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高校球児の話。

第105回全国高等学校野球選手権大会。
今日決勝戦の火蓋が切って落とされた。

慶應 対 仙台育英

何かと話題の慶応。
連覇を狙う仙台育英。

今年も熱い戦いを観させて頂いた。

毎年思う。

この炎天下の中よくスポーツできるな。

陽炎を生む熱気。
目も開けられないほどの日光。
クーラーの効いた部屋でいつも思う。

しかし彼らにはそんなものは関係ないのだろう。
今までの練習の成果を出し尽くす。
ひたむきに。
がむしゃらに。
泥だらけになりながら。
汗を流し。
涙を流し。
ただ1つの目標に向かって必死に鍛えた己を武器に。
彼らの欲しいものはただ1つ。

全国の高校球児の頂点。
夏の甲子園優勝。

眩しい。
まさに青春。
夏の風物詩。

今年は慶応の森林監督の指導が話題だった。
坊主ではない部員たち。
高校球児の象徴たる坊主。
それを廃止している。
これに反感を抱く人もいるが僕は賛成派である。
昔から思っていた。

漫画やアニメ・ドラマや映画で見る高校球児にはほとんど坊主がいないのはなんでだろう?

というより何で現実では皆坊主を強要されて居るのだろう?

球児たちも坊主を望んでいるわけではなかったはずだ。
夏が終わった後髪の毛を伸ばし弄り倒していたのがその証拠だ。
高校球児だけが坊主を強要されている。

そんな戒めか呪いかわからない風習をぶっ壊してくれた森林監督に感動した。

野球の頂点であるメジャーリーグの選手も長髪をなびかせている。
髭もモジャモジャ。
ガムも噛んでいる。
めっちゃガム噛んでる。
グラウンドにつばも吐いている。
ちょっと話がそれた。

つまり何が言いたいかというと。

野球の本質は別にある。

その本質を守っていれば高校球児とて坊主にする必要はない。
もっと自由に野球をしても良い。
もっと自分たちの野球をしても良い。

もちろん勝つために優秀な指導者に教えを乞うのは良いことだ。
夢のために誰かの指導を受ける。
そこで得られるものは果てしなく大きい。

野球というスポーツを通して自身の成長を促す。

礼儀を知る。
勝つための戦略考える。
その戦略を実行する力を身につける。
努力する。
協力する。
仲間と喜怒哀楽を分かち合う。

これが本来のあるべき姿なのではないか?

偉そうに書いたが今年の高校野球ではこのようなことを考えさせられた。

全国の高校球児の皆様。
優勝・慶応義塾高等学校の皆様。
感動をありがとうございました。


高校球児の話でした。

最後まで読んで頂きありがとうございました。


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