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Kei
2024年5月6日 07:51
真夜中の電話はいつだってドキっとします。日付変わり二時過ぎー鳴り響いたその電話の内容は、父の入所施設からのものであり「お父さん、ま~た一人でベッドから車椅子に乗ろうとしたんでしょうね!転んでいましたよ!今度はどうも骨折しているようなので、総合病院に搬送されたところです!ご家族の方、至急、付き添いを!!」でした。いや・・叱責されてもねぇ。。と思う心は置いといて。明日、手術
2024年5月2日 12:58
今日、父に問うた。「お父さん、七夕の短冊、書きたい事ありますか?」思いがけない答が戻って来た。忘れぬよう、覚書。「馬で荒野を駆け巡りたい」涙がこぼれそうになる。父は、裸馬に乗り、高校(当事、中学校か)に通学していたという、地域で悪名高き暴れん坊。馬を校舎近所の畑に繋ぎ、知らぬ顔で授業に出ていたそうな。「こら、○○!ま~た、馬に乗って来たな!ご近所から苦情が来てお
2024年4月15日 05:57
「何をどう言ってもつまらんのぅ。」と、父がふっと笑う。その顔があまりに寂しくて帰宅後も脳裏から離れない。豪胆でまさに九州男児そのものだった父、やんちゃを重ねた十代そして、企業を興した二十代転身して、経済より誇りを望んだ三十代父の人生は(父が手記をとうの昔、現役の頃、わたしに預けたのだ)まさに波乱万丈、そして、輝かしい業績を残した人生であった。8年前、突然倒れ
2024年4月10日 06:48
どうか・・わたしを、そして、あなたの息子とあなたが大事になさった嫁(わたしの母)をお見守り下さい。おじいちゃん、おじいちゃん、泣き言を言わず、静かに息を引き取ったあなたに似ても似つかぬあなたの息子、我が父は・・今日も今日とて、口角泡飛ばし、文句ばかり言っております。七夕の短冊・・毎年同じ願い事なの。*馬に乗って荒野を駆け巡りたいまぁ・・裸馬で高校に通った悪童たる父ですから・・さ
2024年4月8日 08:29
祖父よ 祖母よ大樹よ空よ草原よ山々よかの地は時隔てて遠くなりにけりそれでもわたしに かくあれと幼き心に教えて下さった温厚なる敬愛する祖父の魂が風に乗って聴こえてくるようです
2024年4月5日 07:32
お母さん、お誕生日おめでとう!ぇっと・・何歳になったんだっけ?”「38歳よ。わたしは、38歳から年を取らないの。」遠い昔の記憶、母の名言。洋装も和装も似合った母の並外れた美貌。小中学校の保護者会、校長先生筆頭に男性教師達が色めき立ち母を観に来ていたと、後に知る。そんな騒動を・・我が兄は恥じ入っていたのだった。昨日ホームで見た母の明朗さ、思いがけず観た闊達さー車椅
2024年3月30日 07:49
わたしは、そもそも宝石に興味が無い。唯一、冠婚葬祭用に真珠を持っている程度だ。本日、母の口から唐突に出た言葉が「オパール!!わたしのオパールは!?」であった。父が事の詳細をのたまう。「日本じゃオーストラリア産が人気あるが、メキシコ産のオパールは赤い。価値在るオパールはメキシコオパールだ。俺がこれに買って来てやったものだ。家にあるか?」・・・シラナイ。 オパールを検索すれば、
2024年3月28日 07:55
くわっ!と、その目を見開き”お前は!”と、怒声を発せよ入道雲の如く大岩の如く圧倒的な畏怖をわたしに味あわせよ 事の推移 わたし自身の風邪にて一週間訪れなかった間 父は隔離室に入れられ点滴を受け 頬削ぎ落ち目は窪み 久し振りに会う父は死に行く人の如く 変貌遂げていた お父さん!と声を掛けても眠ったまま 「何も食べないからです。」介護士が憎憎しげ
2024年3月26日 07:36
拉致問題、首相が本気出しゃ、解決するにきまっとる。望むだけの金出してやらんか。気の毒に・・親御さんが生きとるうちに、娘返してやらんかい!しかし・・お前、海辺に住んどらんで良かったのぅ。ぼやっとしとるから、簡単に拉致されたのぅ。がはは。やれやれ。ぼやっとしてると思うのは、昔も今も、おとうさん、貴方だけですってば!私を一番知らないのが、貴方と母だとは・・あぁ、情けないやら笑える
2024年3月23日 07:49
七夕に逝った祖父へ。あの日はこの時期にしては稀有な晴天でした。毎年想うのですが、父の言葉「オヤジは善人やったから、誰もが忘れん七夕に逝ったのぅ・・」それだけは確実で、わたしは、祖母や他の愛する方の命日を忘れても七夕だけは、あなたを思いあなたに感謝し、静かに短冊に願い事を書き下げる時を過ごします。今夜も雨。仏の里に産まれ、同じく近くに生まれ育った祖母と結婚し、福岡
2024年3月17日 08:08
それでも母は父を覚えているのだ。多くを忘れようと、母が口にする「一番大事な人を忘れるわけがなかろうもん」母の大手術ののち、車椅子で近付いた父が「おい、オレが誰かわかるか!?」の問いに即答した母であった。既に三年前・・認知症という病は、特効薬が無い。が、症状を遅らせることは出来るのだ。それを助ける薬もあるにはあるが、何といっても、周囲の言葉や働きかけ、母の表情を察知し喜んでいるとわか
2024年3月14日 06:43
大好きなモンブランを買って、ついでに、ホワイトデーのラッピングがキュートなお菓子の詰め合わせを持参し、母の誕生日を祝う。スプーンを使わずに、手に持ち、あっというまに消えたケーキ。唇についたクリームを拭う。母はその間も待てないように、新しい箱を開け始める。あけるというか、破る。私が小学校の頃だろうか。「お母さん、何歳になったの?」と訊けば「35よ、ずっとこれからは、3
2024年3月13日 07:27
あと二ヶ月で、父、奇跡の生還より丸三年経過する。脳出血で高次脳機能障害となった父は、リハビリを続けるも未だ歩けない。当初あった言語障害は回復。父の入院時より、母の認知症は悪化した。父母の三年は、私にとっても、新しい三年でありました。尊大で倣岸不遜が服着て歩いているような、巨躯の父はその肉体のみ半分になり。伊達男たる父は、全てのスーツ、ネクタイ、手を通すことも着ることも不
2024年3月5日 07:11
父が倒れる前のこの季節、母を連れ梅や桃、そして桜を観て愉しんだ。「土産はイラン、梅の一枝でも買って来い。」留守番を選ぶ父に、そう、母は常に思いっきり沢山買って帰るのだ。半分以上は彼女自身が食べる為にw花を愛でると共に、花とのショット、写真をねだる母を幾枚も写し、花の色に負けじと、紅ひき服装に気を配り唇はすこし口角上げて、決して、歯は見せずに微笑む人まだ3年前なのだ、と思