見出し画像

心の食卓

何かあっても。。


少しでもほっとする心の居場所があれば


きっとそれだけでも幸せだよね


そして

自分は不幸だと感じる始まりは


誰かや何かと比べることから

競い始めることから。。


勝ち負けで

幸せの大きさや

自分の価値を決めようとするから



そして


自分はそういうことはしないのに。。

そう思うなら

きっと

今までそういう人と繋がってたから



だからいつの間にか


競い合いに付き合わされて

振り回されて

疲れてるだけ


そのことに気づくだけでも


きっと

気持ちは楽になるよね









わざわざ自分の幸せを

見せつけてくるような人って


それだけ


不安なんだよ。。


だから無意識に他人も不安にさせたがる





幸せが伝播するように


不安も。。伝播するんだよね



だからそんな人に対しては



そっと距離を取って



ほっとする場所にいこう



他人の不安に振り回されないためにも



他人のいらない感情の引き受け係や


自己肯定感上げてあげる役や



優しさを

ゴミ箱の代わりになんてさせないためにも






いつも自分やまわりの足りないところや
不平不満ばかりを言ってる利用者さんをみていると。。

そういう人ほど

必ずと言っていいほど

誰かに幸せにしてもらうのが当たり前だと思ってる。。

そういう人は
自分の機嫌も周りに取らせようとする。。

そういう人は
自分の幸せはいつも相手次第
自分が今幸せじゃないのは相手が悪いから
になってる

そんな利用者さんの不平不満を聞きながら思うんだ

そもそも。。
幸せって誰かによってもたらされたり
条件付けしたりはしないものなのかもなあ。。って

「幸せ」について子どもの頃は考えたりもしなくて。。


遊ぶとき
今幸せかどうかになんて
わざわざ
意識をむけたりしなかてなかったよね

それが

周りの子と比べられるようになって
色々な「普通は」っていう価値観植え付けられて

ゴールが幸せになれるかで選ぶようになって。。そのために
色々な条件付けをするようになっていったように思う。。

でもきっと

本当に幸せなときって
幸せかどうか。。なんて考えていないし

そんな考えは思い出さない気がするよ

温泉にのんびり浸かってただただ気分よくいるときに


自分は今
ちゃんと温泉に浸かってるのだろうか?

なんて。。

周りと気分の良さを比べたり競ったりしないのと
同じような気がするんだよね



利用者さんが、亡くなり。。

毎日のように撮っていたいつものお花の写真を撮ることもできなくなって。。

その代わり。。また新しい利用者さんの
お家の周りの花たちと出会えて。。

今年は何年ぶりだろうなあ。。

桜をスマホで一度も撮れない春だった

いつの間にか

新緑が美しい。。

きっとそんな年もあるんだよね。。


先日
たまたまこのドラマをAmazonのプライムビデオで観て。。
なんか久しぶりに心が、じんわりしました。
人はただ食べることひとつとっても

過去からの色々な思いや感情の自分と一緒に

その食事を

味わいながから

噛み締めながら

食べてるんだよな。。

そんな風に改めて思うドラマでした


 


わたしとは

笑顔で食べられなくても。。

笑顔で食べられる人がいるなら
きっとそれでいい

わたしには絶対話せないことも

絶対話したくないことも

素直に心を開いて話せる人がいるなら

きっとそれでいい。。

わたしには全然優しい気持ちを持てなくても

自然に優しくいられる人がいるなら

きっとそれでいい

それでいいんだと思う




最後までお読みいただき
ありがとうございます


今日一日があなたにとって
あたたかい幸せに包まれて安心する
素晴らしい一日でありますように
心を込めて








この記事が参加している募集

これからの家族のかたち

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?