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好きなものを食べると生命が輝く

グルテンフリーという言葉は、わたしの中で小麦料理のあり方を変えてしまった。

茹でたてのつるんとした黄色い麺がソースにからまって、するすると胃袋に流れこんでいくパスタ。

一斤をむしりながら食べたくなる、パン。

口の中にいくつも放り込みたい、まんじゅう。

勢いと刹那が交差する小麦料理。

好きだった。

だけど、健康的な食生活を薦める本には、それだけだとバッドな食品として登場する。

栄養素があまり取れない割にはお腹がふくれるし、腹持ちは良くないことを自分でも体感していた。

そういうことがちょっとしたアレルギーのようにつきまとってきて、わたしは小麦食品を避けるようになった。

わたしは小麦だけでない「何か」も失っていたように思う。

しかし、女の子がひたすら小麦料理を食べまくるドラマを観たとき、わたしの中で小麦への欲望が再びたぎるのを感じた。

こむぎの満腹期』を観ると、小麦料理を食べないなんて豊かな時間の喪失なのではないかとさえ思えてくる。

主人公の名前はこむぎ。おしゃれをして友達とサラダランチを楽しむ20歳の大学生。

しかし、彼女が本当に満たされるのは小麦料理。

冒頭から
「糖質オフ?そんなの私にとっては地獄の沙汰だ。」
「ノーグルテンノーライフ!」
と標榜している。

そんなこむぎが群馬県高崎で小麦グルメを堪能する。

こむぎは高崎という地で、かがやきを放っていた。

まんじゅうを見ただけで「おいしい」と言うし、
ご当地パンと聞いただけで「おいしそうな響きー!」と言う。

歓喜への沸点は低く、いちいち驚いたり喜んだりしている。

食べ物の見た目、一口目、少しお腹にたまってからのまだ食べられるという食欲。

その全てをエンターテイメントとして楽しんでいる。

表情もパタパタと変わる。

食べ物と対峙するために決闘を挑むような表情。
食べすぎた後悔の表情。
店員さんから話を聴いているときの真剣な表情。
歩いてお腹を空かせて、また食べられるという喜びの表情。

人間の表情はこんなにも多様なのかと思わされる。

そして何かをあまりに堪能している時、人間はいなくなる。

こむぎはしばらく食べ進めると目をつむり、小麦の世界にもぐる。

自身は映像から退場し、代わりに小麦粉が登場する。

水にとかれ、
まあるく形成され、
部屋みたいな蒸し器で蒸され、
まんじゅうになる小麦粉。

コロッケのパン粉をまとわせる工程で、のりとして利用される小麦粉。

パスタとして湯からすくい上げられ、
魚介の入った真っ赤なソースに投入され、
フライパンの中を優雅にたゆたい、
お皿に滑り込む小麦粉。

こむぎは食べながら、食物のかがやきを、見て、聞いて、感じている。

わたしはこのドラマを観終わったあと、パスタを食べずにはいられなくなった。

高崎に出向いて行くほど待てない。

それでも外へ飛び出して、茹で時間5分の乾麺を買い、茹で、ニンニク3つ使ってトマトソースのマグマを作った。そのマグマを鎮圧するかのように茹で上がったパスタを入れて手早く絡める。

お皿に盛り、一心不乱に食べた。

身体中に血がめぐり、
顔に赤みがさし、
そして開眼した。

わたしという生命が再びかがやき出す。

こむぎは、大切なことを教えてくれた。

ノーグルテン、ノーライフ。


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