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(コラム-14) 「改正出入国管理及び難民認定法(案)」の可決、成立を受けて、いま、新政府軍が掲げ、明治政府が構築した「神話国家」を考える -保守派のもとでは、DV・児童虐待・性暴力・ハラスメントなどの暴力対策は進まない-

 昨日、令和5年(2023年)6月9日、強制送還の対象となった外国人の長期収容解消をはかることを目的とし、難民認定の申請中は強制送還を停止する規定を改め、難民認定の申請で送還を停止できるのは原則2回までとする「改正出入国管理及び難民認定法(案)」は、参院本会議で可決し、成立しました。
 この「改正出入国管理及び難民認定法」は、人道上の問題が国内外から指摘され、2年前の国会で廃案となったほぼ同じ内容です。
 つまり、昨日、参院本会議で可決、成立した「改正出入国管理及び難民認定法」は、いうまでもなく、人道上の問題があるものです。
 いま、政府・国会は、日本をどのような国にしたいと考えているのでしょうか?
 政権を担っている「自由民主党」の支持母体は「国民会議」、「神道政治連盟」、カルト教団である「統一教会(現.世界平和統一家庭連合)」を母体とする政治団体「国際勝共連合」で、また、この「国際勝共連合」を母体とするのが「日本維新の会」です。
 これらの人々(政治団体の職員、政治家、政治団体会員、そして、支持者)の思想、価値観の礎は、江戸幕府討幕のために新政府軍が掲げた「神武天皇の時代に戻れ!(神武創業)」です。
 その後、明治政府が掲げた『大日本帝国憲法』と『教育勅語』の文面は、「天照大神(あまてらすおおみかみ)の神勅」を抜きに考えられないものです。
 神武天皇も、天照大神も日本の神話で、実物しません。
 つまり、新政府軍が掲げ、明治政府が国家の礎にしたのは「神話」です。
 「国民会議」、「神道政治連盟」、「国際勝共連合」を支持母体とする「自由民主党」「日本維新の会」といった“超保守派”の価値観は、その時代への原点回帰をはかる、つまり、「神武天皇の時代に戻れ!(神武創業)」を目指しているということです。
 問題は、明治政府は、倒幕の正当性を示すために、天皇家の仏壇に位牌がなかった神話の登場人物である「神武天皇」の教えにもとづく国家建設を目指したことです。
 そして、日本の保守派の人々、政治家は、その時代に立ち返ろうぜ!を目指しています。
 嘘のような本当の話です。
 保守派は、“保守的”な価値観を支持する人たちのことです。
 “保守的”な価値観とは、明治政府が、列強強国に対抗するために進めた「国民皆兵」「富国強兵」を国民に浸透させるためにとり組んだ「家父長制度」を軸にしたさまざま価値観です。
 この明治政府が目指した「国民皆兵」「富国強兵」には、学制、兵制、税制改革は不可欠で、そのうえで大きな役割を果たしたのが「家父長制」です。
 その「家父長制」のもとで、武家社会の思想の「男尊女卑(儒教思想)」、武家の女性に求められた「内助の功」「良妻賢母」を浸透させ、男性は皆兵、女性は家を守るという家庭内での役割の明確化にすることで、国民に「国民皆兵」「富国強兵」のために一致団結、士気高揚を目論んだわけです。
 「家父長制」は、第2次世界大戦(太平洋戦争)の敗戦後に法的にはなくなりましたが、日本は、世界で唯一、「夫婦同姓(民法750条、および、戸籍法74条1号)」と法で定め、令和2年(2020年)には、95.3%の夫婦が「夫の名字」を選択しています。
 このことは、第2次世界大戦後、家父長制はなくなったものの、「家に嫁ぐ」「嫁に行く」などの考えなど、その概念は、いまだに生活様式として深く根づき、その概念と深くかかわる「内助の功」「良妻賢母」という保守的な価値観は、多くの日本国民に支持されています。
 例えば、「女性の幸せは、結婚し、子どもを持つことであり、子どもにとっての幸せは、たとえ、暴力のある家庭環境(機能不全家庭)であっても、両親の下で育つことである」という考え方は、“保守的”な価値観です。
 この“保守的”な価値観は「男尊女卑」につながり、日本社会における「ジェンダー観(男女の役割)」に大きな影響を及ぼし、日本特有の問題を生じさせています。
 なぜなら、“保守的”な価値観のベースは「家父長制」であることから、日本においては、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力、いじめ、(教師や指導者による)体罰対策、ハラスメントなどの暴力問題の解決に消極的になるからです。
 国内外から人道上問題があると指摘されながら、「改正出入国管理及び難民認定法」を可決、成立させる日本は、表面的ではなく、国を挙げて差別・排除という行動を伴うという意味で、日本は、実質的な人権を認めていないわけです。
 人権を認めていない日本において、人権宣言にもとづく「いかなる理由があっても暴力は許されない」といった考え方は受け入れられません。
 結果、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権)を受けた被害者の存在は、軽視されます。
 したがって、「国民会議」、「神道政治連盟」、「国際勝共連合」を支持母体とする「自由民主党」「日本維新の会」といった“超保守派”の価値観として、「神武天皇の時代に戻れ!(神武創業)」を目指している人たちは、戦前の「家父長制」を支持する人たちで、その“保守的”な価値観は、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権)を受けた被害者の存在を軽視したり、黙殺したりします。
 日本社会の低い人権意識、制度としてはなくなったものの“保守的”な価値観としては色濃く残る「家父長制」に疑問を覚えている人は、一度、新政府軍が掲げ、明治政府が国家の礎にした「神話(神武天皇の時代に戻れ!(神武創業))」は、いまの日本社会になにをもたらしてきたのかについて考えてみませんか?
