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「言葉は誤解を生む」

「星の王子様」に出てくるキツネのセリフだ。
仲良くなろうとするなら、そばに一緒に座るだけでいい。言葉を交わしてしまったら、誤解を生んでしまいすれちがいが生じてしまう。
ということだった。言葉がお互いの友情の妨げになるということらしい。

他にも強く印象に残るセリフがたくさん出てくるが、ただぽつんとセリフが出てきて、それで終わる。どう理解するかは読み手の想像に任せられていることが多い。

もし子供が大声で泣いているとき、どうしたの、何があったの!?としつこく聞いてしまい、子供は困ってさらに激しく泣いてしまう。言葉だけで対応した結果、どうしようもないすれ違いが生じる。こういう経験を通じて、泣く我が子にはただ黙って抱っこしてヨシヨシするほうが効果的であることを知る。

他人の子なら、とくに都会であれば抱っこした時点で通報されるので、どうすることもできない。ただ言葉だけで泣き止ませるのであれば、お菓子あげるからといえば泣き止むかもしれないが、これでは子供のあふれる感情を受け止めたことにはならない、ずるい大人のやり方だ。

転んでひじから血が出ている子に泣く理由を聞いたら、痛くて泣いちゃったの。というような答えが期待できる。しかし子供のころを振り返って、本当にそうだっただろうか。ひたすら泣いた後、泣き止んで落ち着いたとき、あんまり痛くないことに気づいて、ふつうに歩いて帰ったことが何度もあった。そうすると、痛くて泣いちゃったは正確な答えではなく、言葉にすることができなかった気持ちが他にあるが、それを言葉にして答えることができなかった可能性が高い。

成長したら、一輪車でくるっと回転するのがうまくできなくて転んじゃってくやしくて泣いちゃった。とか、より深い理由付けが加わるようになる。そしてさらに成長すると、頭の中で言葉を用いて感情を処理できるようになり、結果としてあんまり泣かなくなる。副作用として、本人の中ではいろいろあったとしても、他人からは大したことないように見えてしまう。

言葉で感情を表現できるメリットとしては、自分の気持ちを理解できるようになる。不快な気持ちを味わったなら、そうならないように対策を考えることもできる。楽しい気持ちへの理解もすすみ、楽しい経験を味わえるように今後の行動を変えていくこともできる。

デメリットは、感情の波が減った気がする。嫌なことは避けられるようになったが、すごく楽しい経験もなぜか減った。ドキドキすることもあんまりなくなってきた。感情を無理やり言葉に押し込めることで、言い表せない微妙なニュアンスはなかったこととして忘れ去られ、感情の一部が失われる。この現象も、言葉は誤解を生むということではないかと思う。

小学校低学年のころは、貧乏だったり何をしてもあんまりうまくできない子でも、生きているのがつらいだなんて言っていなかった気がするのに、中学校を過ぎて大人になるにつれて、ちょっとしたことで人生に絶望したり暗くなったりするようになる。この過渡期を中二病と呼ぶのかもしれない。

言葉を習得して、感情を言葉で表現できるようになったかわりに、自分の人生を生きることへの肯定感が減った。なにをしてもなんとなくむなしいという虚無感が、感情の波の後に、時間をおいてやってくることがある。これの正体を突き止めてやりたい。突き止めて退治して、子供のころのような気持ちに戻れたら、生きていることが今よりもっと好きになれる気がする。

そのためには、感情を無理に言葉にしないで、ただじっとして何もしないで受け止める時間があったっていい。くまのプーさんがよく言う、「何もしない」をするというやつだ。

あとは自分を必要としてくれる仕事がみつかったら、人生をさらに肯定できる気がする。プー太郎はかなり世間体が悪い。しかし年齢的に求人は乏しい。人生において、こっちのほうがより困難で緊急の課題ではある。

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