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空っぽを埋めるためのパートナーシップ

あなたへの想いが届かなくて苦しい。

ちゃんと寝れてるのかな、食べてるのかな、すごく気になって聞きたいけど、我慢してる。

そもそも、この想いが溢れるから、いろんな行動の源泉にはなっているのだけど。

これは対象の人がいるからそうなるのであって。

対象の人がいないとき、私はどうなるんだろうと思う。

多分、スタートする地点が変わるんだろうな。


私のこれまでは、その対象の人がいることで、その人の痛みに寄り添う形で、パートナーシップを築いてきた。当然、相手は私にぞっこんになるんだけれども。

それって、お互いに助け合う関係性だから、共依存なんだよね。


お互いに、お互い見えない痛みを補い合うのは、困っていることが前提の生き方。

それぞれが楽しく生きていて、相手から頼まれたときに助けるというのは、困っていないことが前提の生き方。


そう、もう後者の生き方に変えていきたいんだ。

誰も困っていない、というのが本来の生き方じゃないのかな。


私、自分を生きていきたい。

そうしたとき、これまでのパートナーシップが逆転するんだろうね。

与えないことになる。

わざわざ困っているとか、痛みを見つけるとかしなくなる。


・・・ちょっと、不安。こんな私でも、、、あなたみたいに私を分かろうとしてくれる人に、好きになってもらえるんだろうか。

応援してもらえるんだろうか。


うん、そうだとは思うけど。


これまでは、人生を助けてあげる、その見返りとして私にぞっこんになってもらうことでパートナーシップの関係性を続けてきたから・・・必ず、結婚できてた。

でも、これからは、相手関係なく、私が相手を助けなくても、私が私でいるだけで、お互いにお互いが自然でくつろげるパートナーシップになるということだよね・・・

そういうの、初めてで、ちょっと戸惑ってる。


そう、お互いに困っている前提で助け合う関係性というのは、空っぽな自分を埋めるために、関係ない相手を利用していたということ。

わざわざ困っていないのに、そこに問題を作り出して助けることで、感謝され、自分の存在価値を埋めていくというものだけど。

もともと、私の家族がそうだったんだよね。

別に困っていないのに、この服を着なさいとか。

お腹がいっぱいなのに、食べ物はこれを食べなさいとか。

行きたくもないのに、外出に連れて行かれたりとか。


それで、親が「親としての役割」を、子供を利用して自己満足していたんだ。

あー。私、当時親にされていたことを、パートナーを使って同じことをしているんだと思った。


これが、毒親、なのかなって。

当時は、私自身が、うざい!と思わなくて、家庭内ストックホルム症候群になっていたんだ。

親が犯人みたいな感じで、子供が親に愛情を感じていた。

まさに、闘争本能が麻痺していたんだな・・・

親子関係をそのまま、全く関係ないパートナーを利用して再現して、私の「からっぽ」を私が埋めようとしてたんだ。

私、あなたに対してもそれをしようとしていた・・・

本当にびっくりして、これはやばい!と思って気づけた。


私の人生が過干渉な教育によって空っぽだったから。

なんとしてでも、その無価値観を埋めたいと思って、そのために男の人を捕まえては困っていることや人生の痛みを見つけて頼まれていないのにそこに介入したりしてさ。

私の存在価値の大きさを見せつけようとしていたんだ。

そして、私にぞっこんにさせていたんだよね。怖い。


でもそれって、もう過去の話だけど、寄生虫みたいだなぁって今では思う。

もし、闘争本能がずっと麻痺した状態のままだったら。

どうなっていたんだろう・・・

親に過干渉にされて嫌だった、って思えたから、このおかしなパートナーシップに気づけたんだ。

誰だって、頼んでないのに自分の過去の痛みとか、大切にしている秘め事なんて暴かれたくないよね。

私だって、いらないこと言われたら傷つくし、ムカついたりするもん。

相手の心に踏み込みすぎるのは、まさに親の過干渉を私がやっていたということだと気づいた。

ここに気づいたからには、仕事も今後の男女関係もガラリと変わると思う。

過干渉をやめるんだから、私は人のこと構わずに、私は私のことだけやることになる。

で!

誰か、そんな私のことを見つけてくれて、お気に入りにしてくれたら嬉しいな。

お互いに干渉しあうのではなくて、お互いに得意なことで後から気づくと補い合っていたという、どんどん「積み重なっていく」関係性になる。


これが一生続くラブラブの秘訣か・・・。

と思って、ちょっとドキドキする反面、やっぱり、そんなことやったことないから、不安もちょっぴりあるかな。でも、挑戦してみたいとは思ってる。