 「神話国家」の目指した家族像(家族のあり方)を知ると、いま、DV被害者である元配偶者が監護権者として子どもと暮らしていることに納得できず、「子どもを連れ去られた」と騒ぐDV加害者をとり込んで、日本に「共同親権制度」を採用させようと目論む人たちが、なぜ、そこまで、狂気的に必死なのかの理由がわかると思います。
 いま日本で、必死に「共同親権制度」を求める人の多くは、DV被害から逃れるために子どもを連れて家をでていかれた親、つまり、DV加害者である親が「子どもを連れ去られた」と訴え、その訴えに賛同するDV加害者が大きな自助グループとなり、その自助グループを支援する保守派の政治家が一体となり、活動を活発化させています。
 なぜ、DV加害者と保守派の政治家が結びつくかというと、「保守的な家族観」は、「家父長制」をベースとすることから、家父長の懲戒(DV行為、児童虐待行為)に耐えられないと子どもを連れて家をでて行く行為はあってはならないことだからです。
 離婚(婚姻破綻)の原因の多くがDV行為を起因とする日本で、「共同親権制度」が導入されたときには、日本のDV対策はいま以上に大きく後退します。
 その後退は、DV被害者である子どもとその子どもと生活をともにしている親にとって、絶望的です。

 以下、『手引き(新版2訂)』の「はじめに。」の中の「日本のDV問題や児童虐待問題にとり組む姿勢の背景(歴史観)」と「新政府軍、明治政府がつくりあげた3つの嘘のストーリー」「性犯罪、児童ポルノに寛容な日本社会の背景にあるのは「遊郭」と「神話」」をそのまま引用します。


・日本のDV問題や児童虐待問題にとり組む姿勢の背景(歴史観)
 DV問題や児童虐待問題は、その国の政府が、第2次世界大戦後の77年間、その対策として、どのようにとり組んできたのかが顕著に表れます(令和4年(2022年)10月現在))。
 ここには、その国で生活する国民の意識が深く表れます。
 いま、日本は、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権)問題に先進的にとり組んできた欧米諸国と比べると、50年-25年ほど遅れています。
 その背景になっているひとつは、「G7の中でもっとも遅れている。」、「G7の中で、これほどまでに後ろ向きな国は他にない。」と指摘される『家族法(民法)』です。
 日本は、世界で唯一、「夫婦同姓(民法750条、および、戸籍法74条1号)」と法で定め、令和2年(2020年)には、95.3%の夫婦が「夫の名字」を選択しています。
 このことは、第2次世界大戦後、家父長制はなくなったものの、「家に嫁ぐ」「嫁に行く」などの考えなど、その概念は、いまだに生活様式として深く根づき、その概念と深くかかわる「内助の功」「良妻賢母」という“保守的”な価値観は、多くの日本国民に支持されています。
 この“保守的”な価値観は「男尊女卑」につながり、日本社会における「ジェンダー観(男女の役割)」に大きな影響を及ぼし、日本特有の問題を生じさせています。
 そのひとつが、明治29年(1896年)の制定から令和4年(2022年)10月14日に削除されるまでの126年間、「親の子どもに対する懲戒権(民法822条)」です。
 「懲戒」とは、不正、または、不当な行為に対して制裁を加え、懲らしめることで、「懲戒権」は、親は子どもに対し、その権利を有することです。
 「懲戒権(民法822条)」が削除される2年前の令和2年(2020年)4月1日に『児童虐待防止法』が改正され、体罰が禁止されました。
 しかし、懲戒権の残る限り、その効果は限定的なままでした。
 日本政府は126年間、親は、「家父長制」にもとづき、子どもに対し、「しつけ(教育)と称して体罰(主に身体的虐待)」を加えるお墨付きを与えてきたわけです(令和4年(2022年)10月現在)。
 つまり、日本社会では、5-6世代の多くの子育ての一定数において、親は、子どもに対し、「しつけ(教育)と称する体罰」を加え続けてきました。
 また、日本の『社会保障制度』は、家族を優遇する制度設計になっています。
 いうまでもなく、家族を優遇する考えの根底にあるのは、家父長制です。
 このことが、女性が離婚し難くなったり、ひとり親世帯(シンブルマザー)が貧困に陥りやすくなったりする大きな要因となっています。
 こうした世界に例のない日本特有の問題は、「なぜ、DV被害者は、DV加害者から逃げたり、DV加害者と別れたりできないのか?」に看過できない影響を及ぼしています。
 DV問題、児童虐待問題と同じテーマであったとしても、被害者の立ち位置と支援する者の立ち位置、しかも、それぞれ、“保守的”な価値観を支持する人と指示しない人では、ものごとを捉えたり、考えたりする価値観、モノサシ(判断基準)はまったく異なります。
 また、同じDV被害者であっても、被虐待体験(逆境的小児期体験)をしてきた人とそうでない人、子どもがいるDV被害者と子どもがいないDV被害者では同じ立ち位置ではなく、しかも、子どもがいても、子どもの数、年齢、性別によっても、同じ立ち位置ではありません。
 加えて、支援する人の知識と経験が、いまの日本より50年-25年先を行く欧米諸国の知識、ナレッジに更新されているのか、更新されずに50年-25年遅れたままなのかは、ひきだしの多さにつながり、それは、ストーキングリスクの判断や助言に大きな差となって表れます。
 DV問題や児童虐待問題に携わるとき、その暴力行為だけの問題(知識)に留まらず、法律、税、福祉行政、社会保障制度、就労や賃金、後遺症(医療)、歴史的背景にもとづく地域性などの知識に加え、支援(援助)者としての技能など幅広く、奥行きのあるひきだしが必要です。
 DV問題や児童虐待問題と、歴史的背景にもとづく地域性などは関係ないように見えますが、とても重要な知識です。


・新政府軍、明治政府がつくりあげたストーリー、3つの嘘
 ⅰ)江戸幕府を倒した新政府軍、その後の明治政府は、国民に討幕した正当性を示すこと、加えて、富国強兵を進める国家キャンペーンとして、嘘のストーリーをつくりあげ、その嘘のストーリーは、いまだに、日本社会に息づいています。
 江戸時代には、「士農工商」という身分制度は存在せず、明治政府は、意図的に、「われわれは、身分制度をなくし、身分の差をなくした」という嘘のストーリーをつくりあげ、自分たちのなし得た功績を称えました。
 「四民平等」は、中国の古典で使われていたもので、そこでは、「士農工商の四民は石民なり」とあり、「石民」とは「国の柱石となる大切な民」、つまり、「国を支える職業」「すべての職業」「民衆一般」といった意味です。
 「士農工商」は平成12年(2000年)度以降、「四民平等」は平成17年(2005年)度以降の教科書からその記述は消えました。
 教科書から削除された理由は、存在していない、事実でない、つまり、嘘・つくり話だからです。
 明治政府が「国民皆兵(明治6年(1873年)の徴兵令発布)」を進め、欧米の国々に対抗するため、経済を発展させ、軍隊を強くする「富国強兵」を目指し、一気に「軍国化」を進めるためには、この教えを自分たちに都合のいいストーリーに仕上げる必要がありました。
 この国家キャンペーンを先導したのが、佐賀藩出身で日本の法典編纂を主導した江藤新平です。
 このときにつくられた学制、兵制、税制は、現代の基礎となっています。
 ⅱ)明治政府が目指した「国民皆兵」「富国強兵」には、学制、兵制、税制改革は不可欠で、そのうえで大きな役割を果たしたのが「家父長制」です。
 その「家父長制」のもとで、武家社会の思想の「男尊女卑(儒教思想)」、武家の女性に求められた「内助の功」「良妻賢母」を浸透させました。
