その日、たどり着いた先は海でした

私にとって、海は何でも受け入れてくれる存在です。

社会人一年目のある日、私はひょんなことから自分を見失ってしまいました。それは知人と話していた際、不意に「本心で話していないでしょ」と言われたことがきっかけです。しれっと受け流す力は持っていたはずなのに、そうすることができず、その言葉は私に突き刺さりました。

私の言葉は、私のものではないということ?今ここにいる私は私のふりをしているだけということ?じゃあ私は?私はどこにいるの?

今まで私の本当の気持ちなんて考えたことのなかった私は、その言葉によって冷静ではいられなくなってしまい、涙を隠せませんでした。私はそのことをわかっていて、わかっていないふりをしていて、指摘されたことに驚いていたのだと思います。しかし当時は自分を否定されたように感じました。

私が私でないのなら、私は自分自身を見つけなくてはならない。
今までの私はニセモノだったのだ。
そう、理解しました。

翌日の昼下がり、私は知人からの言葉が頭に残ったまま、現実から逃げるように車に乗りました。行く当てもないまま2時間ほど走り、たどり着いたのはとある岬でした。そこは昔からの観光地でそこそこ人がいましたが、私は周りには目もくれず、独りになれる場所を求めて整備された道を歩きました。

そこから色々ありましたが、私は堤防に腰かけ、夕焼けとそれに染まるオレンジ色の海を眺めました。海は広くて大きくて穏やかで、それに比べて私はちっぽけで、私の悩みなんてこの海がいとも簡単に飲み込んで消し去ってくれるのではないか、と思いました。それは同時に、私にある終着点を想像させました。

ずっとこうして海を眺めていたい
現実に戻りたくない
海は、こんな私を受け入れてくれるだろうか
受け入れてくれたなら、現実に戻らなくていいのだろうか


ひとりもの思いに耽っていると、日は沈み、空と海が黒くなりました。
先ほどまでの明るい海は優しさにあふれていたように見えたのに、目の前の暗い海はそこにある全てのものを飲み込んでしまうような恐ろしさを感じました。
怖い。
そこで私は冷静になり、時間も時間だし、と立ち上がり帰路につきました。

その日からしばらくは、私はひとりで海に行かなくなりました。
行ってしまうと、海に魅せられてしまうように思ったからです。

そんな私が再びひとりで海を見に行ったのは、それから2年と少し、私は私の人生をやり直すと決めた、夏の朝のことでした。

私にとって、海は何でも受け入れてくれる存在です。
だからこそ、海には自分の決意を聞いてほしい、自分の行く先を見てほしいと思います。

次に海に行く機会があれば、元気にやっているよ、と伝えたいです。

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