沿うように振る舞ってしまう。


捻くれすぎだろうか?
もしかして、世間一般の人はそうは思っていないのか?


相手の望みに沿った振る舞いを外れると、不機嫌になられたり、怒鳴られたりしそうで怖い。
こうして、健全で対等な人間関係を築くことができない。

人に対する興味や関心を失えばこういった葛藤に苛まれることもないが、他者と深く関わる機会も同時に失う。

いい加減、こんな自分には嫌気がさしているのだが。
なかなか、こう考える己をコントロールして他人と関わるのは難しいなぁ、と途方に暮れる気持ちだ。

問題ないです

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