 つまり、男性は皆兵、女性は家を守るという家庭内での役割の明確化にすることで、国民に「国民皆兵」「富国強兵」のために一致団結、士気高揚を目論んだわけです*1。
 江戸時代の総人口約3000万人中、武家の人口は、「7%」の210万人でした。
 明治政府は、僅か「7%」の武家社会の思想の「男尊女卑(儒教思想)」、武家の女性に求められた「内助の功」「良妻賢母」という価値観を、軍国化を進める中で、国家プロジェクトとして大々的なキャンペーンを通して、国民に浸透させていきました。
 結果、家父長に絶大な権力が与えられました。
 第2次世界大戦の敗戦後、「家父長制」の廃止は、家父長にとっては、絶大な権力を奪われたことになります。
 しかし、制度はなくなったとしても、国民一人ひとりにしっかりと染みついた価値観は、簡単に消え去ることありません。
 そうした中で、日本は高度成長期に入り、産業構造が変わり、夫は会社勤め、妻は家で育児という「新たな家父長制的な(家父長制の価値観が持ち込まれやすい)構図」がつくられていきました。
 結果、家父長制という制度はないけれども、終戦後77年経過したいまでも、しっかりと家父長制の精神は残り続けています(令和4年(2022年)10月現在)。
 “保守的”な価値観を強く支持する人たちにとっては、家父長に意を唱えたり、意に添わなかったりした妻や子どもに対し「懲罰(しつけ(教育)と称する体罰)」を加える(DV行為、児童虐待行為、性暴力行為)ことを禁止する法律(配偶者暴力防止法、児童虐待防止法、強制性交等罪、強制わいせつ罪の成立要件の緩和)を制定したり、支援する仕組みを構築したりすることは、本来、認めたくないことです。
 そのため、女性と子どもが獲得してきた権利(法などの整備を含む)を疎ましく、鬱陶しく、忌々しく思っている“保守的”な価値観の持ち主たちが、その「権利」を奪い、かつての権威(特権)をとり戻そうと政治的に強く働きかけています。
 そのひとつが、「共同親権」です。
 日本は、世界で唯一「単独親権制度」を採用していますが、離婚原因の多くが、一方の配偶者の「DV行為」に起因し、しかも、その「DV行為」を加えた一方の配偶者から逃げ、身を隠して生活をしているDV被害者家族にとって、離婚後、子どものあらゆる意思決定にDV加害者である一方の元配偶者(親)がかかわることになる「共同親権制度」の導入は、DV被害者家族に危険をもたらします。
 いま日本で、必死に「共同親権制度」を求める人の多くは、DV被害から逃れるために子どもを連れて家をでていかれた親、つまり、DV加害者である親が「子どもを連れ去られた」と訴え、その訴えに賛同するDV加害者が大きな自助グループとなり、その自助グループを支援する保守的な政治家が一体となり、活動を活発化させています。
 なぜ、DV加害者と保守的な政治家が結びつくかというと、「保守的な家族観」は、「家父長制」をベースとすることから、家父長の懲戒(DV行為、児童虐待行為)に耐えられないと子どもを連れて家をでて行く行為はあってはならないことだからです。
 そもそも明治政府は、イギリスのアヘンマネーを背景に、薩長の下級武士が皇室を「錦の御旗」に政治利用し、徳川幕府から政権を奪取したクーデターを経て構築されました。
 その後も日本政府とアヘンは結びつきが深く、満州国*2の財政を支え、しかも、機密費の主な資金源になりました。
 日本政府は、満州や蒙古各地でケシを栽培させ、ペルシャなどから密輸した大量のアヘンを満州国に流し込みました。
 アヘンは膨大な利益を生み、軍の謀略資金となりました*3。
 この「アヘン密売」で絶大な権力を得たとされるのが、安倍晋三元総理の祖父で、満洲国総務庁次長(当時)、その後、昭和の妖怪と呼ばれ、統一教会(現、世界基督教統一神霊協会)と連携して自主憲法制定運動やスパイ防止法制定運動に尽力した岸信介元総理です。
 昭和43年(1968年)、統一教会(現、世界基督教統一神霊協会)は、“反共産主義”を掲げる政治団体「国際勝共連合」を創設し、「国際勝共連合」は、岸信介元首相、自民党右派、戦後最大のフィクサーと呼ばれた児玉誉士夫、日本財団の創始者である笹川良一と深く結びついていました。
 そのため、「自由民主党」が進める憲法改正、同性婚の反対などは、「国際勝共連合」の政治理念と一致しています。
 このことは、「自由民主党」の考え(思想)は、カルトの統一教会(現、世界基督教統一神霊協会)の考え(思想)と一致していることを意味します。
 この憲法改正などの動きを加速させるきっかけとなったのが、平成15年(2003年)9月、安倍晋三が幹事長に就任し、平成16年(2004年)4月、自民党史上初の全国的な候補者公募を実施(このとき、公募に合格し、当選を果たしたのが、「共同親権制度」推進をはかる柴山昌彦である)するなど、「憲法改正に賛成する」といった意に添う人物を登用しはじめたことです。
 「安倍チルドレン」と呼ばれる平成24年(2012年)の総選挙で初当選した自民党議員119人の2回生議員は「魔の2回生」「魔の3回生」と呼ばれ、さまざまな問題をひき起こしました。
 岸信介が「アヘン密売」で得た膨大なマネー、統一教会(現、世界基督教統一神霊協会)」を母体とする政治団体「国際勝共連合」との関係は、岸信介、佐藤栄作(総理/実弟)、安倍晋太郎(外相/長女の夫、安倍晋三の父)、岸信夫(防衛相/安倍晋三の実弟)と3世代にわたり、日本政治の中枢を担い、4世代目として、岸信夫の長男である岸信千世が衆議院議員に当選するなど、過去の話ではなく、いまに続く話です。
 そして、この統一教会(現、世界基督教統一神霊協会)を母体とする政治団体「国際勝共連合」を支援母体とするのが、平成22年(2010年)4月に結成された「大阪日本維新の会(現.日本維新の会)」で、地方議員、国会議員と議席数を拡大させています。
 国民会議と神道政治連盟、統一教会(現.世界平和統一家庭連合)と深い関係にある「自由民主党」の保守派閥に属する安倍晋三が銃弾に倒れたあと、祖父の岸信介元総理以降、「自由民主党」と統一教会(現.世界平和統一家庭連合)の深い関係が明るみにでると、「日本はカルト国家になった」と嘆く人々が表れましたが、その解釈は的外れで、日本は、明治政府以降、一貫してカルト国家で、安倍晋三元総理が、「自由民主党」の幹事長になってから、より強固なカルト国家として突き進んでいると解釈するのが妥当だと思います。
 保守派、保守的な人とは、「いままでの伝統や文化や考え方、社会を維持していく」、つまり、「昔からのやり方に従うのがあたり前だ!」と考える人のことで、一方の革新派、革新的な人とは、「よい考えがあれば、たとえ急でも、古い昔からのやり方は捨てて、一からやり直そう」と考える人のことです。
 アメリカを地理的にみると、アメリカは、「いままでの伝統や文化や考え方、社会を維持していく」、つまり、「昔からのやり方に従うのがあたり前だ!」と考える保守派が中心の国で、革新的(リベラル傾向)な人は、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ボストンなど、沿岸都市部を中心とした限られた主要都市に集まっています(他の都市、地域はほぼ保守的(保守傾向)です)。
 2016年(平成28年)の大統領選挙を州ごとではなく、郡ごとに分けた統計でみると、保守政党、つまり、共和党のドナルド・トランプ前大統領が圧勝した地域は、全3141郡のうち3048郡(97.04%)と、2012年(平成24年)、民主党のバラク・オバマ元大統領が圧勝した大統領選挙のときも、郡ごとの集計では、80%近くが共和党のミット・ロムニー候補を支持していました。
