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過去をさかのぼる旅

幼い頃は身体が弱かった。気がつけば畳の部屋の寝室で布団をひき、外の木々の葉っぱを眺めていた。人の形に見えたり動物に見えたり楽しかったけど静かだった。

体調が良くなるとやんちゃしていた。そしてまた体調を崩すの繰り返し。どんなやんちゃをしていたかはまたいつか話す機会があれば。

10歳位になると自分の事は全部自分でやらなければいけなくなった。親の方針だ。どちらかが居なくなったわけではない。運動会のお昼の保護者とのお弁当タイムも、自営の寿司屋の子供と私だけ親無しで食べていた。

定期的な通院、発熱時の小児科、床屋。全部自分でアポをとりよその大人のお世話になった。

13歳からは部活に夢中。勉強など何の意味があるのか全く分からずよく授業中寝ていた。が、部活の監督の授業だけは全力で受けていた。まぁ分かりやすい子供である。 

携帯電話が普及し始めて親にせがんだが案の定駄目だったので自分のお年玉口座から引き落としで携帯電話を購入した。最安値で通話などしたら即大赤字だ。そこは細心の注意を払った。

高校へは偶然行けた。スポーツ推薦を断った友達のおこぼれ推薦だった。自頭では到底無理だ、そもそも勉強などしていない。

高校で部活や交遊関係に熱が入っても親は介入しようともしなかった。別に介入しなくても全く構わなかった。自分のお金でテレビを買い、ゲーム機を買った。ネットでポチっとの時代ではない。わざわざ電気屋で色々書いて購入した。

部活が引退となり、バイトに明け暮れた。とっととこの家を出たかった。自分の力で生活することが夢になった。

実費で中型二輪車の教習費用と250ccのバイクを高校生のうちに買った。

就職も偶然声の掛かった会社へ就職できた。最初は寮に住み込みで、現場の猛者達に思いっきりしごかれた。バイクを買って自分の通帳がすっからかんになったので初任給が入るまで手元に小銭しかなく、コンビニのおにぎりを1日2つだけ食べていた。連れ達は大学生で楽しそうだった。

あまりのひもじさに実家に帰り、飯を食べようと思ったが1度も食卓に食べ物は出なかった。反抗期の時に散々馬鹿にしたからね。親の手料理は18歳で打ち切り。今となってはお袋の味など全く思い出せない。

成人式もスーツ代は自分で払い、革靴を買うお金が尽きた事は今となっては笑い話。中学の革靴を指先丸めながら履いた。

21歳の時、高校でなけなしの金で買った単車の事故で入院して今の奥さんと知り合い結婚した。ここで死ななかった事が運命の分かれ道かな。

運だけで生きてきたこの人生。当時はラッキー!としか感じていなかったけど、やっぱり違うよね。生かされてるんだよ。

なんであの親のもとに生まれてこようと思ったのか?強く自立するため?今はわかりません。結果的に今、両親が生きているのか死んでいるのか、姉妹が何してるか全く知りません。

私の親と私の子供達が接するのは夢のまた夢、無い物ねだりですね。若いときに散々悩みましたが今はもう吹っ切れています。みんなそれぞれもっと色んな経験してるからね。

過去をさかのぼるのはあまり好きではないが、ここに私の原点が隠されているとしか思えません。寝ながらやってみよっかな~!

ではまた!




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