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001.ロンドン脱出

 デボンは英国の大ブリテン島の西南端に近い位置にある。ロンドンからは約230マイル(360Km)、さらに先に行けばコーンウォールとなり、その先は大西洋、さらに先に進めばアメリカ大陸となる。

 英国は日本の様にたくさんの地方自治体から成り立っている。日本では県に相当する自治体が英国ではカウンティー(County)と呼ばれる。デボンもコーンウォールもカウンティーである。時々カウンティーのことをシャー(Shire)と呼ぶこともあり、デボンシャーとか、ヨークシャーと呼ばれる。日本のガイドブックや新聞記事などではよくカウンティーのことを州と解釈し、コーンウォール州とかデボン州と紹介していることがあるが、州と言うと何となく独自の法律、政府を持ったアメリカやカナダの広大な州を思いがちだが、英国のカウンティーはほとんどが自治体としては日本の県と同じである。ちなみに英国はイングランド、スコットランド、ウエールズ、ノーザン・アイルランドの4つの国からなる連合王国である。この4つの国は独自の政府や法律を持ち、かなりの自治権を所有しているので、これこそ州であり、デボンやコーンウオールを州と呼ぶのは適切ではないと思える。


Bigbury on Sea

 話をデボンに戻そう。デボンの面積は6,700㎢で島根県ぐらいの大きさ、人口は約120万人で青森県ぐらいである。デボンの特徴はカウンティーの北と南に海があることと、真ん中にはダートムア(Dartmoor)と呼ばれる広大なムーア地帯があることであろう。北の海はアイリッシュ・シーで北大西洋に繋がっていて、デボン北部はどちらかと言うと寒い気候、南の海は英国海峡で南部一帯は温暖な気候で英国のリビエラと呼ばれている。その中間にあるのがダートムアで、文字通り広大なムア(荒野)地帯で、国立公園に指定されており、夏のシーズンには観光客でごった返す。英国における一般的なデボンの位置付けは「自然が豊富な田園地帯」ということになっている。もちろんプリマス(Plymouth)やエクセター(Exeter)といった都市もあるが、全体的には農業(牧畜)を主とした田舎である。

 そんな田舎に東京生まれ、東京育ち、そしてロンドンに50年も住んだ私が何故住むようになったのか。

 答えは簡単、「牛に引かれて善光寺参り」である。
 私のワイフはデボン出身である。幼い頃にデボンに引っ越し、そこで育った。彼女もロンドンや東京での生活が長いのだが、ある程度齢を寄ってくると、故郷が懐かしくなるのはどこの国でも同じで、彼女が陶芸で成功するにつれ、ロンドンの家がだんだん狭くなり、また、ロンドンが外国からの移民の町となり、どんどん自然が無くなって行くにつれ、「デボン、デボン! デボンに戻りたい!」と大騒ぎをするようになった。正に「故郷忘れ難し」である。そこで私も遂に重い腰を上げ、デボンのハウスハントに起ち上がったというわけである。


Plymouth

 私の故郷は東京である。そこで生まれ育ち、大人になったが、何故か私には東京が故郷であるという気持ちがあまり強くないのである。もちろん東京には馴染みがあるし、幼友達もいる。親戚も住んでいる。東京が故郷であることは認めるが、それでも、いつかは帰って住みたい、骨を埋めるのは東京という確信がない。東京が大都会であるからか、或いは仕事の場であるからか、身近な家族がすべて他界してしまったからなのかよく分からないのだが、あまり東京を自分の唯一の故郷であると思えないのである。かと言って日本の他の場所に住んだこともない。日本を出て50年もロンドンに住んでいたからかも知れない。いずれにしても私の「故郷感覚」は私のワイフに比べれば非常に薄い。ロンドンからデボンに移るのはそれほど大袈裟な心の準備をする必要もなかった。
 (以下続き)

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