 戦後、日本政府と良好な関係を築いてきた大統領(政権)は、中曾根康弘とロナルド レーガン、小泉純一郎とジョージ・ウォーカー・ブッシュ、安倍晋三とドナルド・ジョン・トランプの3人、つまり、保守政党の「民主党」が政権を担っているときで、革新政党の「共和党」が政権を担っているときは、論理的な話し合いができず、関係はギクシャクします。
 つまり、両国が保守政権のときだけ、話が合い、意気投合し、仲良しでいられるのです。
 ただし、『日米安保条約』の締結下、つまり、上下の関係下、支配と従属の関係下といった“いびつな関係”での話です。
 問題は、戦後の日本は、保守か革新(りべらる)かではなく、地政学的に、資本主義か(アメリカなど)、それとも、社会主義か(ソビエト連邦)、共産主義か(中華民国)、思想の選択でした。
 それは、太平洋戦争後、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と韓国(大韓民国)の2国に分断、ベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム共和国(南ベトナム)に分断され、それぞれ国家統一を目指し、同じ民族間で資本主義と社会主義を争う「朝鮮戦争」、「ベトナム戦争」が勃発するなど不安定な情勢で、日本においても、その勢力争いが続いていました。
 昭和26年(1951年)9月8日に締結された日本とアメリカの軍事条約『日米安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)』について、昭和34年(1959年)-同35年(1960年)、昭和45年(1970年)の2回、『日米新安全保障条約(安保改定)』の締結を巡り、反対する国会議員、労働者、学生、市民、批准そのものに反対する左翼や新左翼の運動家が参加した反政府、反米運動を伴う大規模デモ運動がおこりました(安保闘争)。
 昭和46年-昭和47年(1971年-1972年)にかけて、共産主義化の理想のもと厳しい統制や教化が敷かれ、「総括(自己反省)」という名の下で、29名の同志のうち12人を殺し合った「連合赤軍の山岳ベースによる凄惨なリンチ事件」後に、「あさま山荘立てこもり事件」を経て、この安保闘争(大規模デモ運動)は一気に収束しました。
 結果、資本主義か、社会主義か、共産主義かの思想闘争は終わりを迎え、
たものの、保守政党の「自由民主党」か、社会主義の「社会党」、共産主義の「共産党」、そこに、創価学会を支持母体とする「公明党」という構図が長く続き、その後、「自由民主党」が分裂し、「保守党」「民主党」ができましたが、アメリカのように、保守政党の「共和党」と革新(リベラル)政党の「民主党」と明確な違いは存在しないオール保守と「共産党」という構図になっています。
 つまり、純粋に「よい考えがあれば、たとえ急でも、古い昔からのやり方は捨てて、一からやり直そう」という革新的(リベラル的)な人は一定数存在しますが、政党としては、純粋な革新(リベラル)政党は、日本には存在していません。
 その日本の首相の在任日数の1位は安倍晋三の3188日(第2次2012年12月26日-2020年8月24日の2822日)と8年半に及び、その間、安倍チルドレンとともに、「日本維新の会」は台頭し続けています)、2位は桂太郎(長州藩)の2886日、3位は佐藤榮作(長州藩)の2798日、4位伊藤博文(長州藩)の2720日、5位は吉田茂(土佐藩)の2248日、6位は小泉純一郎(薩摩藩)の1980日、7位は中曽根康弘の1806日、8位は池田勇人の1575日、9位は岸信介(長州藩)の1241日、10位は原敬(盛岡藩)の1133日で、上位4人は「長州藩」で9位の岸信介の在任日数を加えると9645日(26年5ヶ月、明治18年(1885年)以降137年の1/5(19%))を占め、「岸家」の在任日数は実に7277日(19年11ヶ月、戦後77年の1/4(25%))に及んでいます。
 安倍晋三元首相が銃弾に倒れたあと、朝日新聞が、令和4年(2022年)8-9月に実施した「都道府県議の他、国会議員、知事ら3333人を対象に教団との接点の有無やその内容などを尋ねたアンケート」に対し、都道府県議は9割にあたる2314人が回答し、292人(12.62%)が統一教会(現、世界基督教統一神霊協会)と接点を持っていました。
 令和5年(2023年)4月9日、同4月23日の地方統一選挙において、カルトの統一教会(現.世界平和統一家庭連合)との接点を認めていた都道府県議で、立候補した228人のうち206人(90.35%)が当選しています。
 落選したのは僅か22人です。
 また、同選挙の結果、「日本維新の会」の全国の自治体の長と地方議員が非改選も含めて774人になりました。
 投票(指示)するという視点に立つと、日本国民は、カルト教団の統一教会(現.世界平和統一家庭連合)を受け入れていることになります。
 日本国民が、カルト教団である「統一教会(現.世界平和統一家庭連合)」を母体とする政治団体「国際勝共連合」の深い関係にある「自由民主党」の保守派に加え、「日本維新の会」に拒否反応を示さず、受け入れてしまうのには、理由があります。
 なぜなら、日本は、明治政府以降、カルト国家だからです。
 カルト国家に馴染み過ぎて、拒否反応を示すことができないのです。
 この「日本は、明治政府以降、神話国家(カルト国家)」というのが、明治政府(新政府軍を含む)の3つ目の嘘、つくり話です。
 ⅲ)大日本帝国(江戸時代末期(幕末)に外交文書に使用されて以降、終戦から2年経過した昭和22年(1947年)まで使用された日本国の国号)は、神話に基礎づけられ、神話に活力を与えられた「神話国家」です。
 例えば、古代ギリシャより語り伝えられ、多くの神々が登場し、愛憎劇を繰り広げる物語の「ギリシャ神話」に基礎づけられ、神話に活力を与えられた国家建設と置き換えてみたらどうでしょうか?
 その神々が発したことばが、『第日本帝国憲法』や『教育勅語』に使われていたら、あなたはどう思いますか?
 「ギリシャ神話」は、「ローマ神話」の体系化と発展を促進し、古代ギリシャの哲学や思想、ヘレニズム時代の宗教や世界観、キリスト教神学の成立など、多方面に影響を与え、西欧の精神的な脊柱のなっていき、中世を経て、ルネサンス期、近世、近代の思想や芸術にとって、「ギリシャ神話」は“霊感(「神により、息吹きだされた」の意)”の源泉となりました。
 この「ギリシャ神話」は、ギリシャ市民の教養となり、いまでも、ギリシャの小学校では、歴史教科のひとつになっています。
 この視点に立つと、ギリシャ市民の教養としての神話、日本市民の教養としての神話は似通っていますが、決定的な違いは、日本市民は、その教養が「神話」にもとづいていることを認識していないことです。
 しっかり教養として身につき、浸透しているが、神話とは認識していないことが、日本社会の危うさを示しています。
 では、肝心の日本の神話の話です。
 江戸幕府を倒した新政府軍のスローガンは「神武天皇の時代に戻れ!(神武創業)」でした。
 645年6月12日の「乙巳の変」にはじまる一連の国政改革(狭義には大化年間(645年-650年)の改革のみを指し、広義には大宝元年(701年)の『大宝律令』の完成までに行われた一連の改革を含む)が『大化の改新』で、この改革により、豪族中心の政治から天皇中心の政治へと移行したと考えらえれ、「日本」という国号、「天皇」という称号が正式なものになったとされています。
 この改革の中心人物の中大兄皇子と中臣鎌足が、皇極天皇を退位させ、皇極天皇の弟(孝徳天皇)を即位させ、この孝徳天皇即位を持って、新たな時代のはじまり、つまり、日本ではじめての元号「大化」が定められました。
