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四谷怪談の現場を歩く(14)

畜生地獄

小平の執念、お袖の義理

 小仏小平の実家で繰り広げられる小塩田隠れ家の場は、今では上演されなくなった。お岩の幽霊譚に直接関係のない、付け足しのようなエピソードだからだろう。なぜ、南北はわざわざこの場面を書いたのだろうか。

 小仏小平にも元となるモデルがいた。小幡小平次こはだこへいじである。享保時代の役者で幽霊役を得意としていたというが、本当に実在したかどうかはわからない。芝居の関係者の間で語り継がれた伝説的人物だったようである。
 小幡小平次は女房の間夫まぶ(愛人)によって殺されてしまうのだが、その後本物の幽霊になって、なんと舞台にも出演した(もちろん幽霊役)という。
 鶴屋南北が『東海道四谷怪談』を書いたとき、小幡小平次はお岩さん以上に有名だったので、小平次を思わせる小平という名は、当時の人にはすぐにピンときただろう。
 また、劇薬によって片目の上が醜く腫れあがるお岩さんの顔は、累が淵の累の怨霊が元ネタになっていることは明白で、この二大幽霊をモデルにした男女を戸板の表裏に張り付けにするのが、南北の趣向だった。

法乗院
法乗院閻魔堂

 小平が盗み出したソウキセイは伊右衛門に取り返されたが、すぐに借金のカタにとられてしまった。それが巡って小塩田又之丞のもとに届いた。
 病気で立つこともできず、主君の仇討ちを断念せざるを得なくなり、しかも盗人の嫌疑までかけられた又之丞は絶望し、切腹しようとするが、それを止めたのが小平の霊だった。そして小平は息子の体を借りて、ソウキセイを飲むように告げる。又之丞が薬を飲むと、たちまち病が癒えて立ち上がる。
 何もかも、死んでも忠義を尽くす小平の執念のお陰だった。

閻魔堂近くの油堀にかかっていた富岡橋は通称閻魔堂橋といい、
芝居や文芸の舞台にもなった。

 場面は三角屋敷に戻る。お袖は直助に、与茂七を酔わせて寝入らせ、屏風を引いておくから明かりが消えたのを合図に殺してくれと言う。一方与茂七の方にも、同じことを囁く。
 直助は出刃を咥え、与茂七は刀を抜いて屏風に近づく。お袖が行燈の灯りを吹き消したのを合図に、二人は刃物を突き出す。が、なんと二人が刺したのはお袖だった。
 虫の息のお袖はこうするより仕方がなかったと、これまでのいきさつを話す。顔の無い死骸の着物の定紋が与茂七のもので、てっきり死んだと思い込んでいたのだ。それを聞き、与茂七は奥田将監の息子の庄三郎が顔の無い死骸と知る。
 直助は、殺害したのが昔仕えた主人の子息と知って驚く。
 お袖は自分の臍の緒の入った守り袋を直助に渡し、この中に実の親の名を書きつけた紙が入っている。生き別れになった兄がどこかにいるから、知らせてほしいと頼む。お袖は左門の実の娘ではなかったのだ。
 直助は書付を見ると、与茂七が床に置いた刀をつかみ、お袖の首をはね、出刃包丁で自分の腹を刺した。
 驚愕する与茂七に直助は「人の皮着た畜生が、往生際の懺悔咄、聞いて下され、与茂七殿」と苦しい息の下で話始める。
 邪魔な与茂七を殺してしまえばお袖と一緒になれると思った直助。だが、殺したのは昔仕えた主人の倅。そして、かたき討ちを一緒にやろうと嘘を言い、夫婦になったお袖は実は血を分けた妹。「親は侍。その子は畜生主殺し。末世に残る直助権兵衛」
 地獄へ急ぐ置き土産と、直助は廻文状を与茂七に返して手を合わせる。
「南無阿弥陀仏」目をつぶる直助。与茂七は介錯の刀を振り上げた。
 


余談

 いよいよクライマックス直前、私の目が腫れた!お岩さんのように右ではなく、左目だが。こ、これは祟りか?


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