実録 私の可能性〜自分に学ぶ生き方のヒント〜⑦



父親が家にいないということ。

気づいた時には日常のひとつになっていた。

だからといって
寂しかったという記憶もない。


ただ、
最近になってから
心を動かすようになったことがある。

「お父さんに甘えてみたかった」と、

折にふれて
思いを馳せるようになった。



人間であれば
誰もが経験しうる後悔や葛藤。


それらは
心を深く悩ませるものであり、

事あるごとにしつこくつきまとう
厄介なものでもある。


父親に対する後悔と葛藤は、
死別後30年余りの間私の心の中で渦巻いていた。

しかし、
「運」について顧みるようになったことで、

少しずつ
物事の見方が変わり始め、

それと同期する形で
生き方も変わり始めた。



その日、
私は自宅の窓から通りを見つめていた。

すると
車から一人の男性が降りてきた。
その男性は父親だった。


「お父さんが帰ってきた!!」


父親は自分の足で立ち上がり、
母親が運転する車から自力で降りていた。

植物状態から回復した父は
その後退院し、
自宅療養するに至ったのである。

一命を取り留めたことでさえ
奇跡だったのに、

父親が
再び家に戻ってきたことで、
さらなる奇跡が起きた。


長い間、
病室のベッドの上で
変わり果てた姿となっていた父親。

その事実は、
幼い頃の私にとって受け入れ難いものであった。

父を見る度に
身構えるようになり、

「お父さんだけど、お父さんじゃない」
という思いに駆られていた。 


父親が元気だったあの頃。

親に甘える過程で
安心感と心地よさが育まれ、

心置きなく
ありのままの自分を表現することができていた。


父親の姿に
拒否反応を示しながらも、

回復ぶりに
胸が高鳴った背景として、
そうした理由があったのかもしれない。


父親から
愛情を注いでもらったこと、
その事実を体感できたこと、

さらには
記憶に残すことができたこと。

父親が病に倒れたタイミングや
その後の寿命を考えると、

それらも全て
「運」のひとつであったのだろうか。




父親の回復ぶりを
目の当たりにしたことで、

父に対する拒否反応は
消えたかに見えた。

しかし実際は、
形を変えた拒否反応が顔をのぞかせていた。

そのことが引き金となり、
私は30年間
自分を責め続けることになったのである。


自宅療養が始まってから
どれくらいの月日が流れたのか…。

当時9歳だった私は
父親のあるふるまいを見て、

思わず
「汚い」と感じたことがあった。


それからほどなくして
父は発作を起こし、帰らぬ人となった。

私は子どもながらに考えるようになった。
「お父さんが死んだのは、私のせいかもしれない。

お父さんのことを
もっと優しく気遣ってあげることができていたら、

お父さんは死なずに
すんだのかもしれない。」と…。








つづく

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