 つまり、孝徳天皇以降が、日本国としての天皇史がはじまります。
 そして、「葦原中つ国を天皇が支配する」ことの”正当性”を示す歴史書としてまとめられたのが、『古事記(712年)』と『日本書紀(720年)』です。
 『日本書紀』は、中国をはじめ国外に対して、日本の歴史(天地開闢(てんちかいびゃく)といわれる世界のはじまり、神々の手によって日本の国が築かれていった神代から、第41代の天皇に数えられる持統天皇(女性天皇)の時代までの歴史)をアピールする目的から中国の歴史書のスタイルに則り、純粋な漢文でまとめられていることから、「国家の歴史書」として、一方の『古事記』は、変体漢文、つまり、仮名がまじった日本ならではの文章で書かれていることから、国内の読者を想定した「天皇家のための歴史書」としてまとめられたと考えられています。
 つまり、新政府軍は、「新政府軍が、江戸幕府を倒し、新政府を打ち立てる”正当性”を示すために、「葦原中つ国を天皇が支配する」ことの“正当性”を示す歴史書『古事記』『日本書記』で記した「天地開闢といわれる世界のはじまり、そして、その神々をひとつにまとめた神武天皇」を政治利用したわけです。
 問題は、明治政府は、政治利用したスローガン「神話(神武天皇の時代に戻れ!(神武創業))」にもとづき国家建設をおこなったことです。 「天照大神(あまてらすおおみかみ)の神勅」を抜きに、『大日本帝国憲法』と『教育勅語』の文面は成り立ちません。
 「神武天皇」とは、「多くの神々を統合した日本国の創始者」とされていますが、実在した人物ではなく神話です。
 江戸時代まで、京都御所にあった天皇家の仏壇(御黒戸(おくどろ))には、神武天皇の位牌はなく、神武天皇を含む初期の天皇たちは、天皇家の祖先供養の対象になっていませんでした。
 つまり、突如として、天皇家に「神武天皇」が表れたのは、明治政府以降です。
 「天照大神の神勅」とは、天照大神が孫の瓊瓊杵尊らに下した「天壌無窮の神勅(葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就きて治らせ。行矣。宝祚之隆えまさむこと、当に天壌と窮り無かるべし。)、「宝鏡奉斎の神勅(吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎の鏡となすべし。)」、「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅(- 吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。)」の“3つの神勅(三大神勅)”に加え、同段で天照大神が臣下の天児屋命・太玉命に下した「侍殿防護の神勅(願はくは、爾二神、また同じく殿の内に侍ひて、善く防ぎ護ることをなせ。)」、「高御産巣日神の下した神籬磐境の神勅(吾は則ち天津神籬た天津磐境を起樹てて、まさに吾孫の御為に齋ひ奉らむ。汝、天児屋命・太玉命、宜しく天津神籬を持ちて、葦原中国に降りて、また吾孫の御為に齋ひ奉れと。)」を加えた「五大神勅」のことをいいます(『日本書紀』の天孫降臨の段)。
 日本軍将兵は、古代の軍事氏族である「大伴氏(天忍日命(あめのおしひのみこと)の子孫)」になぞらえられていました。
 「天忍日命」とは、日本の建国神話「神武東征神話」で、神武天皇と東征に同行した軍隊である久留郡を率いて活躍した武将です。
 「自由民主党」の保守派閥と深い関係にある国民会議と神道政治連盟にとって、日本軍将兵を祭る「靖国神社」は特別な意味を持ちます。
 日本軍将兵が神(天忍日命)であることは、日本の精神医療のあり方にも大きな影響を及ぼしました。
 陸海軍病院などの一部を除き、日本の精神科医療において、PTSD研究が致命的に遅れたのは、神の子孫である日本軍の将兵は、特異な精神疾患とされた「PTSD(当時「砲弾ショック」呼ばれていた)」を発症してはいけないのです。
 つまり、日本では、「砲弾ショック(PTSD)」の存在は隠され続けたのです。
 「砲弾ショック(PTSD)」は存在しないので、治療は必要がないのです。
 そのため、日本国内におけるPTSD研究は、欧米諸国から遅れることになりました。
 いまだに、PTSD発症者は、専門医につながり難いだけではなく、PTSDの症状や傾向に理解のない精神科医による不適切な治療がおこなわれたり、2次加害として、心ないことばを投げつけられたりすることが少なくありません。
 また、「親の子どもに対する懲戒権(民法822条)」は、明治29年(1896年)の制定から令和4年(2022年)10月14日に削除されるまでの126年間、日本政府がお墨付きを与えてきたわけですから、被虐待体験(逆境的小児期体験)をしてきた人に対する治療、つまり、C-PTSD、解離性障害などの治療体制も整備されていません。
 軍や国民学校(昭和16年(1941年)3月、「国民学校令」を公布し、初等科6年、高等科2年の8年を義務教育)で、体罰が横行したのは、薩摩藩の“郷中”、会津藩の“什”という武士階級子弟の教育法(少年集団をつくり研鑽し合うもので、この両藩は、その厳しさが際立っていた)の流れを汲むものです。
 例えば、戊辰戦争後の明治政府では、薩摩藩士(新政府軍)は軍の上層部、会津藩士(幕府軍)は軍の下士官と立場が大きく異なりましたが、“郷中”“什”の精神は、相通じるものがあり、組織統一に大きな役割を果たしました。
 日本社会が、いまだに「気持ちで頑張れ!」「気合で乗り切れ!」「弱音を吐くな!」「歯を食いしばれ!」と精神論、根性論を支持するのは、国民1人ひとりに、この“郷中”“什”の流れを汲む精神教育が深く浸透していたことを物語っています。
 この精神教育は、家庭内教育だけではなく、教師や指導者などによる「しつけ(教育)と称する体罰」、職場などでの「ハラスメント」を容認する“礎”となっています。
 明治政府のもとで、学校教育に従事してきたのは、いうまでもなく武家出身者で、その武家出身者には、儒教思想にもとづく「男尊女卑」、家父長制にもとづく「内助の功」「良妻賢母」の価値観が叩き込まれています。
 とくに、裕福な子女に実施された女子教育は、「内助の功」「良妻賢母」の醸成でしかなく、この流れは、戦後、「家政科(高校、短期大学、大学)」としてひき継がれました。
 女性の大学進学率があがる一方で、その多くが「家政学」を学ぶことになり、「家政学」を学んだ女性の多くが、高度成長期以降の日本社会の中で、「内助の功」「良妻賢母」を支持する大きな役割を果たしました。
 結果、交際相手や配偶者からDV行為を受けても、子どものために耐え忍び、一方で、家を守り私が、しっかり子育てをしなければならないと、「しつけ(教育)と称する体罰」が横行していきます。
 太平洋戦争で喧伝されたスローガンのひとつは、神武天皇が唱えたとされる「八紘一宇」でした。
 「八紘一宇」とは、天下をひとつの家のようにすること、全世界をひとつの家にすることで、「天皇総帝論」、「唯一の思想的原動力」を意味します。
 では、日本の国家「君が代」の歌詞は、「君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌と なりて こけのむすまで」で、現代和訳すると、「男性と女性がともに支えているこの世は 千年も 幾千年もの間 小さな砂がさざれ石のように やがて大きな盤石となって 苔が生じるほど長い間栄えていきますように」なり、「八紘一宇」を表していることがわかります。
 この「君が代」の歌詞は、平安時代中期の905年(延喜5年)に奏上された『古今和歌集』に収録されていた「読み人知らず」の歌が元となっています。
