江戸城を守護する二つの社②日枝神社
神田神社と共に江戸城を守護する日枝神社は千代田区永田町にある。皇居の南西、星が岡という小高い丘の上に鎮座する。主祭神は大山咋神で、滋賀県の日吉大社の神であり、京都の松尾大社の神でもある。
創建は江戸に最初に城を構えた秩父党の秩父(江戸)重継で、鎌倉時代初期に城の鎮守として勧請されたと伝えられている。その場所ははっきりとしないが、江戸氏の居館は後の江戸城の本丸、二の丸あたりといわれているので、その近辺と思われる。
その後、室町時代に扇谷上杉氏の家臣の太田道灌が江戸城を築城したとき、改めて川越喜多院の山王社を再勧請した。文明年間(十五世紀後半)のこととされる。
天正十八年[1590]徳川家康が江戸に入り居城を江戸城に定め、日枝神社を紅葉山に遷坐し、城の鎮守と同時に徳川歴朝の産土神とした。
慶長九年[1604]江戸城大増築の時、麹町隼人町に遷座。(国立劇場の辺り)神社が城の外に遷ったため、庶民も参拝できるようになった。
明暦三年[1657]明暦の大火で罹災。万治二年[1659]四代将軍家綱は当時星が岡にあった松平忠房の屋敷を移転させて日枝神社の新たな社地とした。この地は江戸城から見て裏鬼門になる。
神田神社の時にも書いたが、山王祭は江戸三大祭のひとつであり、またその筆頭であった。山王祭と神田祭は一年ごとにかわるがわる行われ、神幸行列が江戸城内に入って、将軍が上覧拝礼した。
明治維新になり江戸城が皇居になると、日枝神社は皇城鎮護の社になった。大正天皇即位の日に官幣大社となる。
昭和二十年[1945]五月の空襲で、国宝に指定された万治二年造営の権現づくりの社殿や神門を焼失。昭和二十四年[1949]復興後援会を発足。
昭和三十三年[1958]「昭和の御造営」事業により、本殿を再建して遷座。現在に至る。
今回訪れたとき、宝物殿は何かの撮影中で中に入るのを遠慮したが、国宝、重要文化財の宝物は、やはり長く武士の都だった歴史にふさわしく、刀剣類が多い。次に訪れたときは必ず見ておきたい。
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