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四谷怪談の現場を歩く(5)

ここが地獄―姥ヶ池ウラ

藪ノ内、地獄宿

 浅草寺の二天門を出て隅田川に向かって進むと花川戸公園がある。その公園に姥ヶ池という池がある。姥ヶ池は浅茅ヶ原の鬼婆伝説で有名だ。
 その昔、旅人を泊めては石枕で頭を割って殺し、金品を盗む婆が住んでいた。娘はそれを嘆いて、ある夜旅人になりすまし、身代わりに殺された。それを知った婆は、池に身を投げた。それが姥ヶ池だという。

姥が池

 辺りは浅茅ヶ原といった。江戸に幕府が開かれる前は、この辺りは草が茫々と生える湿地帯で、一旦洪水になれば海のようになってしまう。その中に浅草寺や待乳山が島のように浮かんでいた。
 婆の住む家も一ツ家というくらいで、他に民家も無いような寂しい場所だったのだろう。

 その姥ヶ池に隣接する一角は、江戸時代、藪ノ内やぶのうちと呼ばれていた。

池の右奥に見える辺りを「藪ノ内」といった

 按摩宅悦の地獄宿はこの藪ノ内にあったという設定。表看板は灸や按摩をする治療院だが、その奥では遊女置いて裏の商売。いわゆる岡場所。お岩の妹のお袖は、夜になるとここで男を相手にしているのだった。
 薬売りの直助は金でお袖をものにしようと、着替えをして現れた。早速お袖を口説きにかかるが、お袖はいろいろ言い訳をして直助から逃げ回る。

上:江戸切絵図(国会図書館蔵)
下:google map

 

 そこにお袖の許嫁の佐藤四茂七が、小間物屋に変装してやってくる。お袖が遊女をしているとも知らず、彼も岡場所で遊ぼうというのだ。
  お袖は直助を放っておいて、四茂七のところへ。そこで二人は互いの顔を見て驚く。四茂七は自分という夫(許嫁)がいながら、なぜこんな商売をしているとなじり、お袖はお袖で、四茂七こそ自分という妻がいながら、こんなところで遊女を買うのかと責める。
 結局二人は再会を喜び、いちゃつき始める。治まらないのは屏風一つ隔てて様子をうかがっていた直助だ。大枚の金をお袖に渡しているのに、先に客になった自分を放っておいて、しかも自分が注文した酒を勝手に飲んでいちゃつくとは。

 直助は宅悦にまで文句をつける。宅悦は遊女が客の掛け持ちをするのはよくあることだと反論。そこへ直助の薬売りの兄貴分の藤八が来て、親分に渡す金を早く出せと迫る。お袖は直助から受け取った金を投げ返す。 

 多勢に無勢、直助は振られた挙句、金どころか藤八に身ぐるみまではがれ、おまけに仕事も頸になり、地獄宿を追い出されてしまう。
 屈辱に震える直助。直助に殺意が芽生えた。


豆知識

 切絵図の藪ノ内の北の一角を猿若町といい、ここに芝居小屋があった。
ただし、これは天保の改革の後で、『東海道四谷怪談』の初演の頃(文政時代)は空き地だったと思われる。
 天保の改革では歌舞伎は厳しい弾圧の対象になったが、ここに小屋が移転させられたことによって、浅草寺の参拝客と芝居見物客とで、この周辺は繁華街へと変貌した。


 


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