 「詠み人知らず」とは、「誰が歌詞を書いたのかわからないが、ずっと昔から歌われていた歌」ことです。
 国体、神国、皇室典範、万世一系、男系男子、天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅、教育勅語、靖国神社、君が代、軍歌、唱歌などは、すべて「神話」と関係しています。
 神話、教育勅語にもとづいて学校教育がなされた戦前の日本教育の幾つかは、日本国民に根づき、学校で、地域で、日常生活で、いまもひき継がれています。
 「教育勅語」の全文は、「朕惟(ちんおも)ふに、我が皇祖皇宗(くわうそくわうそう)、国を肇むること宏遠(こうえん)に、徳を樹(た)つること深厚なり。我が臣民克(よ)く忠に克く孝(かう)に、億兆心(おくてふこころ)を一にして世々其の美を済(な)せるは、此れ我が国体の精華にして教育(けふいく)の淵源亦実(えんげんまたじつ)に此(ここ)に存す。爾臣民父母(なんじしんみんふぼ)に孝に、兄弟(けいてい)に友(いう)に、夫婦相和(ふうふあいわ)し、朋友相信(ほういうあいしん)じ、恭倹己(きょうけんおのれ)を持(ぢ)し、博愛衆(はくあいしゅう)に及ぼし、学を修め、業(げふ)を習ひ、以て知能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、世務(せいむ)開き、常に国憲(こくけん)を重んじ、国法に遵(したが)ひ、一旦緩急(いったんくわんきふ)あれば義勇公(ぎゆうこう)に奉じ、以て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こわううん)を扶翼(ふよく)すべし。是の如きは、獨り朕が忠良(ちゅうりゃう)の臣民たるのみならず、又以て爾祖先(なんじそせん)の遺風を顕彰(けんしゃう)するに足らん。斯(こ)の道は、実に我が皇祖皇宗(くわうそくわうそう)の遺訓にして、子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所、之を古今に通じて謬(あやま)らず、之を中外(ちゅうぐわい)に施して悖(もと)らず、朕爾臣民(ちんなんじしんみん)と倶(とも)に拳拳服庸(けんけんふくよう)して咸(みな)其の徳を一にせんことを庶幾(こいねが)ふ。」とあり、辻田真佐憲著『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』によると、この「教育勅語」は、天皇の祖先、当代の天皇、臣民の祖先、当代の臣民の四者で構成され、この四者が、「忠」と「孝」という価値観で固く結びついていると説明しています。
 忠とは、君主に対する臣民の誠であり、孝とは、父に対する子の誠ことです。
 つまり、「 歴代の臣民は、歴代の天皇に忠を尽くしてきた。当代の臣民も、当代の天皇に忠を尽くしている。また、これまでの臣民は自らの祖先に対して孝を尽くしている。当代の天皇もまた過去の天皇に孝を尽くしている。
 ほかの国では、君主が倒され、臣民が新しい君主になっており、忠が崩壊している。それはまた、そのときどきの君主が徳政を行わず、結果的に祖先からひき継いだ王朝を滅ぼしたという点で、孝も果たせていない。ところが、日本は忠孝がしっかりしているので、万世一系が保たれている。」という意味です。
 「教育勅語」の内容は知らなくても、日本人の仕事観(自らを犠牲にしてでも、会社のため、組織のため、学校のため、恩師のためと自己犠牲をいとわない。結果、休暇をとらない、長時間労働・低賃金に不満をいわない)、日本人の道徳観(親の孝行を善とし、強要する(学校園の行事(親宛の手紙を書かせるなど)で「育ててくれて、ありがとう」「産んでくれて、ありがとう」といわせるなど)など、身近な価値観として醸成されています。
 海外の人が、日本人の特性を示す「礼儀正しい」「親切」「勤勉」「盾突かない」「規律的」などは、「教育勅語」の教えがいまも国民にひき継がれ、“国民性”と呼ばれるほど、無自覚な価値観であり、行動規範となっています。
 権力者には、賞賛し、褒め称え、「盾突かず」、辛抱し、忖度するなど、「忠義」に徹します。
 一方で、この行動規範から外れる者、例えば、病気や障害を負い働けない者、学校に通学しない者、親に心配をかけたり、親の面倒をみたりしない者、社会が定めた枠組みから外れる者、権力者に従順ではなく、歯向かったり、意を唱えたりする者などに対し、非常ともいえる冷酷な態度をとるのも日本人の特徴です。
 「自分たちもこの行動規範に従っている。はみ出ること(例外)は絶対に許さない!」、「やり直し、再チャレンジも許さない!」と徹底的に叩き、排除します。
 実際、第2次世界大戦後、新政府軍、明治政府が構築したような神話国家をつくりあげた国家があります。
 それは、カルト教団の統一教会(現.世界平和統一家庭連合)が日本の信者から集めた膨大な資金を送り、その資金が、軍事国家を支えている北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)です。
 岸信介元総理以降、「自由民主党」の保守派閥と深い関係にある統一教会(現.世界平和統一家庭連合)が日本の信者から集めた膨大な資金が、北朝鮮の神話国家を成り立たせ、核開発を支えています。
 つまり、国民会議と神道政治連盟、統一教会(現.世界平和統一家庭連合)と深い関係の「自由民主党」の保守派閥が目指す国家像は、北朝鮮のような国民が反対の声をあげることのできない独裁国家、あるいは、中国(中華民国)のような一党国家(共産党)です。
 独裁国家、一党国家では、人権は存在しなかったり、軽視されたりします。
  この視点に立ち、「自由民主党」をはじめとする保守政党が目指す政策、国家運営の数々をみると、平成元年(2019年)の衆議院選挙中の7月15日、JR札幌駅近くで街頭演説をしていた安倍晋三首相(当時)に対し、北海道県警が「安倍辞めろ!」、「増税反対!」とヤジを飛ばした市民を拘束し排除したように、政治批判もできない国家になりつつあるように、戦前の憲兵隊を思わせる秘密警察をかかえる北朝鮮、習近平国家主席下の中華民国、プーチン政権下のロシアのような国家を構築したい思いが滲みでています。
 表面的ではなく、実質的に人権が認めていないような国において、人権宣言にもとづく「いかなる理由があっても暴力は許されない」といった考え方は受け入れられない、つまり、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権)を受けた被害者の存在は、軽視されます。
 令和5年(2023年)6月9日、強制送還の対象となった外国人の長期収容解消をはかることを目的とし、難民認定の申請中は強制送還を停止する規定を改め、難民認定の申請で送還を停止できるのは原則2回までとする「改正出入国管理及び難民認定法(案)」は、参院本会議で可決し、成立しました。
 「出入国管理及び難民認定法」は、安倍政権以降、平成11年(1999年)の改正で、不法在留罪の創設、退去強制された者に係る上陸拒否期間の伸長、再入国許可の有効期間の伸長など、平成13年(2001年)の改正で、サッカーワールドカップの開催に向けたフーリガン対策等としての上陸拒否事由及び退去強制事由の整備など、平成16年(2004年)の改正で、在留資格取消制度の創設、仮滞在許可制度の創設、出国命令制度の創設、不法入国罪等の罰則の強化など、平成17年(2005年)の改正で、人身取引議定書の締結に伴う人身取引等の定義規定の創設等、密入国議定書の締結等に伴う罰則・退去強制事由の整備など、平成18年(2006年)改正で、上陸時における個人識別情報の提供義務付け、自動化ゲートの導入、一定の要件に該当する外国人研究者及び情報処理技術者を在留資格「特定活動」により受け入れる規定の整備など、平成21年(2009年)の改正で、在留カード・特別永住者証明書の交付など新たな在留管理制度の導入、外国人登録制度の廃止、在留資格「技能実習」の創設、在留資格「留学」と「就学」の統合、入国収容所等視察委員会の設置など、平成26年(2014年)の改正で、在留資格「高度専門職」の創設、船舶観光上陸許可の制度の創設、自動化ゲート利用対象者の拡大、在留資格「技術」と「人文知識・国際業務」の統合、在留資格「投資・経営」から「経営・管理」への変更、PNR(Passenger Name Record;航空会社が保有する旅客の予約情報)に係る規定の整備など、平成28年(2016年)の改正で、在留資格「介護」の創設、偽装滞在者対策の強化のための罰則・在留資格取消事由の整備など、平成30年(2018年)の改正で、在留資格「特定技能1号」「特定技能2号」の創設などと、年々、難民(外国人)の管理を強化し、難民(外国人)の排除姿勢を鮮明に打ちだしてきました。
 安倍政権以降、「出入国管理及び難民認定法」を改正し続け、監視を強化し、排除姿勢を鮮明にしてきたのは、新政府軍のスローガン「神武天皇の時代に戻れ!(神武創業)」は、神武天皇からはじまる日本の建国に立ち返ることから、そこには、難民(外国人)は存在しないからです。
 日本は、強固な神話国家に立ち返る、いよいよ危ない域に達してきました。

*1 この目論見は、太平洋戦争で、日米両軍が激突した「南太平洋ソロモン諸島・ガダルカナル島の戦い(昭和17年(1942年)8月-10月)」の激しい消耗戦により、戦死者だけでなく兵員に多数の餓死者を発生させたうえ、軍艦、航空機、燃料、武器等多くを失ったにもかかわらず、その後、3年余りにわたり、国民・軍人に敗戦濃厚の事実を隠して戦争を続けたように、ロシアからの賠償金目的に開戦した「日露戦争(明治37年-同38年(1904-1905年))」においてもみられます。
 日露戦争末期、日本は戦闘を優位に進めていた一方で、国力をほとんど使い果たし、ロシアも世相混沌とし、ロマノフ王朝による君主制が崩壊の動きを示していた中で、アメリカを介して和睦し、「日露講和条約(ポーツマス条約)」を締結しました。
 日本が、ロマノフ王朝の崩壊が間近で開戦に及んだ構図は、崩壊寸前の清王朝と戦った「日清戦争(1894年(明治27年)7月-1895年(明治28年)3月)」と同じです。
 「ポーツマス条約」では、ロシアが満州や朝鮮から撤兵し、遼東半島の租借権や東清鉄道を日本に譲渡し、樺太の南部を日本に割譲することになりましたが、日本は、ロシアから賠償金を得ることはできませんでした。
 ロシアからの賠償金目的で開戦した日本にとって、賠償金を得ることができなかったことは、敗戦に等しいといえます。
 戦争が長期化すれば敗戦していた日本に対し、アメリカが「痛み分け」と助け船をだし、敗戦を免れたに過ぎない戦争でした。
 アメリカが日本を助けたのは、アジア進出の足掛かりをするためでした。
 しかし日本は、国民に「国民皆兵」「富国強兵」のために一致団結、士気高揚を目論み、「大国ロシアに大勝利した!」と大キャンペーンを実施しました。

*2 昭和6年(1931年)、日本の関東軍が柳条湖事件を契機に中国軍との戦闘に突入、満州を占領し、翌昭和7年(1932年)、満州国を建国しました。
 そして、5年後の昭和12年(1937年)、全面的な日中戦争に突入しました。

*3 人の戦争には、幾つかの仕組みが存在します。
 戦場で戦う兵士の恐怖心を麻薬でとり除くために、麻薬(たばこを含む)の精製と配布(販売)を国が担い、重要が拡大した戦争が終わると、軍(国)の需要が減り、余った麻薬は一般社会に流れ、結果、麻薬汚染が進むという構図です。
 この需要が拡大する構図に目を向けると、武器(軍事産業)、化学薬品産業も同じです。
 戦争が終わると戦争国の需要が減るので、新たな戦争国に供給するか、戦争国がないときには、新たな戦争・紛争を起こし供給するかといった構図、農薬などの化学物質に規制が入り、国が使用禁止を決定すると、その分をどこかの国がひき受けることになるなどといった構図です。
 例えば、子どもの脳の発達に悪影響を及ぼし、発達障害発症の原因となり、さまざまな環境問題につながることから、2018年(平成30年)4月27日、ネオニコチノイドと呼ばれる農薬のうちの3種、「クロチアニジン」、「イミダクロプリド」、「チアメトキサム」を主成分とする薬剤(以下、対象薬剤)は、すべての作物に対して屋外での使用を禁止した一方で、日本はその流れに反し、安倍政権の下で、ネオニコチノイド系農薬の食品の残留基準を緩和しています。


・性犯罪、児童ポルノに寛容な日本社会の背景にあるのは「遊郭」と「神話」
 イギリスのアヘンマネーに支えられてクーデターを起こした新政府軍、「国民皆兵」「富国強兵」を進めた明治政府がつくりあげた家父長制にもとづく「民法」や「刑法」の解釈には、明治政府にとって都合のいいストーリーを意図的に仕上げた背景が数多く存在します。
 その典型的なものが『家族法』であり、『性犯罪』の軽い処罰、制約の多い適用(成立)要件です。
 日本社会は、世界に例がないほど、交際相手や配偶者の男性の買春行為に寛容です。
 日本社会では、男性の買春行為は、「性風俗店に行った」、「派遣型性風俗を利用した」など表現し、あたかも性風俗店以外のサービス業を利用しているのと変わらない表現、反応を示します。
 その一定数は、交際相手や配偶者が性風俗で、女性を買春しても、女性も同様の反応を示すように、日本社会では、男女の区別なく性売買に寛容で、あまり問題視していません。
 買春行為は、18歳未満に金銭を支払った性行為等に及んだ(児童買春罪『児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律』)とき、その性行為等の裸や下着などを撮影した(児童ポルノ製造罪『児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(児童ポルノ禁止法)』)とき以外、処罰されることはありません。
 買春や売春は『売春防止法』で禁止されていますが、「売春する者は、保護しなければならない弱い立場」とみなされているので罰則はありません。
 一方の買春する者は、この「保護しなければならない弱い立場」でないにもかかわらず、売春する者と同様に罰則はありません。
 ここには、終戦してから13年後の昭和33年(1958年)に『売春防止法』を施行するまで、「公娼制度」は存続し続けたこと、「内助の功」「良妻賢母」で示される武家の女性が男性をもてなす保守的な価値観が深く関係しています。
 鎌倉幕府が、公的な宴席での接待役に遊女を招集し、管理する「遊君別当」を設け、室町幕府は、「傾城局」を置き、宿駅などの傾城(遊女)を統轄しようとしたことが、日本の「公娼制度」のはじまりです。
 その後、豊臣秀吉が大阪に最初につくったとされる「遊郭」などは、公的に認められた特定の場所に設け、その営業権を保証したことで、「公娼制度」は制度的に確立しました。
 「公娼制度」とは、特定の売春、接待行為を公的に保護し、特別の権益を与える制度のことです。
 日本独特の遊郭文化、つまり、遊女が歌を詠み(読み書き)、楽曲、歌舞ができたのは、政権交代で、身を落とした公家、武家の女性が遊女になったからです。
 武家の女性に求められた「内助の功」「良妻賢母」は、武家の枠をでた「遊郭」で、女性が、男性をもてなし、喜ばすという「日本特有のおもてなし文化」をつくっていきました。
 つまり、武家(家父長である男性)の客人を武家の妻と女性がもてなす作法が、「遊郭」で客(男性)をもてなす作法となり、それが、宿屋や店で客をもてなすようになりました。
 家父長的で、保守的な価値観を支持する人にとって、それは、いうまでもなく、「女性が男性をもてなす」ことです。
 それに反する女性は、「女性らしくない」「生意気だ」「女性のくせに、態度がでかい」などと非難されます。
 武家の女性が「遊郭」に流れた主な政権交代は、安土桃山から江戸、江戸から明治の2回です。
 明治政府は、この「公娼制度」を廃止することなく、太平洋戦争(第2次世界大戦)後も赤線地帯として残り、終戦してから13年後の昭和33年(1958年)に『売春防止法』を施行するまで、「公娼制度」は存続し続けました。
 古今東西、勝利した剣闘士、功績をあげた兵士に奴隷(敗戦した国々)の女性をあてがったように、明治、大正、昭和前期にわたり、日本政府は、明治政府が進めた「国民皆兵」としての兵士(男性)に女性をあてがう仕組みを残し続けたことになります。
 驚愕なのは、太平洋戦争の敗戦から僅か3日後の昭和20年(1945年)8月17日、組閣された組閣された東久邇内閣の国務大臣に就任した近衛文麿は、直ちに、警視総監の坂信弥に「米軍相手の売春施設をつくるように。」と命じたことです。
 2週間後に40万人の占領軍上陸を控える中で、「国策売春組織」、すなわち「特殊慰安施設協会(RAA)」が設立され、RAAは、使命を忠実に達成するため、真先に開業したのが「慰安所」です。
 「慰安」とは、本来、セックスを意味することばではなく、心をなぐさめ、労をねぎらうことです。
 つまり、武家(家父長である男性)の客人を武家の妻と女性がもてなす作法(おもてなし)は「慰安」そのものです。
 ところが、日本政府の考える慰安、つまり、RAAが、忠実に達成しなければならない使命とは、「進駐軍将兵の慰安で、なによりも重視したのが、セックスで満足させる」ことでした。
 つまり、家父長制、軍事国家下で日本の男性が求める「慰安」は、セックスで満足させることがなにより重視されるようになりました。
 敗戦国日本は、「左側通行から右側通行に替えるには、全国に設置されているバス停を移動させる必要があり、いまの日本にはその金はない」とGHQ(正確には、連合国軍最高司令官(マッカーサー)=SCAP(Supreme Commander for the Allied Powers)に付属する組織である総司令部(General Headquarters)のことであるので「連合国軍最高司令官総司令部」)に回答するほどの財政難であったにもかかわらず、霞が関、つまり、外務省・内務省・大蔵省・運輸省・東京都・警視庁などの主要官庁が動き、3300万円(現在の価格に換算すると10億円を超える)をだしたのです。
 このときの座長役は、大蔵省主税局長の池田勇人(のちの首相で、在任日数8位)です。
 同じ敗戦国のドイツ、イタリア、あるいは、ソ連に占領された東ヨーロッパの国々では、占領軍を相手にする売春婦は大勢いましたが、国が号令を発し、莫大な予算を投じ、官僚がプロジェクトを組み、「国体護持」のために女性を犠牲にするという“理想”を高らかに掲げた国は、世界の中で日本だけです。
 そして、組閣から10日後、ポツダム宣言の受諾(8月14日)から13日後の同年8月27日、RAAは、占領軍の上陸地点に近い品川の大森海岸に「慰安所第1号」として、「小町園」を開店しました。
 このとき、「小町園」に集められた女性は、50人です。
 豊臣秀吉が「遊郭」を設けたのを機に確立した日本の「公娼制度」は、敗戦から13年後の昭和33年(1958年)に『売春防止法』の制定で、その歴史に幕を下ろしましたが、家父長制のその概念・価値観は残り続けてきたように、この流れは、トルコ風呂(ソープランド)にひきつがれました。
 いまでこそ、宿泊先のホテルにコールガールを派遣することが主流になりましたが、料亭での会食やゴルフの接待と同様に、「トルコ風呂(そーブランド)」は、取引先への接待として利用されるなど、「遊郭」が担ってきた一部の役割はいまも残り、デリバリー型性風俗など、その形態は多様化しています。
 日本では、金品を支払い性行為する買春行為は、『売春防止法』でとり締まられますが、罰則はなく、逮捕されることはありません。
 唯一の例外は、平成11年(1999年)11月26日に制定された『児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』の対象となる児童、つまり、18歳未満の児童に対し金銭を支払い、性行為等を行ったときは、同法の「児童買春罪」、「児童福祉法」違反、「青少年保護育成条例」違反などが適用できます。
 また、18歳未満の児童を買春し、裸や下着などの写真を撮影したときには、同法の「児童ポルノ製造罪」を適用できます。
 この撮影には、買春者が撮影するケースに加え、18歳未満の児童に撮影させ、送信させることも含まれます。
 また、出会い系サイトなどのSNSに、18歳未満の児童に対し、売春を促すような書き込みをしたときには、性行為に至らなくても、『インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律(出会い系サイト規制法)』)を適用できます。
 日本では、買春行為が法的に禁止されているのは、あくまでも18未満の児童に対する買春行為に限定されています。
 一方で、欧州では、スウェーデン、ノルウェー、アイスランド、北アイルランド、フランスが採用している「北欧モデル」の他、イギリスが、買春を禁止、買う側は罰せられます。
 「北欧モデル」とは、根本的な人権侵害である売買春の社会的廃絶に向けた法体系で、a)売春店の経営、売買春の周旋、売買春から第3者が利益を得ることなどを禁止すること、b)買春行為をも処罰の対象とすること、c)売春者を処罰せず、離脱(足抜け)に向けて社会的・医療的・経済的等々の支援を提供することという3つの柱にもとづいています。
 例えば、「北欧モデル」を採用しているフランスでは、性関連サービスに対価を払った者には罰金1500ユーロ(約18万円)、再犯者に対しては最大で3750ユーロ(約46万円)の罰金を科し、性労働者の窮状について学ぶ講習会への出席を義務づけています。
 また、売春産業から抜けだしたい外国人の性労働者には、半年間の在留許可を与え、売春防止のために補助金を拠出しています。
 人権解釈の乏しい日本では、こうした「北欧モデル」とほど遠い状況です。
 いまの日本に通じる国の礎をつくりあげたのは、いうまでもなく明治政府で、そのメンバーは反政府軍の薩摩藩、長州藩の主流2藩に加え、肥前藩(佐賀藩)、土佐藩の4藩がほとんどでした(藩閥政治)。

 このように、差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権)事案、そして、これらの暴力(人権)事案とかかわる法律や制度は、歴史的な背景の理解なく語ることができません。 日本社会では、この歴史的な背景は、過去の問題ではなく、いまの問題としてひき継がれています。
 差別・排除、DV(デートDV)、児童虐待、性暴力、いじめ、(教師や指導者などによる)体罰、ハラスメントなどの暴力(人権)事案の解決に向けてとり組むとき、障害となるのは、この歴史的背景を起因とする保守的な価値観、この保守的な価値観の背景である神話、そのもとで制定された法律、そして、制度です。

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